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便利さってなんだろう?

 渓さんの目指す理想の暮らしに欠かせないパートナーの存在、のぶさんがいよいよ登場です。都会でプロカメラマンに従事する暮らしから、今の暮らしに至るまでにいったい何があったのか?
少しづつ紐解いていきます。

「豊かな暮らし」と「便利さ」 の関係?

◎のぶさんの話:

「豊かな暮らし」を考える時に大事なのは「便利」とは何かって事だよね。

ここでの暮らしは、つながりが見える。都会での暮らしは、スイッチ一つで成り立ってしまうけど、それだと電気や水がどこからやってきて、僕らが排出したものはどこにいくのか、つながりが見えてこない。

目に見えない関係性の中での暮らしは、切り離された関係で、それを成立させるためにはお金が必要となる。好きな仕事をやれて、好きに時間を費やせればいいけど、多くの人は生活のためにお金を稼いでいるでしょ?

全員がそうとは限らないけど、自分の嫌な事をして、その時間をお金に変換する。それを考えると何が便利か?っていうことですよね。

「くらしのね」全景:(「くらしのね」提供写真)


例えば太陽光システムを組んじゃえば、それで何もしなくても充電して、電気自動車を走らせられるし、オマケに電気代もかからない。ガソリンスタンドに行って、お金を払って、そのために働くっていうのは不要になるんだよね。お金を稼ぐために働いていた時間を、自分の好きな事に充当できるってこと。そう考えたら太陽で車が走った方が便利じゃないですか?

子供の頃から自然が好き、動物が好きで、動物番組とかをよく見ていた。一方で、否が応でも飛び込んでくるニュースにより、沢山の種が絶滅していることを知ったり、子供の頃から比べてどんどん環境破壊が進んでいる現状を見て、このままいったら人類の未来はないだろうなぁっていう結論に達していて…。

それでも自分の生きている間は大丈夫だろうからまぁいいか、と結構楽観的な考えを持っていた。

作業小屋を自ら組み立てているのぶさん(「くらしのね」提供写真)

つづく…


<暮らしの中で扱うすべてのインプット、アウトプットをケアした営みが、本物の豊かさにつながっていくと言えるように思います。

日々使うもの、例えば食べるものが、どこでどのように出来て、どういう経路で私たちの手に届くのか、また、使用後にそれがどういった経路でどのように処理されていくのか、日常では、それが人任せになり、誰かの、何かの力に依存して暮らしが成り立っているというのが、多くの人の現状と言えるのではないのでしょうか?

それは「つながりがみえない」状態になっていると言え、見えないから無責任に暮らせてしまうことを意味しているとも言えます。
自分たちが当面生きていくには、それで良いかもしれませんが、その蓄積が子供達の未来を作っていると考えると、どうでしょうか?
自分は、世代を超えて豊かさを享受できる生き方に、少しづつでもいいからシフトしていきたいと思います。>


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