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『日本舞踊をはじめた頃のこと(幼少期)』vol.1

物心着いた頃には、日本舞踊のお稽古をしていました。
姉も、八歳上と六歳上の従兄弟二人(伯父の息子)も日本舞踊のお稽古をしており、私も当たり前に日本舞踊のお稽古をしていたのです。

本人は覚えていない話なのですが、
女形のお稽古をすることを頑なに拒んでいた私が(当時男子校に通っていました)祖父に面と向かい「女の子の恰好は絶対にしたくない」と談判したそうです。周囲はヒヤヒヤしたと聞いています。

祖父二代目花柳壽楽は、子供の私にとって、とても厳しいひとでした。まだ未熟だった私には、難解に思えることが多かったのです。

三面子守りという演目があります。
江戸時代から大切に踊り継がれている演目です。

この演目は、始め、鳥屋口(花道の出てくるところ)でトンっと足を踏んでから花道を駆けて出てくるのですが、そのトンっと踏む度に「違うっ!」と怒鳴られ(しかも踏んでいる姿は鳥屋口の中なので、まだお客さんの前にも出てきていない)

やっと花道に出てこれたと思ったら、また「違うっ!」と怒鳴られ、何が正解で何が不正解なのかも分からないまま、何度も何度もそこだけをやり直させられた記憶があります。

当時は意味も分からず、悔しい思いしかありませんでした。ただ、自分も指導する立場になり、祖父の思いを私なりに理解出来てきたのです。今では、その熱意と深い思いに、敬意を抱いています。

あの時の三面子守りのお稽古のことも、思い返します。祖父に直談判するほどに嫌がっていた女形を初めて舞台で踊ることになり、私の中には、消化しきれていないわだかまりがうまれていたのでしょう。

そのことを、私の動きを見た祖父は私以上に感じとり、叩き直すために、あのような指導になったのだという思いに至りました。
今は深く反省し感謝しています。

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