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儲けながら解決できる社会の課題が枯渇してきている

松下幸之助による、松下電器に関する「水道哲学」という有名なビジョンがある。

乞食が公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵にたらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に極楽楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る。(一部略)

水道哲学 - Wikipedia

今から(たった)80年前の当時は、社会の課題を解決することそのものがビジネスの大きな目的に成り得たんだと思う。要は世の中は不便だし、不健康だし、改善の余地が大いにあった。

一方で現代はというと、社会に「儲けながら解決できる社会の課題」が少なくなってきている。例えば、ファクトフルネスで書かれているように、世の中は(完璧とはほどとおいながらも)世界的に観ても生活水準が劇的に改善されている。世の中が住みやすくなったことを示す一つの指標とも言えそうな「幸福度」を見てみても、少なくとも日本では1981年から今に至るまでざっくり右肩あがりでもある。

さらにいえば、「儲けながら社会の課題を解決するのは難しくなってきている」と感じさせる動きもたくさん見られるようになっている。例えば「社会」起業家の登場やCSR、コレクティブ・インパクト(と呼ばれる様々なプレイヤーが共同して社会課題解決に取り組むための一つのスキーム)やSDGsなどがそれにあたる。

持続可能性を高める努力をすると、事業成果に明らかに好ましい影響が及ぶ

HBR 2019年2月号 - 持続可能性を戦略の柱とすべきもっともな理由

ミレニアム世代の80%以上が、(中略)ビジネスの最大の目的は利益を上げることだとは考えておらず、むしろ社会的価値を生み出すことであるべきだと考えている

HBR 2019年2月号 - 企業、政府、NPOがともに価値を生み出すには

わざわざコレクティブ・インパクトやらSDGsと言わないといけないというのは、要するに、言われなくても誰かが手を上げて解決する「儲けながら解決できる問題」がもう残り少なくなってきているからだと僕は思う。

例えば、二酸化炭素の削減は超重要課題である一方、普通にやるとコストがかかるだけになってしまう。例えば、日本には花粉症という国民病があるが、杉に直接アプローチする(杉を切って木材として加工すると同時に花粉がでにくい杉に植え替える)と売上よりもコストの方が圧倒的に高いため、誰もやることができない。

そもそも実感としても、少なくとも日本に住んでいる以上は、生活に致命的な不便さや不潔さを感じることはほとんどない。もちろんゼロとは到底言えないけれど、少なくとも松下幸之助が「水道哲学」を述べた時とは全く違うレベル感で世の中は良くなっている。GAFAの影響はものすごいけれど、GAFAは「社会的な課題を解決してくれた」というよりは「便利に・快適に」してくれたという感じだと思う。シェアリングエコノミーも、Uberがなかろうとタクシーはあったし、Airbnbがなくても泊まるところはあった。もちろんGAFAもシェアリングエコノミーも、解決している社会的な課題はあるだろうけど、「初めて家に明かりがついた」とか「家に洗濯機が来た」「新幹線ができた」などと比べれば、社会的な課題の解決という意味ではインパクトは限定的だと思う(それに「格差を生んでいる」という意味においては社会的な課題を生み出している側面もある)。

これらの事実から、「儲けながら解決できる社会の課題」が枯渇してきているんだなあと思う。ではその先に何があるのか。こんな感じな気がする。

  • いい時間を過ごすことにみんなの関心がもっともっと向かう。シンプルに考えると、エンタメとか宿泊業が伸びるということになるけど、もっとこう…みんな俳句とかやりだしそう

  • 儲かりようがない社会的な問題を解決することに人々が全力を注げるようにあらゆる仕組みがシフトしていく。シンプルに考えると税金が突っ込まれるとか、ユニバーサルベーシックインカムとか、社会的な問題を解決する会社の方がブランド価値が高まりやすくなるとかかと思うけど、もっとこう…GDPとかROIとかが過去のものになっていくような意識レベルでの変化もありそう

で、なんでこんなことを考えているのかというと、(一つは単純にこういうことを考えることそのものが好きだからだけど、もう一つは)家族にとって大事なことだなと思うからだったりする。自分と奥さんの老後や子育てをどうしようかなぁなんて考える中で、未来がどうなるかはなんとなく見通しておきたい。

わかりやすい例で言えば「投資」。あくまで僕の仮説だけれど、過去の経済成長は主に「儲けながら解決できる社会の課題」を解決する過程で実現してきたのではないかと思っている。例えばだけど、「車」が世の中に流通すると、人が動くことで生産も消費も増えそうな感じがする。でも「Twitter」が広く使われるようになっても、「車」ほどは生産や消費が増える感じはしない。それは「車」は「ガチで困っていたことを解決してくれているし、絶対にできなかったことをできるようにしてくれる」一方で「Twitter」は「なんかちょっと楽しいよね」ぐらいだからだと(個人的には)思う。話を投資に戻すと、GDPや株価は「儲けながら解決できる社会の課題」を解決する過程で増えてきたと思うので、そういう課題が枯渇している以上、GDPや株価はもうあんまり増えないと思っているのだ。例えば、一応インデックス投資はしているけど、正直なところ、それを何十年も寝かせても、ほとんど資産は増えないだろうと思っている。

というわけで、一人の人間としては「家族や友人といい時間をすごす」こと、ビジネス好きの人間としては「より多くの人にいい時間を提供する」こと、そして社会の一員としては「社会的な課題はちゃんと解決する(やっぱ杉かな〜)」というようなことを考えつつ、家族にって大事な資産については(今言われているようなことは鵜呑みにせず)世の中の動きを観ながら丁寧に扱っていかなきゃなぁというようなことを思ったりしている。


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