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オムライスからsioまでの私

はじめまして、代々木上原にあるレストランsioで料理人をさせて頂いております、中村俊也と申します。
初めましてなかたも、そうでないかたも
初めまして。


オムライス

中学生のころ自分の作るオムライスが一番好きなオムライスだった

中学生になり料理を作り始めたと記憶している。友達が家に来た時にはチャーハン、焼きそば、オムライスなどを作って食べてもらっていた。
みんなも、うまいうまいって食べてくれるんですよ。そこで初めて人に料理を作る楽しさを学びましたね。
あっ嬉しいなって

そんなこんなで、高校時代は部活せずにいろんな飲食店で調理のアルバイトに明け暮れてました。
とにかく料理している環境にやり甲斐を感じて楽しかったんだと思います。

卒業後、、、何を思ったか美容院で働き始めます。笑
服や美容に関して興味があったんだろうとは思いますが、正直今noteを書きながら考えてもちょっと謎ですね。笑
服飾とか美容師に憧れてたんじゃないでしょうか

2年程勤めてある程度できる環境にはなってたんですが、
そんなことより海外行きたいよね?

ということでそこからカナダに飛びます
「なんでやねん」という突っ込みが飛んできそうですが、そうも言ってられません。
でもそこで気づいちゃうんですよ

俺、料理が好きだ

遅っ、完全にもっと早く気づいてたよね?
気づいてたけど気づいてないフリしてたの?
自分の好きな子に好きな子がいたから、
好きだって気づいてないフリしてたの?
という突っ込みが飛んできそうですが、そうも言ってられません

カナダのバーガーショップでバイトしてたんですね。そのとき久しぶりに料理したんですよね。
バイトが楽しくて仕方なかったです、というよりは料理を作ることが楽しかった。
仕込み工程があり、調理され、一皿として完成されていく

その流れを体で感じるのがとても好きだった


知らないことを知っていくのが単純に楽しかったんだと思います。

カナダの後はペルーに飛ぶんです。
ペルーの食文化を体で感じたかったから。

これは完全に旅ですね。
本気の山奥にあるゲストハウスで「ここで働かしてくれ」と頼み込み現地の料理を学んでみたりもしました。多分かなり迷惑だったと思います、、、笑
とにかく情報は自分の目でみて体で体感したものしか受け入れたくない性格だったんですよ。
新しい食文化に触れるのが楽しくて毎日ワクワクして旅してました。ペルーの食文化についての詳細は割愛しますね。
どんどん料理への愛が芽生え、この時ようやく、日本に戻ったら料理をやろうと心に決めたのを覚えています。

料理人

帰国後ちょっとした和食屋さんで働き始めます。
しかし一年程働いたとき店が閉店となってしまいます。その頃ちょうど自分の中でフランス料理という単語が気になり初めていた頃で、フレンチやってみたいな、(かっこいいし)と薄っすらと思ってました。
料理屋の大将にどうする?系列の店あるからそこでやるか?と言われる中、俺フレンチやりますと勢いで言っちゃったんですよね。
そしたら大将がどうせやるなら東京行ってこいと背中押してくれました。「この時自分は大阪で働いてました」この言葉がなかったら今の自分はないと思う。本当に好きな大将でしたね。
やると言ってしまった手前、もうやるしかないっしょ、ってことで東京に向かいます

東京

いよいよフレンチを本格的に始めます。
入ったレストランは「レゾナンス」現在はフレンチではありません。
そこで強烈な挫折を味わいます
知識、技術、言葉、全てゼロスタートだった訳ですよね。完全に甘くみてたし、その頃の自分は本当にクソッタレの甘ちゃんだったので、
働けば何とかなるだろうと思ってました。
今までもそうだったんです。
バイトのときも美容院で働いている時も、海外行く時も行けばなんとなくで何とかなってきた自分がいたんですね。
それが今回は完全になんともならなかったです。右も左も上も下も分からなかった。自分で努力しなきゃどうにもならんと。
努力のし方を知らなかったんですね。
良くこんなクソッタレを雇ってくれたもんだとその時のシェフには感謝しかありません。男気のある良いシェフでした。
そこではとにかくフレンチの基礎的な所を学ばせていただきました。ありがとうございました。
働くなかでその店では学びきれないもの(そのお店のの様なものです)がでてくるんですね。
もっと食材や素材と向き合えるお店にいきたいなと。
そんな中で出会ったお店がラボンヌターブルでした。まさしく自分が欲していた要素が全部詰まったお店でした。

がしかし、
前回以上の挫折を味わうんですね。
今までやってきたものとはゴールが全く違うんですよ。考え方も違うし、捉え方も違うし、スピードも違うし、料理へのアプローチのしかたが全然違ったんです。
料理に対して考えている情報量が全然違ったんですね。本当の料理人ってこうなんだなって
俺もこう言うことがしたかったんだって
そこからは本当毎日瀕死状態で毎日を過ごしてました。
自分プレッシャーに弱かったんですよ
メンタル的にも弱かった
でも課題を一つ一つをクリアしていくしかなかったですね。そこに関しては近道なんてなかったです。今まで楽したツケが回ってきた感じですね。

緊張感が上がるとドキドキして息苦しくて上手くプレーできないんですね。それさえなければ上手くいくのに、と何度も悔しい思いをしました。
課題は一つ一つクリアしていってるはずなんだけど、プレッシャーへの克服はなかなかできない。
ある時ね、気づいたんですよ
なんかドキドキするって自分の中でネガティブワードだなと。
感じ方を「ドキドキする」ではなくて「ワクワクする」に変えてみようって思ったんですね。(自分の中でワクワクするってポジティブワード)
そしたら徐々に物事が上手くいくようになったんですよ。
考え方って大事だなと思いました。
この前、宇多田ヒカルがラジオかライブか忘れましたが、全く同じこと言っててビックリした。
そして宇多田ヒカルと一緒だって少し嬉しくなってしまった。笑 
話はそれましたが、自分に対してのマインドコントロールもこの時に身につけた気がします。

ここでは料理はもちろんですが、そういったものから人材育成、原価のことなんか、いっぱい学ばせて頂きました。ありがとうございました。

sio


2022/01/13いよいよ代々木上原sioにやって参りました。
イメージではsioに来たというより鳥羽さんの中に来たというイメージの方が近いかもしれません。


Gris(現在sio)の時代に研修に何度かお邪魔させてもらっていたんですね。
その時からこの人凄いな、見てる景色違うなって
思ってました。

その時ですね、鳥羽さんに(トシ、五味って分かる?)

自分としては、まぁ一応分かりますよ。旨味、甘味、酸味、塩味、苦味、ですよね?
くらいの認識でした。
ただそこの解像度と重要性を示したのが鳥羽さんでしたね。五味についての重要性を教えて頂きました。
それからも度々sns に登場する鳥羽さんを見ながら共感してました。

今のところでやり切ったら次は鳥羽さんのところで働きたいなと思ってました。
料理やお客さんへの愛のレベルが違うんですよね

ってな訳で只今、半月程働かせて頂いてます。
今のところ転職後に必ず起こる強烈な挫折は味わっていません。笑

が、足りてない所もたくさんありますので、美味しいで沢山の人を幸せにできるように頑張っていきたいと思います。

最後に自分がここに来た理由

料理人としては結構あるあるかもしれないですけど、ある程度やっていればそこまで考えてなくてもある程度美味しいものを作れてしまう。法則と味付けでだいたいの美味しいものは作れるんです。
でもそれでは全然だめな訳です

なにが言いたいかというと、僕が思うに
美味しいものを美味しく作る、はスタート地点

(例えば肉じゃがを美味しく作れる、カレーを美味しく作れるはスタート地点ってことです)

大切なのはそこからで
その先の世界観なり、創造性、組み合わせだったり、表現方法や食材への向き合い方だったり、経験だったり、知識だったり
どれだけお客さんが食べるところのゴールを描けているかで仕上がりが全然違ってくるということ。
クラシックな料理に敬意を持って
従来ある美味しいを更に美味しくすること
新たな美味しいを作りだすこと
美味しいの底上げをすること
美味しいで皆んなを幸せにすること

要するに

幸せの分母を増やす

というところに繋がるわけです。

自己紹介にしては長すぎる3500文字になってしまいましたが最後まで読んで下さった方は本当にありがとうございました。
少しでも読んでくれた方もありがとうございました。
次は料理についても書きたいと思っていますので宜しくお願い致します。

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#sio
#中村俊也
#幸せの分母を増やす






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