ぼく、きのこでブッ飛びました - きのこの話 #3

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今回は単刀直入にきのこの作用についての経験を書きます。

というわけで、今日はぼくがシロシベ・クベンシスなる幻覚性のキノコをわりと大量に摂ったときの話を書きます。

クベンシスは当時、オランダなどで普通に栽培されていたようで、乾燥した状態のものを信頼できる筋から分けてもらっていました。
乾燥重量で 2g も摂るとはっきり効果があるのは確認していたのですが、鈍いぼくはクベンシスでは起こりやすいはずの視覚に関する効果があまり感じられなかったので、そのときは大胆にも、10g を摂ってしまいました。
あとから考えると、一人でそんなに大量に摂ることは、場合によっては大きな危険にもつながりうることだったのですが、無知というのは怖いものです、事故などおきなくて本当に幸いでした。

ぼくの場合、2g ぐらいでは、こちら側の意識が完全になくなることはなく、あー、もっていかれそうで(理性が失せそうで)怖いなぁ、と感じることはあったのですが、10g のときは、別次元でした。

事情は今は説明しませんが、そのときは夏の夜に公園でベンチに座っていたのです。キノコを摂ると力が抜けるので自然、地面を見ることになります。するとそこに捨てられた吸い殻が散らばっているのですが、それが、くるくる、しゃきーん、くるくり、しゃきーん、と動いて、髑髏のような、恐ろしい顔に見えるのです。

あー、これは強烈だなぁと思っていると、公園の向こうのほうで、若者たちが花火を始めます。するとこれが、天国を目の当たりにしているかのような美しさなのです。

ほかにもいろいろな経験をしているはずなのですが、はっきりいって摂り過ぎなので、あまり記憶がありません。そのあと記憶がはっきりとするのは、体がいうことを効かなくなって、うんこを漏らしてからのことです。

やばい、おれは今、外にいて、これから電車に乗って家に帰らなければならないのに、うんこをもらしてしまった。もう、おれは普通の世界には帰れないところまで来てしまったのだ……。

そう、本気で思いました。そのときの絶望感を今思い返すと、本当に滑稽なことなのですけれども。

翌朝になって確認してみると、ちょっと下痢便をちびっていたくらいのことで、電車に乗れないほどの腐臭を放つほどのこともなかったのですが、変容した意識状態では、それが言わば、世界の終わりともいえるような体験だったわけで、例えて言えば、芥川龍之介が晩年の作「歯車」で書いているような世界を見ていたのですから、ぼくのような鈍い人間には、ほんとうに貴重な体験でした。

と、なんだか、分かるような、分からんような話になってしまいました。
もうしばらくこのシリーズ続けていこうと思いますので、よろしくお願い致します。

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