西園寺命記 番外編~ 二人の「しょうた」 【後】
* * *
無事に内定が決まり、企画室のメンバーに紹介された玲香は、部屋を出るとき、高橋進に声を掛けられた。
「玲ちゃん、よかったわね! また一緒に仕事ができるなんて、うれしいわ」
「進子ちゃ…、いえ、高橋部長、またよろしくお願いします」頭を下げる玲香。
「ん、もう。玲ちゃんたら。うふふ。…ねえ、今日は東京にいるの?」
「ううん。すぐに静岡戻って、父さんと鈴ちゃんに報告というか、説得というか。引越しの準備もあるし…」
「そうよね。部屋探しも早急にしないといけないのよね。じゃあ、落ち着いたらお祝いさせてね」
「うん。ありがとう」
玲香は満面の笑みになると、大きく手を振りながら、その場を後にした。
軽やかに立ち去る玲香の後姿を見ながら高橋は思った。
「さてと、こっちも準備、準備…」
高橋はスマホを取り出した。
「…ご無沙汰しております。…ええ、そうです。その件でご報告とお願いが」
電話相手に時折厳しい顔で反応しながら、高橋はビルの外に広がる公園の噴水を見つめた。
* * *
面接から半年後、社長の西園寺賢児との結婚が決まった玲香は、ウエディングドレスの最終的な試着のために、デザイナーのもとに賢児と二人でやってきた。
車を降りた二人が、店舗に入っていこうとする。
「ドレス入らなくなっちゃってたら、どうしましょう」
「式まで飯抜き」賢児が真顔で答える。
「はい…」
「大丈夫だよ。洋子先生ならウエストの5センチや6センチ、何とかしてくれるさ」
「…そこまでは増えていません」
「おねえさーん!」
後ろのほうで誰かが叫んでいるようだったが、自分のこととは思わなかった玲香は、そのまま店に入ろうとした。
「多治見の内定断ったおねえさんっ!!」
「え…?」
玲香が振り返ると、女性が大きく手を振っていた。ベビーカーを押して小走りに玲香に近づいてくる。
「おねえさん! お元気そうやん!」女性が玲香に抱きつく。
「あなたは…あの時の」
「覚えててくれはったん? うれしいわあ。あの時は、ほんまにおおきに。お蔭様で、健ちゃん、多治見で働けてるねん」女性が玲香の手をぎゅっと握りしめ、ぶるんぶるんと振る。
“関西弁といい、手を握って上下に振り振りといい、翔太みたいな人だな”
傍らの賢児はそう思いながら、女性に軽く会釈した。
「あらあ。イケメンさんやないの。旦那はん?…うーん、どこぞでお見かけしたことあるよな…」
「え、ええ…もうすぐ挙式の予定で」
「ええわねえ。お幸せにねえ。うちらは、おねえさんのおかげで一家幸せに暮らしてますわ。あ、この子ね、あの時、おなかにいた子。ショウタ言いますねん」
「あら。私の甥っ子も翔太って言うんですよ」
「そうなん? 何かとご縁があるんねえ」
「そうですね」玲香が微笑む。
「あ。ここのビルにご用事なんやろ。お邪魔してごめんなさいね。でも、おねえさん、恩人やから、どうしてもお礼が言いたくて…」女性が少し恥ずかしそうに言う。
「いえ、そんな。…でも、ご主人が多治見さんでご活躍と聞いて、私もうれしいです。ショウタくんと3人で、どうかお幸せに」玲香はそう言いながら、名刺を取り出して彼女に渡した。
「おおきに。うちは名刺持ってないけど、名前、山階貴和子言いますねん。よろしゅうに」
貴和子は玲香に改めて礼を言うと、再び大きく手を振りながら去って行った。
「元気な人だね。多治見関係の知り合いなの?」
「知り合いというか…彼女のご主人がいてくれたお陰で、私、自分の無責任さに対する罪悪感から、ちょっと救われたんです。正確には、今はかなり、です」
玲香はにっこり笑うと、彼女たちとの出会いについて賢児に説明をした。
* * *
「んもう、びっくりしたわあ。あんな豪華な部屋、生まれて初めて見たわ」
「いや、うちの雑誌でニューオープンホテルの家族向けモニターを募集してたから、ちょうどいいかなと思ってさ」
「おまけに恩人のおねえさんと、ばったりや。これも、瑞樹ちゃんが東京にご招待してくれたおかげや」
「恩人のお姉さん?」
「だんなの就職世話してくれはったねえさんや。可愛いくて、スタイル抜群でな。その彼女が、たまたま多治見の内定を辞退してきはったんや。
そこにちょうど、うちらが居合わせて、おねえさんがその事、教えてくれはったん。せやから、旦那が猛ダッシュで総務部行ったってわけや」
「へえ…そんなことだったのか。よかったね。あの時は叔父さんもずいぶん心配してたし」
「もう、ほんまに、彼女には足向けて寝れんわ。お礼が言えて、ほんまによかったわ。これも瑞樹ちゃんのおかげやで。おおきにな」
「お役に立てたみたいで、何かうれしいな」
「なんや、そのおねえさん、もうすぐ結婚なさるらしいで。幸せになってほしいわ」
「そうだね。貴和ちゃんに幸せをくれたその人、きっと幸せになるよ。でも僕は、貴和ちゃんの今の幸せは、貴和ちゃん自身がガッツでむしりとったものだと思うよ」笑う瑞樹。
「瑞樹ちゃん、それ、ほめとらんて」大声で笑う貴和子。
「でもさ、結婚を控えた女性の笑顔って、幸せが凝縮されてる感じがするよね。僕の親友も、もうすぐ挙式でね、その彼女の笑顔のまぶしいことったら」
「ふらふら~っと来たらあかんで、瑞樹ちゃん。あんたこそ、あんなに可愛い奥さんおるんやから」
「わかってるって。なあ、将太」
瑞樹はベビーカーの赤ん坊を撫でながら微笑んだ。
* * *
ご機嫌な様子で貴和子がホテルに戻ると、夫の健が難しい顔でソファーに座っていた。
「どないしたん、健ちゃん。そんな顔して」
「貴和ちゃん…俺…大変なもの見ちゃったよ」
「だから、何やねん」
貴和子の従姉妹の瑞樹から招待されたホテルのモニターは、モニターというだけあって、さまざまなアンケートに答えることが条件となっており、貴和子が息子の将太と一緒に昼間出かけていたのも、ホテルのコンシェルジェの案内によって出かけたときに、満足の行く状況を味わえるかどうかをチェックするための外出だった。
夫の健のほうは、ホテル内のPCルームで、PCはもちろんのこと、FAXやプリンタ等の機器の具合をチェックしていた。
「PCルームから、会社のほうにつなげてみたんだよ。入るときに、何か、パスワード間違えちゃったらしくてさ、いつもと違う画面が出てきたんだ」
「画面がちゃうと、問題あるんか?」
「それがわからなかったから、とりあえず、その先に入ってみたんだ。そうしたら、知らないフォルダがたくさんあって…」
「あー、わかった、わかった。順番にのぞいたんやろ?」頷きながら言う貴和子。
「うん…」
「それで、見とうないもん、見てしもたんや」
「うん」
「で、どないに大変なものやねん?」
貴和子に言われた健は、ハッとして席を立つと、ベビーベッドに寝かされた我が子の元に走り寄った。
「将太…」何度もその頬を撫でる健。
「将太に関係あるんか?」険しい顔になる貴和子。
だが、健はじっと息子の顔を見たままだ。貴和子も、その様子を見つめながら困惑した様子だ。
「貴和ちゃん、俺が総研に入れたのって、俺の力じゃないんだと思う」
「まあ、そりゃあ、あのお姉さんのおかげやわなあ。そうそう、そのお姉さん、今日、ばったり会うたんやで!」
「あのお姉さんか…ああ、名前聞いておけばよかった…」唇を噛む健。
「名前ならわかるで。ほら、高橋玲香はん」貴和子は玲香からもらった名刺を差し出す。
「玲香……でも、高橋なのか」
「名前が気になるん? もうすぐ結婚するいうとったけど…」
「何ていう名前?」
「知らんがな。それより何やねん。俺の力じゃないって。お姉さんの辞退のお陰いうことなら、そんなん、わかりきったことやないの」
「違うんだ。そういう意味じゃなくて…将太がいたからなんだ」
「はあ? 何や、それ。あの時の状況で言ったら、子どもが生まれてくるなんて、マイナスの要素でしかないやん。それをクリアしたいうことは、あんたが何か“持ってる”て、人事のお方が判断してくれはったからやろ」
「俺じゃなかったんだよ。その、何かを“持ってる”のは。将太だったんだよ」
「意味わからんわ」
「特殊な能力が見込める子どもが欲しかったんだよ」
「特殊な能力…」
その言葉に貴和子の顔が曇った。山階の家は、その昔、巫女の家系で、つい最近までその手の能力者を輩出していたからだ。
だが、彼女自身も父親にもそういった力は無い。
兄の雄飛には片鱗が見られたようで、不思議な力に興味を抱いていた時期もあったようだが、今は普通のサラリーマンとして働いており、山階家としては何ら、そういったことに関わりがなくなっているというのが実情だった。
「貴和ちゃん、前に言ってただろ。山階は巫女の家系だって。将太にその能力があると思われてるんだよ。名前やイニシャルが、グレードAからCまでに分かれてるリストがあったんだ」
「将太が中にあったんか」
「うん。“YS”があった。グレードBに。玲香という名前もあったよ。こっちはグレードA。まあ、高橋じゃなくて、西園寺だったけど」
「でも…あったから、なんやいうねん」
「意味はわかんない。でも思い出したんだよ。以前、総研というキーワードで新聞雑誌の記事検索してて、その中にあったんだ。国内の某シンクタンクで超常能力を備えた子どもたちを集めて研究をしている噂っていうのが。
一見、幼稚園だったり、塾だったりするんだけど、そのバックには某国がいるって。もし、総研がそのシンクタンクだとしたら、俺が見たのは、その子どもたちのリストなんじゃないのかな」
「そんなん、ただの噂やろ? リストかて、保険関係の書類とかいうんやないの。玲香いう名前があったいうけど、仮にやで、あのお姉さんのことだっとしても、子どもやないやん。関係ないやろ」
「雑誌の記事では、能力者の親になる可能性がある人間も目をつけられているって、なってた。リストは…プリントアウトすると記録が残るかもしれないから、書き写したんだよ。これ」健が紙を差し出した。
「確かに将太の名前があるなあ…。でも、書式おかしいな、このリスト。…玲香はんは、西園寺賢児×玲香てなっとるな」
「その二人から生まれてくる子どもってことなんじゃないかな」
「親の名前…」
「それに、ファイルの作成日を見たら、将太が生まれる前だったんだ。更新日は1ヶ月前」
「じゃあ、今、将太の名前になっとるところは、うちらの名前が書かれてたいうんか?」
「グレードは能力期待値なんじゃないかな。リストのメンバーを総研は集めようとしてるんじゃないのかな。将太を欲しかったから、俺を雇ったんじゃないのかな」
焦ったように言う健を、貴和子はぎろりと睨んだ。
「ちいと、落ち着きいや。そんなん、想像の域を出んやろ」
「同じ課の先輩、3歳の子がいるんだけど、総研でやってる幼児教育プログラムの教室にモニタとして通ってるんだよ。他の部署にも、そういう子どものいる人がいて、俺の知ってる3人の子供は、皆このリストに載ってる」
「ちょっと待っとって」
貴和子は難しい顔でスマホを取り出した。
「どうしたの?」健が画面を覗き込む。
「えーと…西園寺賢児…探してみるわ。…けっこうヒットするで。この人、有名人か?」
「サイオン・イマジカ代表取締役社長? ああ、東京のソフト会社だよ」
「…西園寺保の次男。ん? あのイケメン外務大臣か? せやったら、瑞樹ちゃんの結婚式、親子で来とったわ。どっかで見たことあるよな気がしたんは、そのせいか」
「なあ…やっぱりおかしいよ。内定辞退した人間の旦那の名前をリストにしないだろ、普通」
「せやなあ…」腕組みして考え込む貴和子。「とりあえず、兄ちゃんに電話してみるわ。おとんは心配性やから、やたらなこと言えへんし、いきなり瑞樹ちゃんに変なこと聞くのもなあ。せっかく、こないにええホテル連れてきてもろたのに、迷惑かけたらあかんわ」
「そうして、貴和ちゃん」
健が言いかけたときには、貴和子はもう兄に電話をかけていた。
* * *
「どうした、貴和子。珍しいな、こんな時間に」
「なあ、兄ちゃん。ちいと聞きたいことがあるねん」
「何だよ。怖い声で」雄飛は妹の様子がどこかおかしいことに気づいた。
「兄ちゃん、不思議な力、どこまで使えるん? うちも使えるんか?」
「何だよ、それ」
「うちも、ようわからんのや」
貴和子は健との会話の内容を説明した。
「そんなん、週刊誌の噂やろが」雄飛も地元の言葉になる。
「そりゃあ、直接そのリストが噂と直結するかどうかはわからへん。でもなあ、何やおかしいやろ」
「会社に直接聞きや」
「あかんもんやったら、どないする! 赤ん坊のことなんやで。兄ちゃん、不思議なことできる言うてたやん。それで、ぱぱーっと調査してや。雑誌社におるんやし、できるやろ、それぐらい」
「無茶言うなや」
否定はしたものの、その記事は雄飛も読んでいて、少し気にかかっていたりもしたのだ。
当時、従兄弟の瑞樹の息子である大地が、自分の肩にしばらく手を置いていただけで、肩こりがウソのように取れたことがあった。その時思ったのだ。大地はもしかしたらヒーリング能力があって、それは父親の瑞樹が山階の出だからなのではないかと。
そもそも瑞樹自体、不思議な力があることはわかっている。息子や娘の危機を救っていたことは、彼らの証言からも確かだ。
「なあ、兄ちゃん。何とかならへん?」
「…記事書いた記者と、何とか接触してみるよ。俺は営業だから、向こうの会社と一緒のイベントとかないと難しいから、時間はかかると思うけど。
それまでは…まず、ファイルを見たことは絶対に他の人間には言わないこと。そのホテルに泊まったのも総研の人間には言わないようにって健くんに言っておけ」
「あ、うん。それは大丈夫。入って半年で有給は取りづらいからいうて、親戚の法事いうことにしてあるんや。場所もな、遠目に言うてある。北海道や」
「そうか。それならいい。あとはそうだな、将太の観察日記をつけること」
「毎日つけとるで。リストはどないしよ」
「できるだけ頭の中に入れて、ペーパーは処分しろ。本当に何かやばいことと関わりがあったとき、手元にあるのはまずい」
「兄ちゃんとこ、送ったらあかん?」
「山階の家がターゲットになってるなら、何かあったとき俺も調べられるだろ」
「確かに…」
「それから西園寺賢児くんだけど、やたらと近づけないな。瑞樹のお姑さんは彼のお父さんの後援会副会長だし、下手なことをしたら瑞樹に迷惑がかかる」
「うん。わかった」
「心配だろうけど、しばらくは様子を見ろ。まだ直接、将太をどうのこうのと言ってきたわけじゃないんだろ?」
「うん。それはないわ」
「また何かあったら電話しろ。健くんにも、そう言っておけ」
雄飛は電話を切ると、貴和子が言っていた記事を検索し、プリントアウトした。
* * *
翌日、貴和子一家はホテルを後にし、レポートを渡しがてら、瑞樹とランチをしていた。
「ほんまにありがとさん。最後まで豪勢やなあ。5000円もするランチなんて、食べたことあらへんで」
「本当です。ディナーでも5000円なんて食べませんし。…あ、でも、冬のボーナスは最初の夏と違って満額出るんで、そうしたら貴和子にも30000円ぐらいのディナー食べさせてやりたいです。お義父さんや、お義母さんにも」にこにこ顔の健。
「よかったなあ、貴和ちゃん」
「うん…。穏やかに普通の生活いうのが一番やな。おとんたちも最近は安心してくれてるわ」
「そうだね。普通の幸せが一番だよ。なあ、将太」
瑞樹は貴和子の横にいる赤ん坊に笑いかけると、テリーヌを口に運んだ。
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「これを…預かるの?」
瑞樹が不思議そうな顔で尋ねると、貴和子は真剣な面持ちで頷いた。
「頼むわ。すまんけど、何も聞かんで預かっといて」
「いいけど…何なの、封筒の中身」
「ようわからんけど、大変なものかもしれへん。…見たければ、見てもええで」
「そんなこと言われても、わからないものなんだろ? 僕が見たってわからないじゃないか」困惑した顔で笑う瑞樹。
「でも、瑞樹ちゃんなら、いつかわかるようになるかもしれへん。それまでお願いや」
「…わかった」
貴和子は瑞樹の手を取り、拝むように頭を下げると、にこやかに手を振りながら、健と将太の元へと走っていった。
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多治見総研の一室では、男が二人、難しい顔でパソコンの画面を見つめていた。
「このアクセス、どこからだ」
「東京です。プラチナホテル東京」
「詳しく調べてくれ。外部保存された形跡は」
「それはありません」
「では、プリントアウトしてファイルは破棄」
「わかりました」
「パスワードは再配布してくれ。関連書類のあるフォルダは情報室のスタンドアロンに戻せ」
「はい。元々そのつもりでしたので、戻してあります」
「ほんの30分とはいえ、所定の位置から動かしたのはおまえのミスだ。きちんと調べて報告しろ。…結果次第では、わかってるな?」不遜な笑みを浮かべる男。
「は、はい…」
言われた男はハンカチで額をぬぐうと、深くお辞儀をして部屋を出て行った。
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番外編 番外編 二人の「しょうた」 (終)
続いて 伍之巻 その1へ
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