千人の女の子の夜になっちゃんは死んだ (11)
それから、おぼえてない。
あいまいな、押入れのなかみたいな、ぼんやりした夢のなか。時間も飛んで、わたしは、階段の踊り場、まだ外の光は雲にさえぎられてて、おばけみたいな黄ばんだまるい電球の下、次のまがり角の踊り場に影を落として、チョコレートのかたちと色のドアの前で、前衛的なせんぬきみたいに腰に手をあててた、奈津美を見あげてた。
スカートをパラシュートにして、たしかに、その瞬間、浮かんでた。二秒か、三秒か、そのステージの夜明けの場面から、十段とか十五段のあいだくらい、それなりに高低差のある、わたしの夕焼けのオレンジの光のなかに飛んだ。ひまわりの造花がクリスタルの花瓶に一本だけさしてある、荒いタッチの船と海と港のむらさきがかった絵がかけてあるだけの、無防備な、赤裸々な楽屋だった。はりついて、じれったい、ぜんぜん動かないスローモーション。
ひとつひとつ、ドレープをのばして、いっぱいに風をつかまえて。腕をあげてた。黒い爪の指先、羽になってた。
木漏れ日の山道をのぼりきって、神社の黄色い鈴とささくれたふとい縄の正面、賽銭箱までつづく飛び石を、一個、二個、スキップするみたいにまたいで、五歩くらいでゴールした。そんな感じで、でも一歩で、もう、わたしのすぐあごの先、前髪がわれて、おでこをさらして、つきつけて、上目づかいで、
「行くよ」
わたしも、
「行くよ」
「見た」
「うん」
適当に言っただけだけど、すぐに、なにを聞きたかったのか分かって、
「黒かった」
「正解」
「上も」
「なんで上下ちがう色なんだよ。そうだよ。黒だよ。これだから」
「なんだよ」
「処女は」
雨はあがって、ぶあつい雲が切れてた。希望とか、最後の審判とか、愛とか真実とか、タイトルに入ってる歌のCDのジャケットみたいに、光の柱がななめに代々木のほうにそびえてた。虹はなかった。その谷間から、どんどん、わたがしみたいに裂けていって、最初のお店に入って出たときには、もう、いつのまにか晴れてた。その青空は、あこがれ、夏もよう、思い出、って感じの映画の予告編だった。
それって、
夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれに さまよう
青空に残された 私の心は夏模様
夢が覚め 夜の中
永い冬が 窓を閉じて
呼びかけたままで
夢はつまり 想い出のあとさき
なんだよ。
奈津美は昭和が好きだったから、てゆうか、音楽ならなんでも好きで、時代とか関係なく、気に入った歌をよく口ずさんでた。
だから、
貴方は もう忘れたかしら
赤い手ぬぐい マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が 待たされた
神田川の歩道で、当然、歌った。なんでそこから、って、変わったところから歌いはじめる子で、
一緒に出ようねって 言ったのに
から、二番に入るまでつづける。たぶん、井上陽水は音楽の教科書にのってて、リコーダーで吹いた。小学校の四年か五年のときで、それからずっと、ふたりで歩いてるとき、舌をしまい忘れた猫みたいに、わたしより二歩先、ななめ前で、力をぬいて、敵はいないって油断しきってるとよく歌う。
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