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口語散文集 4

  晴れのちくもり

 みつあみのことを英語でブレイドと言うけど、とぎすまされた金色のかがやきの二本のおさげは、きっとお母さんにしてもらったのだろうけど、それさえ、この子は覚えてない。記憶がないことのこわさは、わたしにも少しは分かる。飲みすぎて、二日酔いで、睡眠薬で、わたしはわたしのしたことを忘れて、忘れていることがたしかなら、あとで知り合いに確認しなければならず、そんなとき、変なことをしてないか、してたら、それは誰の責任か、いちいち心あたりの人に聞いてまわっているのだけど、それは、わたし以外の誰でもなくて。記憶の量が経験で、経験の一貫性が自分なのだとしたら、自分がとぎれてしまっていることは、とりかえしのつかない損失であるような気がして、まして、迷子の子猫ちゃんの状態の、この、アリスの血をひく女の子は、クチナシの花の浴衣を選んだことをどうやって思い出し、まっさらなA4のような気持ちで夜空を見あげ、フィナーレ、心からたのしむことができるだろう。
「男の子の服を着てたことで、死刑になった」
「なにそれ」
「でも、黒こげになっても、灰を川に流されても、わたしは生きてて、オランダでやさしい人に助けれられた。チワワが舌を出して、サンダルが脱ぎ捨てられてる部屋で、わたしは手をにぎられて、結婚の誓いをした」
 綿あめを見つめながら、自信なさそうに言った。それは、きっと、からっぽになった頭のなかでよみがえった前世の記憶で、いっしょに来た大人、友達を見つける手がかりにはならない。
 月にうすい雲がかかったのを合図に、みんな、てんびん座で一番あかるいβ星へ手をのばした。ライター、マッチの火、携帯の画面、それぞれの指の先からちいさな光がはなたれて、うずを巻いて、灰色の空がシャンパンの栓をぬいたようだった。この景色は知ってる、と、女の子は泣いた。

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