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気が付いたら秋だった

最近の傾向として、仕事の件数は俄然増えてきているのに仕事関連のメールのやり取りは格段に減ってきているということがある。なぜだろう、とちょっと考えてみると、それはきっと仕事が絞れて来ていることと、それから忙しくなってきたので無駄にプロモーションをしていないからなのであろう。仕事に直結するような連絡しか来なくなったので、メールの件数は減ってきているのではないかと思う。例えば、今現在アクティブなプロジェクトは3つ。その3つ関連の連絡しか、原則的には来ない。無駄なメールが来ないので、楽ではある。朝起きると、まずiPhoneからインボックスを覗くという習慣はもちろんなくならないのであるが、昔はメールが来ていないと結構がっかりしたりもした。しかし、今は現にこうして忙しいのであるからむしろほっとする。余計な返事に時間を使わなくてもいいのであるから。

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仕事が行き詰まると、気分転換に近所のコーヒーショップに仕事場を変える。最近は東北沢駅前のSTREAMER COFFEE COMPANYまで足を延ばしている。以前は下北沢のフレッシュネスバーガーでしていたのだが(失礼ながら空いているので)、最近はこちらがお気に入りである。店員の笑顔の無い、しかし自分がやっている仕事が好きな雰囲気も嫌いではないし、何より東北沢の駅まで住宅街を塗って歩くのが好きなのである。自宅にオフィスがあると、外を歩く必要がないので季節を感じない。フレッシュネスバーガーだと近すぎる。下北沢までおよそ1 km弱の住宅街の中を歩いてゆくというのが、ちょうど庭木だとか小さな公園だとかの横を歩いてゆくことができて、小さな変化を感じるのにはちょうどいい。

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今日はいい天気で、気温も20度台前半、実に気持ちがいい。そう思って改めてカレンダーを見ると、気が付けばもう10月もお終いなのだった。11月は一番好きな月で、僕の誕生月でもある。その人が生まれた季節がその人の好きな季節になる確率が高いのではないか、というのは僕の持論でもあるのだが、11月の服をだんだんと着増してゆかなければならない感じとか、そういうのは好きである。僕はこのところ11月は必ず海外出張に出かけており、特に誕生日に日本にいた年はというと2015年まで遡らなければならない。16年はケルンにいたし、去年はコペンハーゲンにいた。今年もご多分に漏れずハンブルクである(より正確に言えば、今年は誕生日のその日に発つ予定である)。家族がいなくなった僕にとって「家族と誕生日を過ごす」ということはもうないわけだが、逆の意味では自分一人が家族なのだから、どこにいたって家族全員と過ごしていることになる。こういうのが、孤独を愛するということなのだと思う。孤独は、普段孤独でない人が息抜きのために一人になるというような状態を指すのではない。普段から独りなので、だんだんそれに慣れて行き、その状態をうまく取り扱うことができるようになることが、「愛する」という表現の趣旨なのである。

今日の発見は、スズメが群れを作っていたことで、スズメは冬が近づくと群生するんだと思っていたのだが、Googleに聞いてみてもすぐにはその証拠は得られなかった。けれども、スズメの群れは僕には秋を感じさせるには十分である。キンモクセイはいつの間にか終わっている。イチョウが色づくのにはもう少し時間がかかるだろう。今週はどこかで国立に遊びに行こうかな。学祭が近くなっているだろうし、この寂しいような切ないような雰囲気を一番強く感じることができるのは、僕が10代の終わりと20代のほぼすべてを過ごしたあの多摩の杜だから。

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