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わりと妥当な『生きがい』


お疲れ様です。
としぞーです。

個人事業ってどこまでいっても将来に感じる不安を拭えない商売だなって思うんですけど、よく考えたらそれは個人事業以外のどんな人にも当てはまることであって、結局人間はいついかなるときも何らかの不安を抱えて生きているんでしょうね。

んで、個人事業者が集まって飲み会とかしてみたりすると、その瞬間と翌日ぐらいは何となく不安が軽減された気がするんですよね。
「みんなも同じように不安を抱えている」「それでも元気に頑張っている」みたいな印象を受け取れるからなのか、それとも別の要因なのかはわからないけれど、何となく不安が軽くなった気がする。
それでもまた時間が経つとじっとりとした不安に苛まれる。
そんなサイクルを繰り返すのはもはや平常運行だったりします。

そう考えると『会社組織』って、巨大な『不安軽減マシーン』なのかもしれませんね。個人事業者と違って会社に勤めていると多くの場合毎日同じ属性の誰かと顔を合わせることになります。つまり個人事業者がたまに誰かと会って不安を軽くするイベントを、毎日のように強制的に行なっている状態とも考えられるんですよね。

それはもしかしたら会社勤めの大きなメリットかもしれない。
同時に、テレワークなどが一般的になると、会社勤めといえども「不安に対する対処」が問題になるのかもしれませんね。
(その仮説を前提に考えると、テレワークが進むと離職率が上がることになりそう。これはデータとして検証してほしいなぁ)

まぁ、どうでも良いんですけど。


さて。


今回は「わりと妥当な『生きがい』」についてコラムを書きます。

みんな日々頑張っているわけですが、その「頑張っている」には何らかの「生きがい」や「究極目標」みたいなものがあると思うんですね。

もちろん「ただ生を継続する」ためだけに生きちゃいけないわけではありません。また「ただ快楽を追い求める」ためだけに生きちゃいけない謂れもありません。

でもやっぱり、人生に何らかの『意味』があった方が楽しいし、やりがいがあるじゃないですか。

そんなこともあって、多くの人は人生に『意味』を付与しようとするはずなんですけど、これがわりと難しいんですよね。

ってなわけで、今回のコラムでは、そんな人生の『意味』を設定する際の考え方の一つを提案してみようと思います。
僕はまさにそんな感じで生きているのですが、まぁまぁいい感じです。

参考になると幸いです。

それでは本編にまいりましょう!


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まず結論から書きます。

人生の目標を「自分には何ができるか?」「自分の力をどう表現できるか?」に設定するとわりといい感じ。

一応、この結論に至るロジックを提示します。


まずはじめに「生きがい」や「人生の目的」や「人生の意味」みたいなものを設定する際に現れがちな問題について考えてみましょう。


一つ目の問題点は趣味趣向や価値観は変化するということですね。

基本的に「人生の目標」みたいなものを設定するときには、自分の価値観を参照するのだと思います。そうじゃないと他人事になってしまいますから。

だから、3年前の自分が設定した目標Aが今の自分にとっては全く興味が持てないことになっている。みたいなことってよく起こるのです。
もちろん「短期目標」においてはそれで良いと思うし、逆にそれぐらいその瞬間の価値観に依存していなければ目標なんて立てられません。
しかし、人生全体レベルの長期目標において一時的な価値観を全面に押し出してその設定をするとそれなりに問題です。
人生全体レベルの長期目標を毎年コロコロ変えていたらキリがないし、ブレブレですからね。

そういう意味で、もう少しメタ的な、自分の趣味趣向を包括するような次元の目標を設定した方が良い。その方が長期にわたって同じ目標を愛でることができる。

わかりやすく極端な例えをします。

「100万稼ぎたい」という目標がありますと。
その目標は人生の目標でしょうか?きっと違いますよね。
それはあくまでも短期的な(それでいて今の自分の趣味趣向・価値観に対応した)目標であって、人生の目標とはいえません。

その人が100万円を達成してしまったら「100万稼ぎたい」という目標は人生から排除されますし、100万円を稼ぐ状態においては「100万稼ぐ」ことが重要ではない価値観になっているはずです。

何度も言いますが「100万円稼ぎたい」という目標を立てるのは悪いことではありません。むしろとても良いことです。しかし、そのもっと裏に大きな目的が存在していないと、100万円稼いだら残るのは虚無です。結局次の短期目標(この場合は200万稼ぎたいになることがほとんど)を設定しなくてはいけなくなります。

だからこの場合「100万稼ぎたい」の裏に何かの理由がなければダメなんですよね。

例えばその裏にある理由を「旅行に行きまくりたいから」と設定したとしましょう。そうすると「100万稼ぎたい」という目標よりは抽象的かつ包括的なベクトルになっていますから、その目標が無価値なものになる可能性はかなり減ったと考えられます。

でも「旅行に行きまくりたい」という目標は「旅行が好き」という価値観に裏支えされていますから、将来的に旅行に飽きたり億劫になったら「旅行に行きまくりたい」という目標もあまり意味のないものになります。

じゃあ「旅行に行きまくりたい」の裏にあるもっと包括的な理由って何だろう?という感じで、目標というのは延々とその理由を遡ることが可能なんですね。

ちょっと話がそれました。

まとめると、趣味趣向や価値観は時と共に変化するから、趣味趣向や価値観を前提に設定された長期目標は後々無意味になりやすい。

ということが言えるのです。


二つ目の問題点は外的要因はコントロールできないということです。

自分が達成したい目標が外的要因に大きく依存したものだった場合、その結果が辛いものになってしまうことが多々あります。

例えば「〇〇さんと付き合いたい」という目標がありますと。

もちろん、自分ができることは様々あります。
身なりを整えたり、〇〇さんが好きなものをリサーチして予習したり、できるだけ接触をして単純接触効果を演出したり、ミラーニューロンを意識してやり取りしたり、収入を増やしたり、第三者から評価を吹き込んでもらったり・・・

そのように内的要因によって努力することは十分可能なのですが、それでも最終的に「〇〇さんと付き合いたい」を叶えるためには『〇〇さんの判断』という究極の外的要因が必要です。

自分がどんなに頑張っても〇〇さんが「NO!」といえばそれまでなわけです。

まぁ、世の中の達成したいことってほとんどが外的要因に依存していますから、それに対して努力すること自体はとても尊いことではあるんですけど、その目標に固執して振り回されるのはとてもしんどいんですよね。

だからこのケースにおいては目標を「〇〇さんに振り向いてもらえるレベルの自分になる」とかにしておくと、ちょっとだけ楽なんです。
仮に〇〇さんに振り向いてもらえなくても、そういう努力をしたってことが肯定できますからね。諦めて次に行くことも容易になるでしょう。

このような感じで、特に長期目標においては外的要因に依存しないものを選ぶのがベターだったりします。


以上のことを踏まえて、長期目標(生きがい・人生の目標)について改めて考えてみましょう。

1、趣味趣向や価値観はときと共に変化するから、それに依存しないものを設定すべき

2、外的要因はコントロール不可だから、それに依存しないものを設定すべき

そう考えていくと本コラムで提案したい

「自分には何ができるか?」
「自分の力をどう表現できるか?」
「自分はどこまで成長できるか?」
「自分は世の中に何を残せるか?」

という目標がわりと妥当に思えてきませんか?


このような目標は趣味趣向や価値観を超越しています。

ある意味とても抽象的なので、その抽象の中に趣味趣向や価値観が含まれています。便宜上「自分には何ができるか?」をステータス上げだと捉えるとわかりやすいかもです。

ステータス上げが目標の場合、やるべきことはステータス上げです。
で、ステータスが上がればできることが増えていくわけですが「ステータスを上げる」という目標には、具体的な「何をやりたい」が含まれていません。(厳密にいうと無限の選択肢として含まれている)
だから全体目標としてこういうベクトルが設定してあると、そのときその瞬間の自分の趣味趣向や価値観において、常に具体的な短期目標をくっつけることができるわけです。
短期目標はコロコロと変わっても、その裏にどっしりと全体目標があると、ブレずに生きていくことができます。


また、このような目標は外的要因に依存しません。

あくまでも自分の中のことを目標にしているわけですから(もちろん全てが思い通りにいくわけではないものの)自分以外の致し方ない要因に振り回されることがないんですね。

すると、外的要因の理不尽に対してストレスを感じることが少なくなり、より自分自身に集中することが可能となります。これがさらに自己成長を促しますので「成長したい」という目標にフィードバックされる。

そう考えるととても美しい目標設定です。


いかがでしょうか?

特にこの考え方、このコラムをご覧になるような事業者・フリーランスの方に参考にしてほしいんですよね。

昨今は、SNSの発展などで「こうあるべき理想像」「界隈でベンチマークとなる理想像」みたいなものが強く印象付けられる環境が構築されています。

それもあって、自分の行く末を「自分の趣味趣向や価値観から離れていて」「外的要因に依存した」ものに設定してしまう危険性が増えているのです。実際にそうなっているケースも多いと思います。
でも結局、それって本人にしんどさとして跳ね返ってくるんですよ。

さらに言えば、そのように作られた像を追うことによって、それを追っている人たちはその像に向かって収束していきます。つまり無個性になる。言い方を変えると、その界隈に「よくいるタイプの人」になってしまう。

まぁ別に悪いことではないのかも知れませんが、今後の世の中においては今までよりも個性が重要になることを考えると、それではダメな気がします。

だから、一旦そのベクトルを自分自身に向けて「自分には何ができるか?」「自分の力をどう表現できるか?」みたいな一大プロジェクトを目標にしてしまうと、意外と楽だし、そのベクトルが個性を作ってくれるような気がするんですよね。


僕はよく変わり者だと言われます。
また、他とは違った視点を持っているとか言われることもあります。

それは能力が高いとかそういう意味ではなくて、単に僕自身が僕自身のことだけしか見ない生き方をしている帰結だと思っています。

そして僕はそういう生き方や生きがいや人生の目標が好きだし、だからそれを最大限追い求めて生きているんですね。


押し付けるつもりは毛頭ないし、責任を取るつもりも毛ほどもないんですけど、今回の内容が何かの参考になったらすごく嬉しいです。


今回は以上!

また次回お会いしましょう!

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