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学問の愉しさに改めて気づいて

今宵は、いつもより2時間ほど早く書き始めている。
今日は夕方から、母校とある先生の最終講義をオンラインで受講していた。

その先生は、学生の面倒見がすごく良くて慕われている先生だった。
最終講義でも、言葉の端々に、先生が持っておられる温かさを感じることができた。

最終講義の後に、先生と少しお話する機会を持てて、とても嬉しかった。

実は、母校には足掛け12年半もの間、在籍していた。
以前に書いた「ダラダラとした学歴」のことだ。

こと就職に関しては、12年半もの間学生をしていたことはマイナスでしかないが、僕のこれまでの人生にとっては、かけがえのない時間だった。

最終講義を受講して、改めて「学問は愉しいなあ」と感じた。

時々、「一生、学生でいたいなあ」と夢想することがある。
学生でいる間は、奨学金の返済は免除されることがほとんどだ。
なので、どこかの大学に入学しては、卒業と同時にまたどこかの大学や大学院に入学する。

これを一生の間繰り返せば、ずっと学生でいられるな。
なんて、浅はかなことを考えたりしたこともあった。

少年老い易く学成り難し

最終的に博士後期課程を中退することになった自分にとって、「学成り難し」は身を持って感じることができた。

鬱を患っていたこともあるが、自分には学問の才能がないのかも知れない。

それでも、いや、それだからこそ、自分のペースで、自分が納得するまで、学問に打ち込んでみたいのだと思う。

今は、経済的な不安で頭がいっぱいだけど、もし今経済的な不安がないならば、何らかの形で学問を再開したいのだなということに気づいた。

そういえば、自分のペースで、学問を再開するべく、マガジン「トシヤの個人研究日誌」を立ち上げたのに、放置したままだった。

まずは、個人研究から自分のペースで始めていくことからかな。

経済的な不安も、個人研究をやらないことの言い訳に過ぎないな…
たとえ、お金がなくても、いや、お金がないからこそできることがあるのだろうな。

サポート、本当にありがとうございます。サポートしていただいた金額は、知的サイドハッスルとして取り組んでいる、個人研究の費用に充てさせていただきますね♪