人が「仕事できる」かなど判断できないし、その問がそもそも意味ない

「人の評価が本当の自分の評価だよ。」

言われたことありますか。私はあります。ほとんどの場合、「自分が思っているほどあなたはすごくないよ」というメッセージとセットになっているこの文、多分間違ってます。

僕はSupercellというゲーム会社に勤めています。世界的なヒットを数々飛ばしているにも関わらず従業員は300人程度。様々なオフィスで働く色んな人とコミュニケーションを取る機会が多くあります。ヘルシンキ、ソウル、サンフランシスコ、上海、そして東京。その上、パートナーと社内では呼んでいる多くの業者さんと仕事をする機会も多くあります。すごく好きな会社です。

興味深いことに、僕の評価はバラバラです。この上ないぐらい非常に高く評価してくれる人もいれば、かなり低い評価をされたなと感じることもあります。何か傾向はないかと問われれば、あると答えます。「塊ごと」の傾向が強いようです。5つのオフィスとパートナーさんという6つの塊の中にいるメンバーの間では、それぞれに一貫した「脇」に関する評価が一定あると感じます。どうしてなんでしょうか。

僕をどういう視点で見ているのかによって変わってくると言えそうです。業務内容から始まり、言語や文化、タイミング、立場などが影響してくる気がします。そして、それぞれの「塊」の中では共通点は必然的に多くなります。だから評価が一致してくるのではないかと考えました。でも、間違ってはいないけど、どうもそれだけではないようです。考えてみると、同じ塊の中でも、業務内容や立場などが全然違う人はいます。でも、評価に共通点があると感じることがままあります。

「口コミ」の影響も大きそうです。「あの人は優秀だよ」と紹介されたら優秀なのかなと思って見始めるし、「あいつはぼちぼちだよ」「よく知らない」と紹介されたらそんなもんだと思うのが人間です。一度イメージが定着してしまうと、人はそのイメージを強化する方向に情報を摂取する傾向があると言います。極端に言えば、最初に優秀だと思うと、仕事が雑でも「さすが色んな仕事を抱えてるんだな」とか「本質だけ言ってくるのがすごい」と思いがちですし、最初に無能だと思うと、仕事が丁寧でも「仕事が遅い」「重要でもないところにこだわっててピントがずれてる」という風に思うわけです。

でも、それだけでもないような気もします。

話は変わりますが、ある投資銀行では学歴が仕事の成果に影響があったのに対して、グーグルは学歴が成果に影響がなかったので聞かないようにしたというのを聞いたことがあります。

さらに別の話。最近数学者の物語を呼んでいるんですが、その中に「ラマヌジャン」という人物が登場します。歴史に残る天才中の天才でありながら、数学のメッカであったヨーロッパから遠く離れたインドで生まれ育ち、さらに独学で数学のセンスや知識を身につけたため、大天才であるにも関わらず、大学にその才能を認めてもらうことにすら難儀します。そして大学に入ったあとも、数少ない理解者を除いて、自分の居場所を見つけられることも、正しく「認められる」こともなかったようです。その数少ない理解者と共に研究をすることで、その才覚を発揮することができたものの、イギリスに馴染めず、病気にかかり、若くしてなくなってしまいます。

これらの事実から言えそうなことを導き出すとしたら、あいつは仕事ができる(もしくはできない)という評価など眉唾だということでしょうか。同じ人間の評価が全くバラけたり、同じ評価軸が会社によって意味があったりなかったり、大天才でも認められるのに苦労したり...。「あいつは仕事できないからなー」「あの人はまじで仕事ができる。」こういう発言を僕は今まで1万回はしてきたと思いますが、いやあほんとに、適当だったと反省します。

じゃあ人は人を評価する能力は低いということかというと、そういうことでもないと思います。問が間違っているというだけで、問が正しければ人はちゃんと人を評価できるような気がします。

正しい問いは、何の仕事の成果の話をしているのかを明確にすることかなという気がします。ある仕事において成果を出すというのは、具体的で、個別的なものであって、まったくもって「基本的に仕事ができる」などと一般化すべきではないんだろうと思います。

旦那さんや奥さんが、仕事場ではデキるのに家では全然駄目というケース(やその逆)もありますよね。A社で天才マーケッターでも、B社で営業を始めたら全く何の成果も出せないということもあるし、エースが部下をもったら何も成果がでてこなくなった、というケースもあると思います。何なら同じ会社で同じ職種でも、東京から大阪に移動したら全く駄目ということも十分にあります。エースを引き抜いて最高の環境を用意したはずなのに成果がでないという話は枚挙にいとまがありません。それは全て、仕事は具体的で個別的であるからだと思います。個別的であるというのは、要は環境や立場、周りのサポートやタイミングなど、もはや「運」に近い部分にも深く影響されるという点を強調したくて書いています。

ではどう考えればよいのか。採用であれば、自分のできる限りの知力を持って、できる限り先入観を持たずに、相手が持っている知識そのものと、どうやって成果を出してきたのかの2点を見極めるしかないのだろうと思います。知識はその人の資産であり、築いてきたものです。上に伸びる棒のようなもので、これには良し・悪しをつけることができると思います。成果の出し方というのは、要するにどう知識を運用して成果に結びつけるかということであり、横に広がる線であり、「あなたが成果を出すために必要だったものは弊社にはありますか?(もしくは更によい環境ですか?)」ということを明らかにすることが重要なのかなと思います。

もしくは、自分が誰かより成果を出せていなかったら、知識が足りないのではないかとシンプルに自問自答したあとに、成果の出し方を観察するのが良いと思います。そしてそこには環境や立場など、その人の成果には、その人自身とは関係のない要素も多分に関係してくることに気がつくことになります。つまり、そのまま真似しても意味がなく、「さて、自分の環境や立場に置き換えたらどうするのが正解だろうか」と考えるのが良いんだと思います。

昔、eラーニングのコースで採用に関することを学んだことがありました。曰く、採用に有効なのはワークサンプル(インターン等)、認知能力テスト、構造化された面接、職務知識テストだそうです。微妙なのは誠実度テストで、あまり役に立たないのは構造化されていない面接、人間性テスト(性格診断?)、そしてレファレンスだそうです。そして「時と場合にもよる」と。(なんだそりゃw)

この結果は非常に納得できるなと思います。採用は、知識量を把握し、どういう時に成果を発揮できる人なのかを検証できるかが重要だとしたら、上記にて有効だと言われているものは、それなりにこれらを検証ができそうな感じがします。まあ、時と場合によるんでしょうけど。

というわけで自分の評価に悩んでいるみなさんにお伝えしたいのは、あなたがもし仕事ができないと思われている(と感じている)としても、気に病む必要がないとうことです。「仕事ができる能力」が全面的に欠けてるんじゃないか?などと悩む必要はないと思います。なぜなら、そんなものは存在しないから。まず、「どの」仕事の成果を出したいのかを明確にし、もし知識が足りていないなら頑張れば良い。もしその知識を運用して成果に結びつけられないと感じているのであれば、どう戦い方を変えるのかを考えれば良い。

まあ、たまに自分に言い聞かせているわけなんですが。

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