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🎉とことんユーミン🎉デビュー50周年おめでとう




今日は立科女神湖にきてます。
隣にえりかさんがいます。
もう1人ゲストがいらっしゃいますが、
あとで紹介しますね。



197275日 「返事入らない」というシングルレコードが発売されました。
1972年のレコード大賞はちあきなおみさんの「喝采」
昭和歌謡華やかな時代に
突如新星のように登場した荒井由実。

みなさまよくご存知のことを思いますが、
ユーミンのデビュー前のことから少しお話しします。

東京都八王子市にある老舗呉服店「荒井呉服店」の次女として生まれました。
お兄さん、お姉さんそして弟という恵まれた家庭環境の中で、
個性を大切にされて大きくなりました。



立教女学院に進み、初めて聞いたパイプオルガンの音に魅せられて、
イギリス音楽を中心にした洋楽もたくさん聞いて影響を受けました。

中学時代から六本木のディスコでお踊りまくって朝帰りしたり、
麻布のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りするようになりました、
ここは国内外の文化人が集まるサロンなので、
普通の女学生が相手にされるところではないのですね。
コーヒー一杯で長居していた少女時代の加賀まりこさんに
あの川端康成さんがご飯をご馳走したり、
あの三島由紀夫さんが割腹自殺する前の
最後の食事をしたというお店ですよ。

そこに中学生の女の子が通っていたのです。
すごいと思いませんか?

返事はいらない

1972/7/5 リリース


A面 返事はいらない

B面 空と海の輝きに向けて

返事はいらないのプロデュースはムッシュかまやつさん。

発売時のキャッチコピーは
シンガー&ソング・ライター界のスーパー・ヤング・レディ」
セールス的には苦戦して300枚程度しか売れませんでした。

さて、キャンティで由実さんは
芸能界のお偉いさんに自分の曲を聞いてもらうために、
売り込みをしていました。これもまたすごいですよね。

ザ・フィンガーズというバンドの追っかけをしていました。
このグループでベースを弾いていた
シー・ユー・チェンと仲良くなり、
中国語の「有名」から「ユーミン」という愛称で呼ばれるようになり、
だんだん定着していきました。

きっと言える

1973/11/5



A面 きっと言える

B面 ひこうき雲

この頃、女優の田中真理さんに似ていると言われて
意識していたように思えるジャケット写真は
軽井沢で撮影されました
私好みの大好きなジャケットです。

これが本格的デビューシングルと言われていますが、
売上は3000枚でした。

実は「ひこうき雲」は
雪村いづみさんへの書き下ろしの
作品でしたが、レコードにはなりませんでした。

江利チエミ、美空ひばりと三人娘と呼ばれた
雪村いずみさんが歌うと
また違って聞こえますね、

やさしさに包まれたなら

1974/4/20 リリース


A面 やさしさに包まれたなら


B面 魔法の鏡


「やさしさの包まれたなら」は
不二家ソフトエクレアのCM依頼で作られました。
シングルバージョンとアルバムバージョンでは
アレンジが異なりますが、今夜はシングルバージョンでは
歌詞も違っています。
お分かりになりましたか?


12月の雨 

1974/10/5リリース



A面 12月の雨



B面 瞳を閉じて


ジャケットはキャンティの川添浩史さんの
奥様梶子さんのドレスに身を包んだユーミンです。
のちにアルバム『MISSLIM』のジャケットとは別の写真ですが、
これは川添宅で撮影されました。

二曲ともバックコーラスに
山下達郎、大貫妙子らシュガー・ベイブの
メンバーが参加しています。

ルージュの伝言

1975/2/20


A面 ルージュの伝言


B面 何も聞かないで



山下達郎・大貫妙子・吉田美奈子がコーラスとして参加しています。
ルージュの伝言はユーミンのポップ・シンガー路線を
開拓する大きな足がかりになりました。


ここで加橋かつみさんとの出会いをお話します。
ユーミンは高校生の時に、
ソロになった加橋かつみさんと出会いました。
タイガースの追っかけをしていたユーミン、
ミュージカル「ヘアー」の主役をしていた
トッポの楽屋に行って、
「わたし、曲を書いているんですけど、聴いてくれませんか」
言ったそうです。

加橋かつみさんは曲を聴いて、
すぐに気に行ったそうですが、
この曲、なんとユーミンが14歳の頃に
初めて作った曲でした。

17歳にして作曲家デビューを果たしたユーミン。
ピアノも弾いています。
この曲最初についていたタイトルは
「マホガニーの部屋」でした。

歌詞は変わったそうです。
この曲についていたタイトルは
「マホガニーの部屋」
トッポは女子高校生っぽい詩を
自分が歌えるような詩に書き直したそうです。


そして、その元歌詞に新たに曲をつけたのが
「翳りゆく部屋」で、
レコーディングの時にさらに歌詞を書き直して、
今の「翳りゆく部屋」になったそうです。

「マホガニーの部屋」
当時18歳の荒井由実が自らピアノを弾いて歌います。

🌿 グリンタイム

今夜のグリンタイムは長嶋緑さんが先日のライブで歌った
「瞳を閉じて」
ギターだけのアレンジ 素敵ですね。

1972年、緑さんは幼稚園に通っていましたが、
ちあきなおみさんが歌う「喝采」を覚えているそうです。

一言で50年と言いますが、
トップを走り続けてきたユーミン。
心から尊敬します。

🎶マザーグース 

1977年リリースのマザーグースのLP「パノラマハウス」
このジャケットをユーミンが描いています。

そのジャケットを持ってきてくれたのが
「森の木びと」のえりかさんの旧友、鈴木一規さん。
たまたま整理していてこのジャケットを見つけたのが
623日。

不思議なご縁で
今夜「とことんユーミン」のゲストで
わたしの目の前に座っています。

かれは45年前にこのLPを買ったのは
今日のために必然だったのかもと
語ってくれました。

人生って面白いですね。


みずみずしい才能を感じますね。

これからもずっと
私たちに夢を見せてほしいと思います。

#松任谷由実
#荒井由実
#デビュー50周年
#とことんユーミン
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