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育休を1年とって変化したマインド

育休を取得して考え方が変わったことがいくつかある。うまく言葉にできるか心配だから先に伝えておくと、この記事は少し曖昧で冗長なものになるかもしれない。順序立てて書けないと思うし、そうしないほうがいいことのようにも思う。だから、一種のエッセイのような文章となりうることを承知いただきたい。

さて、本題に入ろう。考え方が変わったことは、大きく2つあると思っている。一つは、好きなことやりたいことは我慢しちゃいけないということ。もう一つは、暇と退屈に対するとらえ方だ。この記事では1つ目のこと、つまり、「好きなことややりたいと思ったことは機を逃してはいけなくて、旬なうちにやってしまうべきだ」という考えについて書いていこうと思う。

私には、子供が二人いる。一人目は11歳で、もう一人は1歳。10歳差というのは子どもが成長するうえでの観察に割と適している年の差だと思っている。10年経つとこうなる。あるいは、こうなってしまう、だから1歳の時にこうせねば、とか考えをいったり来たりできる。

育休を取得して0歳から1歳にかけて成長する子どもを間近に見ることができた1年だった。長男の子育てを経て得た教訓として、かわいい仕草はすぐにやらなくなってしまう。とにかく、タイミングを逃さずカメラにおさめるべし!というものだった。声をかけると恥ずかしがって目をそらすしぐさ、特定の言葉をかけると爆笑する顔、ハイハイの不器用ながらかわいい動き、カメラの容量が10年前と桁違いなこともあり次男の成長にあわせて我々両親は写真を撮りまくっていた。

モンテッソーリ教育にもこの考えににたものとして敏感期というものがあり、特定の動作を特定の期間繰り返すとされている。引っ張ったり、落としたり。私もそれを知ったうえで子どもと接ししたが、驚かされるのはその期間の短さだ。なんでもひっぱりだすいたずら行為に悩まされていたが、気付いたらそれは終わってしまっていてまた次のお気に入りを見つけている。モンテッソーリでは敏感期に思う存分そのことを実施させておくべきだという考えがある。ひっぱりたいなら、ひっぱりたいだけ、落としたいなら落としたいだけとにかくやらせる。それがその子の成長へとつながる。

実は長男については初めての子育てということもあり、こういったやりたいことを目いっぱいやらせることができていなかった。引っ張りだすいたずらをされては本人の怪我にもつながりかねず、大人も片づけの労力が必要になる。だから、鍵をかけたりロックしたりしてその行為が行えないような制限をかけていた。
長男については思い当たることがほかにもある。子どものころから親が先回りして転ばないようにしてきた部分が多いにあったように感じる。失敗しないように先回り先回り。子どもがこうしたい、というと、その次に出てくる言葉はそれを否定するようなこと。「そんなことしたら・・・」「それだとね・・・」など。これでは、自分からあれこれ試してみようという考えは生まれにくいよなと、いまさらながらに猛省している。

そんな長男はやはりのびのびとやらせてくれなかったことをネガティブに思っており、やりたいことを封じられて癇癪を起す弟に対して「分かるよ。俺も昔はやりたいことをなんだかんだ利用をつけてやらせてもらえなかった。本当はやりたかったけど言っても無理だろうと思うようになり、無駄なことはしないようになりやりたいことを我慢するようになったんだ」と。長男よ、それは申し訳ないことをしたと内心思いながら聞いていた。それが影響したのか分からないが、長男はかなりの引っ込み思案な性格に育っている。そういう性格だったからこういう発言が出たのか、こういう経験がそういう性格につながったのか分からないが少なくとも関係がないことはないように思う。
とにかく子育ては転ばせてなんぼだと今は思いながら次男の成長を支えている。

私自身の話もしよう。育休前、仕事が忙しかった時は正直、娯楽ややりたいこと楽しみたいことは先送りにしていた。それよりも、仕事、子育てが優先されていた。なんなら老後にやると温めてある企画もあるくらいだ。
育休に入るまえもやりたいことを作ってこなそうと思っていた。ただ、別記事にも書いたようにこれは全く果たせないまま終わってしまっている。
しかも今リストを見ると全く行きたくもないようなレストランや、見たくもないような映画がのっていたりする。当時、SNSなどで見ていいなと思ったものを記載したのだろう。時間がたち冷静さを取り戻すとそれほど行きたくもないと落ち着いてしまったものたちだ。

また、もう1つ悔しいが年齢が上がったことでやりたいことリストから外れてしまったこともある。脂っぽいラーメンとか、肩や腰の怪我によってNGとなることがよぎなくされた旅行やスポーツなどの瞬発力・体力が必要になるような娯楽達。いつかやるいつかやると思っているうちに体の方が十分に楽しめないように変わってきてしまったという悲しい思い。さらには人間ドックで重大な病気の疑いがこの1年でかかったこともあり、ますますやりたいことは早めにやらねば旬を逃してしまうという焦りが増している状況だ。

復職に向けてこれからの会社員人生で大事な取り組みあるいはテーマとして考えたいことがこの点だ。つまり、日々の労働とその時々で発生するやりたいこと、これらを川の流れのごとく、流々とスムーズにこなしていくような人生を歩みたいが、それを実現するにはどうするべきか?
大量のやりたいことリストに欲望を退避させて、時が流れていくのだけは避けたい。次にまとまった時間が取れるのはいつだろう。体を壊したときか、老後しか思いつかない。少なくとも体が動くうちに、できる環境のうちに(最悪、戦争とかおきてしまっては仕方ない)やってしまいたい。

また、育休を取得して思ったことは、やりたいことリストをためて一気にやろうとしてもうまくいかないということだ。当たり前だが、1日においしく食べられる食事量に上限はある。1日のキャパシティの中で快適にリストを消化していくためには、時間と体力、場合によってはお金も必要となってくる。
よって、どれも一気に使おうとすると枯渇する資源だ。だからこそ、日々の生活の中に徐々にしかもタイミングよく取り込んでいけるような仕組みを検討する必要がある。

いったん、今時点でやるべきことは、体の健康にもっと時間とお金を使うこと。特に運動は大事。それから、子育てに足を突っ込むのはほどほどに。結局、自分の息子と自分は別の人だと強く自覚すること。足を突っ込めば突っ込むほど、転ばせてなんぼの精神から乖離していく。あとは仕事を継続的に行えるようなマインドづくりだろう。


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