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忘れられない旅

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僕の忘れられない旅の数々。旅は人生に似ている。と思いますか?
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記事一覧

ジブリにも影響を与えたマヤ文明の遺跡にて・ウシュマル

【世界一周放浪記】Uxmal,Mexico 世界一周旅行で中南米を彷徨っていた時、メキシコマヤ文明の遺跡にたどり着いた。 それがこちら。 「魔法使いのピラミッド(ピラミデ・デル・アドビーノ)」1996年世界遺産に登録 ウシュマル遺跡は、ジブリアニメーション風の谷のナウシカと天空の城ラピュタに影響を与えた。 宮崎駿監督は、特にラピュタの世界観を作る際にマヤ文明やウシュマル遺跡の建築様式、装飾、彫刻にインスピレーションを受けたと言われている。 『天空の城ラピュタ』に登場する

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【旅と本⑤】旅する力・沢木耕太郎〜旅とは自分自身を見つめ直し、成長するための手段である

パリの安宿。アフリカン・ストリートにて。

1998年。僕は世界一周放浪の旅をしていた。旅の途中、バルセロナで出会った韓国人バックパッカーに、僕がこれから行くパリの安宿情報を聞いた。向かったその安宿は普通のアパートの一角にあって、もちろん看板も何もない。今で言う民泊だった。 周りはアフリカ系の人しか歩いていない地区。パリにリトル・アフリカと言われている場所があるとはここへ来るまで知らなかった。 モンマルトルの丘を東へ下った辺り。地下鉄4号線に乗って、シャトー・ルージュ(Château Rouge)の駅を上がると、「

忘れられない旅・エルサレム旧市街で彷徨って見つけたもの

エルサレム旧市街のオスマン帝国時代に作られた城壁に囲まれた迷宮の中で、方角を失った僕は彷徨って歩き廻っていた。 時は1998年。 今よりはまだマシな世界だったと思う。 城壁の中で迷って迷ってゲストハウスに帰れなくなっていた。上空からはこぶしの効いた大音量のコーランの響きが僕を包み込んでくる。 周りを見渡すと誰も居ない。さっきまで混沌とした人の渦を掻き分けて歩いていたのに。 その静けさの中、小路を曲がるとその先の城壁に、描かれている''落書き''が目に飛び込んできた。

【ブラジル】サンパウロで生まれた僕の息子とアイルトン・セナとの関係

5月1日。 今日は、ブラジルの英雄アイルトンセナの命日。(Ayrton Senna da Silva) 1994年5月1日。イタリア、サンマリノF1グランプリの決勝。彼はウォールに激突し逝ってしまった。悲しい。Muito saudade.サウダージ。 彼のお墓は、サンパウロの郊外モルンビーという静かな地区にあるので、手を合わせに行ってきた。 派手な装飾は何もなく、ただネームプレートと手向けられた献花とブラジル国旗だけだった。彼の人柄が想い出される。 ブラジル国民だけでな

【エジプト〜ヨルダン〜イスラエル】陸路と船で駆け抜けた時に起こった数々の奇妙な出来事

エジプトを周遊し、ズタボロにされたメンタルをシナイ半島のダハブというダイバーが集うオアシスで癒したあとは、紅海(Red Sea)を船でアカバまでさかのぼり、ヨルダンに逃げる事にした。 そして目指す先は、世界遺産のペトラ Petra。 これがまた想像を絶する遺跡だった。 紅海の船上で出会った少女 アカバ港に向かう船上で笑顔が素敵な少女に出会った。一緒にいた弟も人懐こい笑顔。聞けば、やはりヨルダン人だった。エジプト人にはない爽やかさと気品があるのはなぜだろうか? 時は 1

【エクアドル】無限列車!走っている列車の上に乗った事がありますか?怖いけど楽しい列車の旅

鬼滅の刃・無限列車のように、走る列車の屋根に乗って旅ができるところがある。詳しい事はタダではあまり教えたくないが、ちょっとだけならいいかもしれない。 色々とやかましいこの日本という素晴らしい国では、残念ながらそんな危なくて楽しい事はできないし、やってはいけない事になっている。でも僕は20代の頃は定職もつかず、あてもなく世界を放浪をしている旅人だったから、この無限列車に偶然に出会え、走る列車の上で遊ぶ事ができた。 ✈︎その体験を少しだけ それは秘境南米エクアドルの山奥にあ

【ベネズエラ】世界最後の秘境ロストワールド✈︎で20億年前へタイムスリップした話

一度は行きたいあの場所 南米ベネズエラ🇻🇪ギアナ高地とエンジェルフォール ▼まずはギアナ高地についてシャーロックホームズを書いたコナン・ドイルがSF小説『失われた世界』The Lost World、を発表したのは1912年(明治45年!)明治天皇崩御の年 アメリカの冒険家ジミー・エンジェルが、ギアナ高地で世界最大落差の滝を偶然にも発見し、アウヤンテプイ(最大規模のテーブルマウンテン)にセスナ機で頭から突っ込み不時着したのが1937年。 Pixerの長編アニメ映画『カール

【インド】忘れられない旅・二人のインド人女性との出会い

インド🇮🇳プリー 1993年 僕の初めてのインドへの旅は1993年の夏。今から30年以上も前の話だ。ただこれが一生忘れられない旅となった。今でも昨日の事のようによみがえる、あの時出会った二人のインド人女性。 当時は、コルカタがまだ『カルカッタ』と呼ばれている時代だった…。 僕はまだまだ旅慣れしていない大学生。卒業旅行も兼ねた大旅行だった。好奇心だけは旺盛で、神戸から鑑真号に乗船し、上海港上陸以降は、香港・マニラ・バンコクとつないで、そしてメインディッシュこのカルカッタにた

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【キューバ】ラ・ハバナの忘れられない体験

僕はチェ・ゲバラの人生に憧れていた時があった。自国でない民のために、革命という名の下、アルゼンチンからキューバへ行き命を賭けた人生に。 そして、その革命の勇士ゲバラを引きつけたというキューバへ1998年に僕は旅をした。ハバナへは、メキシコ・カンクンから飛んだ。 90年代のキューバはまだ自由旅行は許されていなく、全行程とホテルが決まっているツアーに参加しなければ入国出来なかった。 しかも、強制両替のおまけ付きだった。 しかし、僕は入国した1泊だけおとなしくした後、全てを

【ベトナム】若きの日に旅をせずば、老いての日に、何をか語る。サイゴン川の眺め

ベトナム・サイゴン川。1992年の写真。 マジェスティクホテルからの眺め。 サイゴン川が大きくUの字にカーブするところ。 僕は、幸運にもまだ対岸の景色が激変する前、92年にマジェスティクからこの風景を眺め、しっかりと心に焼き付ける事ができた。 この風景を愛した有名な作家が三人いる。 開高健 近藤紘一 沢木耕太郎。 ■開高健『ベトナム戦記』から引用 最前線はどこですか、どこですかと聞いて、そのたびにたしなめられた。全土が最前線だというのがこの国の戦争の特長である。ベン・キ

【カンボジア】11年越しの恋が実った瞬間なぜか泣けてきた旅

旅の風景 カンボジア🇰🇭バンテアイ・スレイ 1995年そして11年後 バンテアイ・スレイ (Banteay Srei)  1995年、夏。初めてのカンボジア。 アンコールワットの街シェムリアップへは日本からの直行便はなかった。どこかの街でトランジットすることになる。当時はバンコクからのダイレクト便も無かった。カオサンでロイヤル・カンボジア・エアーと言う仰々しい名前のキャリヤーを選び、片道キップを手に入れた。そして、まずは首都プノンペンへ飛んだ。 僕たちバックパッカーの間で

【チリ】ビニャ・デル・マールのレジェンドとの運命的な再会!

旅の風景 チリ🇨🇱ビニャ・デル・マール 1999年〜2013年 【世界一周旅行記】 チリ伝説の安宿・汐見荘 山岸さんとの思いがけない再会  僕が初めてチリ、ビニャ・デル・マールにある伝説の安宿、汐見荘へたどり着いたのは今から25年前1999年の夏だった。 世界一周の旅の途中、北米マイアミからメキシコに入り、ローカルバスをつないで中米諸国をめぐり、そして南米をブラジルまで目指していた時だ。 『チリに最高の宿がある。絶対行った方がいい。』と出会う何人かの旅人から何度も聞か

【アメリカ】はじめの一歩〜ロサンゼルス’90

旅の風景 アメリカ合衆国🇺🇸ロサンゼルス 1990年4月25日 【僕の記念日】はじめの一歩〜ロサンゼルス 今から34年前の今日。1990年4月25日。僕は初めて異国の地を踏んだ。アメリカ・ロサンゼルス。ここから、僕の放浪の人生が始まった。この日を記念日としたいと思っている。 始めから一人旅だった。 一緒に行こう!などと言ってくれる友だちは周りにいなかった。あえて孤独を楽しんでいる時でもあった。1人でどこまでやれるのか?自分を試す事が冒険の第一歩だと思っていた。 向か