トシヤの雑記帳(31) ~黙読したときのリズムを大切に~
皆さん、愉しんでますか~?
「愉~more」(「愉しい」をもっと(more))のトシヤです。
本日三度目の投稿画面
今日(2019年10月3日)、三度目の投稿画面とのご対面。
また、感情や衝動に突き動かされてます。
今、気づいたことは、「思い立ったらその都度書いていって、投稿したくなったら投稿すればいいし、投稿したくなかったら下書きのままでいいじゃないか」ということ。
そんなに文字数はないので、そのままFacebookに投稿することも考えたのですが、Facebookを開くのが怖い気がします。
note v.s.Facebook
Facebookだと、「あの人が読んだらどう感じるか」なんてことが気になって、原動力となっている感情や衝動が力を失ってしまうように感じるのです。
それに、タイトルや見出しといった、noteにはエディター機能がFacebookにないのも、Facebookに投稿する際の、個人的なハードルになってます。
「どうして、他の人は、改行や段落構成を気にせずに長文をFacebookに投稿できるのだろう?」というのが長年の疑問です。
noteだと伸び伸び書ける理由
Facebookに比べて、noteってなんて伸び伸びと書けるのだろう~
改行や段落分けをしやすいし、自分が文章の書くリズムに合っています。
note万歳\(^o^)/
あ!そういうことか~。
文章を読むとき・書くときのリズム♪
自分はそのリズムがないとダメなんだあ~
どうも、Facebookの(改行や段落分けをしていない)長い文章に馴染めない理由もそこにある気がしました。
トシヤの情報処理の特性
リズムが重要なのは、以下のような情報処理上の特性と関係しているからと感じました。
①音声情報が全て脳内に侵入
②音声情報が脳内のモニターに活字で表示される
③表示された活字を黙読
④情報の取捨選択・処理
詳しくは、以下の記事を参照。
活字の場合、以下の①・②の処理はしなくて楽なのです。
①音声情報が全て脳内に侵入
②音声情報が脳内のモニターに活字で表示される
しかし、
③表示された活字を黙読
ここの工程では、音声・活字を問わず、黙読したときのリズムに、とても敏感な自分がいます。
黙読したときのリズムに大切にしたい!
黙読したときのリズム♪
せめて、自分が書く文章はそのリズムを大切にしたいです。
同時に、「黙読したときのリズムに敏感である」という特性も大切にしたいなと感じてます。もしかしたら、この特性を活かすことをこれからの人生の軸に据えればいいのかも。
やっぱり、noteを書くって、気づき・発見の連続ですね。
noteをやっててよかった~♪
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