「笑い」は必要ない

最近はオダジマ氏もどうかな…などと思っていたが、この記事は非常に良かった、というか、私が以前から思っていたことをそっくりそのまま書いてくれていて、やっぱり世の中には自分と同じようなことを考えている人っているんだな、とあらためて感じた。すなわち、

笑いはそもそも、「誰かを貶めるところから派生する批評性」の部分を余儀なく含んでいる

ということなのである。だからラディカルな結論が好きな私はこう思う。

「笑い」は必要ない。

これは前々から温めていた議論ではあるのだが、実はこのことを確認するためには古典にあたる必要があると思っていたのである。例えばベルグソンの「笑い」という本がある。そういうものにあたってみて、「笑い」に関する社会学的研究のステータス・クオがどこにあるのか、理解してからでないと語れないような気がしていたのだ。しかし、ざっと斜め読みしてみたこの本も、別に面白いことは書かれていなかったように思う。

自分の考えは、こうである。結局笑いというのは「人を指さして、ゲラゲラ」ということに尽きる。そうであれば、そんな嫌らしい、卑しい感情は少なくとも必要ない。ましてや、「お笑い芸人」になど、週刊誌以上の価値などない。「笑い」と「笑顔」とは全然違う。「笑顔」は「幸せ」と関連する。しかし「笑い」は「貶め」としか関連しない。自分はこの先の人生、「笑顔」を作る努力はしよう。しかし「笑い」を追求するのはやめる。

だから諸君、私を笑わせる必要はない。放っておいてほしい。

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