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千人の女の子の夜になっちゃんは死んだ (21)

 風に流されないように、がんばって話してたんだけど、微妙なニュアンス、言いたくないことを言いたくなさそうに、それでも、言う、って感じとか、ため息とか、目が泳ぐだろうし、あと、笑ってごまかすのも、魔女の高笑いじゃなくて、チェシャ猫のくすくす笑いがいい、そういうのが、全部、つかえない。残念ながら、人生の話なんて、こまかい、暗くなりがちな、でも色彩ゆたかな、誰が話したってそれなりにおもしろいに決まってる、繊細な話題にはむいてなかった、あんなシチュエーション。縁石にのりあげて、あんまりタイヤに空気が入ってなかったから、がっ、たん、って、二回、自転車がはねる。車輪の骨までひびいて、荷台の奈津美の背骨もびりびりする、肉がないから尻が痛かっただろうな。わたしは立ちこぎだし、わざわざ、わざと段差のあるところを選んでたから、大丈夫だった。奈津美がいやがるから、どんどんスピードをあげていった。
「人生ね」
 別に、ぜひとも聞きたかったわけでもない、なんか。
 どうでもよくなった。
「迷った」
「は」
「迷った」
「馬鹿じゃないの」
「自分の家に帰るのにね」
「ねえ」
 なんて、また、笑いながら、ちゃんともとの道にもどれた。馬鹿ではないから。一本道だし、川に近づけば水のにおいがするし、迷ったままでいるほうがむずかしい。それでも迷えるのは、本当に、中学生って家と学校をむすんだ最短距離の線の上しかとおらなくて、そこからはずれるとなんにもできないんだなって、てゆうか、なんにもすることがない。
「ハ、レ、ル、ヤ。ハロー」
「うるさいよ」
「優子ちゃん」
「なに、なっちゃん」
「これ、なんだ」
 奈津美、落とされないように、牢獄の檻の鉄棒にしがみつくみたいに、一生懸命、指をからめてて、夢うつつでも力はぬかなかった。
 その、しびれた指で、わたしの肩甲骨のあいだ、ちょうちょの羽のかたちをなぞったんだ。
「無限大」
「は」
「自転車」
「なんで」
「じゃあ、8を横にしたやつ」
「ああ。じゃあ、それでいい」
 シャワーくらいでいいと思ってたけど、本当に入浴した、お湯につかった。当然、わたしが先に風呂場をつかうべきで、そうしてたけど、奈津美が入ってきた。もちろん、全裸で。
 わたしと奈津美は、二階をうろうろしてた。プールに入って、汗を流したことにした。塩素とかで消毒される。ふたりきりだった。プールにいっしょに入った、あれもふくめるなら、本当の最後の三回目だ。
 カレーは、おいしかった。部員のみんなの保護者がつくった、理想的な家族カレー、って感じがした。
 七時から、体育館で二時間、合奏した。
 汗はかくけど、しっとり、夜明けの霧の森を歩いたような感じ、腕に水の玉が浮かんできて、なんかそういう生物みたい、手足からカエルみたいな卵を吐きだすクリーチャー、なめらかなCGで誕生させられた、地球には存在しない二足歩行の爬虫類の怪物で、なんて、そこまで気持ち悪くはならない、外に出たら、一瞬で蒸発した。
 ごはんを食べた。
 風呂に入った。
 もう、なんにもやることはなくて、しちゃいけなくて、一刻も早く、寝ないといけない。

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