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ロボットスーツを着たように

昨日は、午後から地元の図書館へ。
週末の台風で自宅に引きこもることを予想して、本を借りておこうと思い立った。

週末になる前に、早くも1冊読了。
『心のお医者さんに聞いてみよう この先どうすればいいの? 18歳からの発達障害 「自閉症スペクトラム症」への正しい理解と接し方』という書籍だ。

「常に過覚醒で緊張」という特性

書籍には、以前紹介した自分の特性

周囲に対処していくために、しらずしらずのうちに常に過覚醒で緊張した状態になりストレスをためこみがち

と似たような状況が分かりやすい比喩を使って書かれていたので、紹介しようと思う。

ちなみに、上記の特性はこちらの記事を参照。

外:ロボットスーツを着ている心境

自分がほかの人と少し違うことは自覚していて、周囲からはずれまいと必死になっているのが、自閉症スペクトラム障害がある人の外での姿。家を一歩出る、へんなことをして笑われないか、ミスをしないか、不安でガチガチに。それはロボットスーツを着たよう。緊張し、心が休まることはありません。

この、「ロボットスーツを着たよう」という比喩。
まさに、ガチガチ感を表すのにピッタリ。
そして、このロボットスーツの例えは続く。

家:ぐったり疲れてダラダラしたい心境

友だちと会うとほっとしますが、それでもロボットスーツのヘルメットをはずした程度のリラックス度。緊張は解けません。エネルギーを使い果たして帰宅すると、解放されてロボットスーツを脱いだ状態に。ぐったり横になったり、だらだらゲームをしたり、だらしなくなりがちです。疲れ切った神経の回復には、だらだら時間も必要なもの。でも親が厳しく叱ったりすると、家にも居場所がなくなり、二次障害を引き起こすことも。

友だちには申し訳ないのだが、上記の表現は僕にも当てはまる。
実は、他人とかかわること自体、心身に負担がかかるのだ。

それでも、他人とかかわりたい。
うーん。我ながら面倒で厄介だな~

帰宅後に、ぐったりしたりだらしなくなるもの、あるある。
やはり神経が疲れ切ってしまうのだ。

ロボットスーツの例えに魅了

それにしても、この「ロボットスーツ」の例え、本当にピッタリ。
これから自分の特性を説明するときに、使えそう。

「外では、ロボットスーツ着たみたいにガチガチで緊張するんです」
うん。自分の「常に過覚醒で緊張」という特性が、より伝わりやすそうだ。

なんてことを考えるあたりが、自分らしい。
思わず苦笑してしまった♪

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