邦楽『knife vacation』 その暴力性に何を見るか

もっと早くハマるチャンスはたくさんあったのに、もったいないことしたなあ、と思う。凛として時雨、彼らを最近聴いている。

彼らルーツが面白い。XやらLUNA SEAやら、あまりロキノン界隈の人たちが口にしないようなバンドが挙げられている。確かに刹那的な世界観や、つんざくような音像は、そのルーツが伺える。こりゃ若者の感性に響くわ。それにフロントマンのTKが初めて買ったギターがLUNA SEAのINORANモデルのグラスルーツ、というエピソードも好き。

どの曲も彼らの個性が出てる。めっちゃ不器用だけど、すごく熱い。死の間際で生きているような、孤独の淵でなお共感を求めずに叫んでいるような、そんな孤高な姿がおもい浮かぶ。

歌詞は全体的にふわふわしていて抽象的だけど、だからこそいい。聴き手に完全に委ねられるから、聴き手のコンディションで感じ方が変わる。

ここのところとても好きなのが2ndアルバムに収められている『knife vacation』だ。

リズムは軽快だけど音はやはり彼ら。重く鋭いギターとTKの声、暴れるドラムとベース、叫ぶ345のボーカル。そしてキーワードだけが散りばめられた歌詞。

何よりこの曲の終盤、TKのシャウトが圧巻だ。

不意に聴いて、泣きそうになった。なんで?? 自分でも驚いた。

その理由を探すことが、彼らの魅力にさらに迫ることになるのだろう。

だけどそれを探ろうとも思わない。思うに、彼らの音楽は解説するものではない。

いつまでもフラットな気持ちで聴いていたい。

でも少しだけ考えるとすれば、彼らの音楽は失くしたものを歌っているように感じる。聴いているとそれを突きつけられている気分になる。聴き手が現状に満足していれば、何も感じないかもしれない。だけど逆に後悔や疑念が強ければ、彼らの音楽は途端に牙を剥くだろう。

だから癖になる。いつまでも酔いしれていたいと思ってしまうのは、ダメなことだろうか。

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