高3にして40代の木村拓哉に沼った話
【はじめに】※2020/10/11 追記
この記事は木村拓哉のファンでない人に、木村拓哉をおすすめするものではありません。私が木村拓哉に熱狂していった経緯や、めちゃくちゃ好き!という気持ちを言葉にしたものなので、木村拓哉がどんな人かを知りたい方には不向きです。それをご了承の上でお読みいただける方はお付き合いください。
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あなたは木村拓哉を知っているだろうか。
聞いておいて失礼な話だが、言うまでもなく、木村拓哉とはこの日本において最も名の知られたスターの一人だろう。
あなたが木村拓哉を好きでも嫌いでも興味がなくても、その名前と顔は一致しているのではないだろうか。それくらいの有名人である。
そう、私とて知っていた。
イケメンで、色んなドラマに出ていて、若かりし頃を「絶頂期」とか呼ばれてまとめサイトがいくつかあって、定期的にTwitterでそれらの画像がバズる。SMAPとして歌ったり踊ったりしていて、それが数年前にグループが解散して、なんだかよくわからないが、そのままジャニーズ事務所に所属し芸能界で活動をしている人。
それが、私のぼんや〜り、ざ〜っくりとした”キムタク”への印象だった。
先に言っておくと、2020年10月現在、私は木村拓哉のファンクラブに入っている。私の通帳の振り込み履歴には「キムラ タクヤ」があるのだ。(※入会費)
「え〜!キムタクってジャニーズなの?」とかほざいていた以前の私が、どうしてこんな未来を想像できようか。私は20歳そこらにして、父親とそう変わらない年齢の男性に熱狂してしまっているのだ。
前置きが長くなったが、ここでは、この「木村拓哉という沼」について語っていこうと思う。語りは完全にオタクなので、付き合える方だけどうぞお付き合いください。
沼落ちの経緯
転機は2018年の夏。
私は高校3年生だった。受験生だったんじゃね?勉強してたの?それとも就職?とかそんなことはここでは触れないでおく。私の人生のターニングポイントとも言えるこの重要事項(=沼落ち)について、ひたすらピンポイントに話さなければならない。私の進路事情など些事であることをご理解いただきたい。
きっかけは確か、TBS番組のぴったんこカンカンだった。
ゲストを招いて安住アナが一緒にロケをし、番組の途中1回だけクイズが挟まれる例の番組である。その日のゲストは、木村拓哉と二宮和也だった。
まあまず、この時点でなかなか香ばしいのはわかるだろうか。
にわかでも知っているビッグネームが二つも並んじゃって、おや、どんなやりとりをするのかしら?と気になる気持ちは、そう不自然なものではなかったはずだ。
私はジャニオタではなかったし、なんならアイドルを好きになったこともない、むしろややアンチジャニーズっぽいところすらあった。チャラそうとか、性格悪そうとか、そんな好き勝手なことを内心思っていたタイプだ。今となってはマジですみません。
そんな私でも、家族がドラマ好きだったこともあり、ニノのドラマも好きなものがいくつかあって、ニノに対しては好印象を抱いていた。
”キムタク”についても、悪い印象はなかった。かっこいい人だなあとは思っていたし、イメージ的に性格もストイックそうとか、いい人だといいなーくらい。まあ、この時点で沼落ちの素質はあったのである。
そんな訳で、ジャニーズが誇るビッグな男二人が仲良く番組に出るなんて面白そう、となんとなくテレビを観ていた。
彼らは『検察側の罪人』という映画で共演しており、その宣伝のために番組に出演していた。
ハンバーグを食べてから、貸し切った路線バスに乗って移動するキムタクと安住アナ。途中で二宮和也が回収され、私服に頓着しないニノの服を選びたいと古着屋へ。その後はニノが好きなボードゲームに興じたり、UberEatsで頼んだカレーを食べたりしながら、映画やお互いについてを語っていた。
なんてことのない、テレビ番組の一風景だ。
雷が落ちるような感覚もなければ、いわゆる「推せる!」という確信も抱いていなかった。
そう、これはあくまで、きっかけだったのだ。
ニノや安住アナとの掛け合いが面白くて、ユーモアのあるお茶目な人なんだなと分かったり。
行動や言葉選びの節々に気遣いや優しさがあって、安心して見ていられる人だなと思ったり。
笑顔が素敵で、やっぱり仕草や外見がカッコ良くて、独特な存在感を感じたり。
そうやって種をまかれていたのだろう。
いや、沼で例えると、「ふうん、なんだかいい匂いがするじゃん」という感覚だろうか。
後になって思えば、この時木村拓哉という人間に興味を抱いたのは、どうやら世間一般的な”キムタク”のイメージと、この木村拓哉という人とで、何だか違いがありそうだと感じたからかもしれない。
この後のことは実はあまりよく覚えていないが、なんとなく木村拓哉について調べていたら、若い頃のSMAPにやられてしまった。メチャカコイイやんけ。ひたすら情報を集め、そして動画やら画像やら色々残っているものを見漁った。木村拓哉については、年代を問わずひたすら情報を集めた。
生年月日や好きな食べ物、家族構成といった簡単なプロフィールから始まり、ジャニーズに入ったきっかけ、SMAP初期の頃の様子、蜷川幸雄の舞台が転換点になったこと、趣味、芸能界での交友関係、これまで出演したドラマや映画。木村拓哉について知ろうとネットの海を泳ぎまくった結果、いつの間にか多くの情報を手に入れていた。ずいぶん古いインタビュー記事なんかも読んだ。木村拓哉が20代の頃、「キムタク」と呼ばれるのを嫌がっていたことも知った。木村拓哉という一人の人間を離れて、「キムタク」という何かが一人歩きしてしまっている、公共物になっているような、違和感や不快感。今は気にしていない、という本人の言葉を知ったが、その時には私自身、世間で語られる"キムタク”と木村拓哉が乖離していると確信していたので、略称で呼ぶのを辞めた。
木村拓哉のラジオを毎週聴いた。SMAPの歌も聴いたし、どんなライブをやっていたのか、グループ内での組み合わせの呼称やファンからの呼ばれ方など、たくさんのことを知った。
そして10月頃に覚悟を決め、解散についての経緯やメンバーの発言などを調べ、SMAPというグループが解散したことを受け止めた。
その頃には私はもう、木村拓哉のことが大好きになっていた。
木村拓哉の魅力
木村拓哉の魅力は、その魅惑的な容姿もさることながら、誠実で真摯な内面、その生き方にあると思う。
木村拓哉のモットーはシンプルだ。「いつだって全力」。
ありふれた言葉だろう。でも、よく考えて欲しい。いつだって全力なんて、そんなことが可能なのか?いや、そもそもやろうとするだろうか?
木村拓哉は、やる。どんなステージでも全力で歌い、踊り、観客を沸かせる。ドラマや映画、どの現場でも、できることを惜しみなくやる。恥ずかしくて照れてもおかしくないようなバラエティの無茶振りも、求められる「色男」役に徹して真剣に応える。馬鹿馬鹿しくなるようなコントも全力で身を投じる。歌詞も台本も完璧にインプットして現場に来る。
そのストイックさは、自分を甘やかして生きている自分が恥ずかしくなるくらい。木村拓哉は全力だ。彼のその生き方は一貫していて、年を重ねても変わっていなかった。そして彼はとんでもなく自分に厳しい一方で、自身の生き方を他者に押し付けるようなこともしない。そんな人だ。
フジテレビ27時間テレビの総合司会をSMAPが務めた年がある。暑い夏、過酷なロケ、睡眠もなくタイトなスケジュール。ボロボロの彼らは最後にノンストップメドレーのライブを行った。
私はそれを観て、涙が出てしまった。
木村拓哉は、あまりにも眩しく笑っていた。
ダンスでは脚をガンガンに上げ、歌ではいつも入れている煽り(※彼はCDの時点でそういうのの担当になることが多い)を欠かさず入れ、思い切り歌い、見ているこっちまで笑顔になってしまうような、楽しそうな笑顔を浮かべていた。
これがアイドルなんだ、と。私は圧倒されてしまった。
しんどくてもこの人にはサボるなんて選択肢はまるでなくて、本当に「楽しい」と感じているかなんて関係ない、「楽しそうに」ステージ上に立っている。こっちに心配なんてさせない。限界状態のはずなのに、ファンを、観客を、テレビの前の全ての人を楽しませてくれる。笑顔にしてくれる。
多分、私が”アイドル・木村拓哉”を大好きになったのは、このライブ映像を観た時だった。
アイドルとして天性の才能を持つ木村拓哉が大好きすぎて、SMAP解散の事実を、いや、「木村拓哉がこの先アイドル活動をしない」という事実を受け入れるのには、しばらく時間がかかった。1年以上は引きずった。長年のファンの方なら、もっと辛かっただろう。
でも。彼らには彼らの人生がある。
私は、木村拓哉が、自らの人生を自らで選んで生きているのが好きだ。
だから、木村拓哉がもう歌わないと言うならそれでもいいし、踊らないと決めたならそれも仕方がないことだと思っていた。
過去の中にいるアイドル・木村拓哉から、私はとてつもない熱量のエネルギーをもらってしまったのだ。そしてきっと、今でも受け取っている。
消えてなくなったわけじゃない。会おうと思えば、CDやDVDの中でも会える。それがどれだけ幸せでありがたいことかも知っている。
想いに応えてくれる推し、推しに応えてもらえるファン
2019年9月末。
友達とスタバでラテを飲みながら話していた私は、友達に断わってスマホを取り出した。その日は日曜日。木村拓哉のラジオがあったのだが、友達と過ごしていたので聴けなかったのだ。来月のマンスリーゲストが誰かだけ知りたい、と思ってTwitterを開いた私の目に飛び込む文字列。
『木村拓哉、音楽活動を再開』
一言で言うと、「え?」と言う感じだ。
え?どう言うことなの??なに。本当になに……??????
私が木村拓哉にハマっていることを既に知っていた友達は、「えー!やったじゃん!!よかったね〜〜!!!」と私より先に喜んでくれた。なんて良い子だろう。私は驚くばかりで喜びの感情が発動するのが遅れていた。
というか、あまりにも理想的すぎて、都合が良すぎて、夢かと思った。
豪華な楽曲提供陣が決まっていて。
ライブも開催する予定で。
ファン(リスナー)のみんなからの要望や、ラジオのゲストに来てくれたアーティストからの「やらないの?」という声かけがあって、重い腰を上げたという経緯だった。
帰りの電車。タイムフリーでその日のラジオを聴いて、泣きかけた。
公共の場なので、気合で涙目くらいに留めた。えらい。ちなみに10月のマンスリーゲストは、ドラマ『グランメゾン東京』での共演者である沢村一樹だった。いや、すごく嬉しいんだが、音楽活動が爆弾すぎてそれどころではなくなってしまっていたことを許してほしい。
木村拓哉が、SMAPという場所を大切に想っていたことを知っている。
木村拓哉は嘘がなくて、人生を真っ直ぐに全力で生きてきて、誤解されたり、好き勝手なことを言われながら、「俺はこういう人間だよ」っていうメッセージをラジオや雑誌やテレビを通して、惜しみなく伝えてきた人だ。それでも彼を妄想や偏見で語り、悪しように言う人は絶えない。それがとても悔しくて、でも世間と同じように「木村拓哉」を知らなかった自分もいて、やるせなかった。
木村拓哉は、木村拓哉が生きたいように生きてほしい。
彼が望むように、やりたいようにやって欲しい。木村拓哉の「好きに生きる」が信頼できることを、私は知っている。
でも、欲としては、また歌ってほしかった。毎年『さんタク』(明石家さんまとのお正月番組)の番組最後に歌ってくれるのが嬉しかった。だからこそ余計に、SMAPの曲やソロ曲で、私にたくさんのパワーをくれた曲を、今の木村拓哉に歌って欲しかった。そう願わずにはいられなかった。
また踊って欲しかった。魅せ方がうまくて、どうしても目で追ってしまう、あのしなやかなダンスを、美しいターンを見たかった。
全部勝手な願いだ。木村拓哉が嫌だと思うならしない方がいい。
だけど、木村拓哉は、「たくさんの人が、また歌って欲しいって言ってくれたから」と、再びマイクを握ってくれた。
「求められる限り応える」。木村拓哉がインタビューで語っていた言葉だ。俳優の仕事も、求められなくなったら辞めると、スパッと答えていた。木村拓哉は自発的に動くより、求められるのに応じることがほとんどだ。
その真摯な態度に、いや、木村拓哉の沼の民、幸せすぎじゃん…と顔を覆った。というか、それくらい多くの人に望まれている木村拓哉、やっぱりすげえ…。
私は今も、木村拓哉のラジオを毎週聴いている。
検察側の罪人も映画館に観に行ったし、なんなら円盤も買った。
マスカレードホテルも観に行って、グランメゾン東京も円盤を買った。写真集もエッセイも買ったし、過去のライブDVDやアルバムは少しずつ集めている。
木村拓哉のライブも、転売を通報しまくった甲斐あってかなんとか当たって、小娘一人で参戦しペンライトを振り、生の推しにお肌ツヤツヤ効果をいただいた。絶対目が合ったんだって、本当に。嘘じゃないもん!
ライブ円盤は初回限定版と通常盤の二種を買ってペンライトを振りながら何度も観た。ちなみにソロデビューアルバムは初回限定版2種を予約購入し、ある1曲は毎朝目覚ましに設定している。目覚めがとても良い。
他にも語ればエピソードは尽きないが、とにかく、オタクとして充実の日々を送っている。
アイドルを卒業した木村拓哉にハマり、推しに大切にされるファンの喜びを噛み締めながら、ご本人のインスタの投稿をダブルタップし豊富な供給に手を合わせる毎日。
自分と1、2歳違いの推しの娘のインスタライブを見るなどの稀有な経験をしながら、私はハッピーオタクライフを満喫している。
木村拓哉、出会ってくれて、ありがとう。正直あなたを好きになる前の自分の生活が思い出せません。
木村拓哉を好きになるのに、性別とか年齢とか国籍とか、そんなの何にも関係ない。木村拓哉はファンのことをめっちゃ大事にしてくれる最高の沼なのだ。
では最後に、同志の皆さんは、アンチの声をかき消すくらいの大声で、私と一緒に叫びましょう。(飛沫には気をつけて。)
木村拓哉〜〜〜〜!!!!!!!
大好き!!!!!!!!!!!!!
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