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小説「天上の絵画」第二部

『渡井蓮 二十三歳 画家』
 『経歴:世界絵画大賞展 大賞受賞 他多数』
 『これまでにマネージャーがついた経験はなく、個人で活動』
 
 「名前聞いたことない」
 「私も。でも見て!『世界絵画大賞展』ってちょっと前に発表された、世界規模のコンクールなんだけど、大賞受賞は日本人では初の快挙なんだって」
 「すごっ!」
 「でしょ。しかもこれまでの経歴もすごいのよ。十歳の時に『全国小学生絵画コンクール』って大会で金賞に選ばれてて、これも当時の最年少記録で、他にもほら―」
 理恵が画面を操作すると、画面の上から下までいっぱいに、文字の羅列が表示された。
 「これ全部?」
 「天才ってこういうことよね」理恵が感嘆のため息を漏らした。「うちも完全にノーマークだったみたい。それで急いで連絡とって、マネージャー契約を結んだらしいわ。本部の磯谷さんが得意顔だったわよ」
 アーティストとの交渉、契約は本部の専属社員が担当する。弥栄子たちのマネージャーは、契約が決まったアーティストを勤続年数や経験によって、適当に割りふられる。
 「磯谷さんの第一印象は、そんなに悪くなかったみたい。受け答えもできるし、ちゃんと話も聞いてくれたって。ただ業界のことには疎いみたいで、自分が歴史的な偉業を達成したってわかってなかった。私たちみたいなマネージャーの存在も知らなかったそうよ。あと、けっこう人見知りが激しそうだから、打ち解けるまでには時間がかかりそうね。でも弥栄子ちゃんなら大丈夫よ!」
 理恵が両手を握って、軽くガッツポーズをした。
 確かに三島よりは扱いやすそうだし、これだけの経歴があるのであれば、実力は十分。将来も期待できる。ブランディングとマーケティング戦略をしっかり組み立てれば、日本を代表する画家になれるかもしれない。
 だが同時に不安もある。
 こういう天才タイプは、人としての常識や道徳心といったものが、すっぽり抜け落ちている場合が多い。弥栄子の偏見かもしれないが、これまでの経験から天才的なアーティストになればなるほど、そういった傾向が強いことを学んだ。三島の女性差別もしかり、今回の渡井蓮の人見知りにも不安がある。磯谷の話では受け答えはちゃんとしていたそうだが、それはほんの数時間の話である。マネージャーは、数週間、数ヶ月、ときには何十年単位でそのアーティストと関わっていくことになる。現時点では完全な憶測だが、これまでの経歴と磯谷の人物評から、わずかな不安を感じていた。もしくは、三島の件が尾を引いて、懐疑的になっているのかもしれない。
 最初の一歩をなかなか踏み出せない弥栄子の背中を押してくれたのは、やはり理恵だった。
 「何?迷ってるの?どうせ、三島先生の件を引きずって、あれこれ考えすぎちゃってるんでしょ。弥栄子ちゃんらしいわね」呆れ顔で肩をすくめた。
 「だって…」
 「だってじゃないの。あのね―」前屈みになりグッと顔を近づけた。「アーティストに常識人なんていないの。全員頭のネジが一本抜けてたり、人の気持ちが理解できない人ばっかり。私だって、今まで散々振り回されてきたわ。下げなくてもいい頭を、嫌々下げたこともいっぱいある。ストレスで円形脱毛症にもなったのよ」
 「本当に?」初めて聞く話に、目を見張った。
 「それでもこの仕事を辞めなかったわ。どうしてだと思う?」
 弥栄子は首を傾げた。
 「非常識な人が生み出す芸術に、大勢の人が魅了されるからよ。悔しいけど私も感動で泣いちゃったことがあるわ。同じ人間なのに、どうしてあんなものが生み出せるのか未だに不思議よね。私には生まれ変わったってできやしない。でも、大勢の人があんなに感動してる姿を見ちゃったら、もっといい作品を届けたいって思っちゃうじゃない」
 少女のように輝いた瞳を見て、三年前の自分を思い出した。
 「まあ結局拍手喝采を浴びるのは非常識な人だけで、私達は存在さえ知ってもらえないけどね」理恵は皮肉を言いながらも、満足そうな表情を浮かべていた。「縁の下の力持ちよ」
 「例え古くない?」弥栄子はわざとらしく鼻で笑った。 
 自分と同じように、たまたま知った一つの作品がきっかけで心を救われる人がいる。傷つき、悲しみに暮れていた弥栄子は、一枚の絵に救われた。あの出会いがなければ、今この場所にはいないだろう。自分に絵の才能はないが、アーティストをサポートし素晴らしい絵を届けることはできる。そう思いこの仕事に就いた。
 「いいわ。やってみる」両手を組んで大きく伸びをした。不思議と今までの不安や憂鬱が晴れていった。
 理恵が「じゃあ吉中さんに伝えてくるね」と席を立った。その後ろ姿はなぜだか弾んでいるように見えた。


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