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英語に訳せない時にピンとくる

時々、どうしても英語に訳せない時がある。「ちょっとまとめておきます」「根回し」「空気(読むやつ)」などがあるけれど、やっぱりこれである。

推し

ちょっと詳しい人であれば「Stan」では?と言うかも知れない。StanはEminemの楽曲 Stan に由来がある。Eminemの熱狂的なファンで、彼にストーカーまがいの手紙を送りつけた結果曲名にもなった青年の名前(本名かは知らん)であるらしい。辞書的には、熱狂的または偏執的すぎるファンのことを指す。はっきりいってぜんぜん違う。そして推しに加えて、同レベルの翻訳できないパワーワードといえばこれである。

かわいい

「Cute」は?と言う人もいるかもしれない。だけど、Cuteはかわいいのごく一部に過ぎないというのが僕の実感である。Cuteは基本的には、子犬的なかわいさのことを指していると思う。だからこそ、(ビジネス英語に限定されるが)英語で会話している時にCuteという単語がでてくることはまずない。でも、日本語だと、仕事をしている時だって頻出語レベルで言う。全然意味が違うと肌で日々実感している。

かわいくて推せる

掛け合わせてしまった。

しかしこれは冗談ではない。実際、「かわいいから推す」ことは多い。といっても「子犬的な」かわいさのことではないし「Stan」的に偏執的に好きというわけでもない。「かわいくて推せる」とは、「あなたにはわからないかもしれないが、自分の目線からすると控えめながらもはっきり感じられる、自分にとってはどストライクな要素を持つ、それがあるとちょっとだけいつもより充実した時間を過ごせる存在なんだよね」という感じの意味である。

ところで、アメリカ人が物事を理解するときは「ロジカルに分ける」ことから始まるのだろうと思うし、日本人は「包括的に見る」ことから始まるのだろうと思うと書いたことがあった(なんでアメリカのホテルには歯ブラシがないの?レストランでチップ払うの?)。包括的に見る。つまり日本人は全体をふわっと見て感じることからはじまるらしい。

よくよく考えてみると、「かわいい」も「推し」も、めちゃくちゃに包括的な視点であるように思う。何か具体的な要素を指して「かわいい」と言っているのではなく、「色んなものがある中でかわいみがある」時に「かわいい」と言うし、何か具体的な状態やアクションを指して「推し」ているのではなく、「色んなものがある中で推しみがある」時に「推してる」と言う気がする。

言い方を変えると、日本人は、ふわっと見た結果見えたものに言葉を付けることができるのかもしれない。冒頭にあげた「まとめる」も「空気」も、実際、ふわっとしたものを指している。一方で英語はそういうことはできない。なぜなら、英語はロジカルで分解的だから。だから部品に分けられないふわっとした概念、例えば「かわいい」や「推し」や「まとめる」や「空気」をきちんと訳せない。

英語に訳せない時にピンとくる

僕はビジネスの世界に生きているけれど、マイケル・ポーターを始めとする経済学系の経営学では、違いを作ることが競争優位の源泉だということになっている。その視点からすると、包括的なものの見方から生まれた日本的価値観は、対世界において、真似できないという意味で、非常に強い競争優位を築くことができることになる。僕は海外で作ったゲームを日本で売るという仕事をしている。でもいつか、日本で作ったものを海外で売りたいと思っている。今はそのための学びの時期とも思っている。だから、英語に訳せない時に、ピンとくるのである。

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