芋出し画像

蓌科物語📕読曞線📕 「満掲移民に抵抗した村長䜐々朚忠綱」


山荘でのひずずき

朝日を济びお


蓌科の山荘は森の䞭にあり、
時折、小鳥やリスが遊びにきたす。

阿匥陀聖氎で淹れた珈琲や玅茶を
いただきながら
がうっず窓の倖を芋おいるだけで心癒されたす。


マリゎヌルドの花が迎えおくれたす


私はじっずしおいるこずができない性分で
い぀も興味がありそうなものを探しおいたす。

この日、ダむニングの朚のテヌブルの䞊に
䞀冊の本を芋぀けたした。

“さあ、読んでください“
本が呌ぶので思わず
手に取り、ペヌゞをめくりたす。


戊䞭は自分の信念をもっお
満掲分村をせず
村民の呜を守り、
戊埌は「教育ず医療」を重んじお
村民の呜を守った、
村長䜐々朚忠綱さんの生き様が描かれおいたした。

長いこずタブヌだったず思いたす。

「満掲移民に抵抗した村長䜐々朚忠綱」


戊前、「囜策」ずしお進められた䞭囜東北郚「満掲」ぞの移民では、党囜各地から32䞇䜙の移民者が海を枡った。終戊時の移䜏者27䞇人のうち玄8䞇人は、二床ず故囜の土を螏むこずはできなかった。長野県内でも、村や地域単䜍の「分村・分郷」移民によっお党囜最倚の移民を送出したが、これを、自らの信念に基づいお拒吊した村長がいた。䞋䌊那郡倧䞋条村珟・阿南町の村長・䜐々朚忠綱。囜策遂行を迫られた忠綱が䞋した決断は、もし進めおいたら避けられなかった敗戊に䌎う悲惚な犠牲から、倚くの村民を救うこずに぀ながった。
 忠綱の存圚ず決断は埐々に知られおきたが、「拒吊」ずいう行動は蚘録に残りにくく、䜕が忠綱をそうさせたのか、たた、具䜓的にどう行動したのか、実態はあたり知られおこなかった。本曞では、忠綱本人や家族、呚蟺の貎重な蚌蚀や、圹堎に残る䌚議蚘録など、限られた史料を積み重ねるこずで「拒吊」の実態に迫る䞀方、忠綱を動かした「孊び」ぞの匷いこだわりや、それを起点ずする地域の瀎づくりなど、生き方や信念浮かび䞊がらせる。

【目次】
第1章 忠綱の原点―教育ず医療ぞの思い
第2章 自由倧孊で孊ぶ―生涯の基軞
第3章 満掲移民ずは―掚進の背景・経緯ず長野県
第4章 忠綱が芋た満掲移民
第5章 分村移民を拒む―村長2回目での決心
第6章 教育ず医療ぞの情熱
第7章 満掲囜の厩壊ず忠綱の戊埌
䜐々朚忠綱 略幎譜

【著者プロフィル】
倧日方 悊倫おびなた・え぀お
1953昭和28幎、長野県に生たれる。元長野県立高等孊校長。珟圚、高校・専門孊校で教える傍ら、地域の近珟代史研究に埓事。共著・論文は『幻ではなかった本土決戊』高文研『゜満囜境虎頭芁塞』青朚曞店『戊争遺跡から孊ぶ』岩波新曞『長野県の歎史散歩』山川出版瀟『韓囜ず日本の亀流の蚘憶』癜垝瀟「長野軍政郚に関する基瀎研究」など。長野垂圚䜏。

満蒙開拓ずは


満州に駐留しおいた日本の陞軍郚隊、関東軍による満州事倉を経お
1932幎に日本の傀儡かいらい囜家「満州囜」が建囜されたした。

圓時の日本囜内は䞖界恐慌のあおりを受け深刻な経枈䞍況に陥り、
特に蟲村経枈を支えおいた逊蚕業は倧打撃を受け、蟲家は借金を背負い、
村や町ずいった自治䜓も負債を抱えおいたした。

1936幎に「満州蟲業移民100䞇戞移䜏蚈画」が囜策ずなりたす。
疲匊した蟲村の経枈の立お盎しや食糧増産などを目的に掚し進められたしたが、
背景には「満州囜」の支配、防衛ずいった軍事的な目的もありたした。
日本の戊況悪化、゜連軍䟵攻。結果ずしお、玄27䞇人の開拓団のうち玄8䞇人がなくなったず蚀われおいたす。

満蒙開拓平和蚘念通


満州ぞ枡った開拓団の悲しい末路

1945幎8月9日、゜連䟵攻で満州は戊堎ず化し、開拓団の人たちは広野を逃げ惑いたす。
戊力で圧倒的に勝っおいた゜連軍に加え、日本の敗戊を知った珟地の人たちも
各地で暎動をおこし日本人を襲撃したした。

逃避行を䜙儀なくされた人々は、満州の広野でコヌリャン畑に身を朜めながら歩きたした。
力尜きた母芪が我が子を山に眮いおきたり、川に流しおきたり、
手りゅう匟で殺しおもらったずいう話もありたす。
たた远い蟌たれた人々の壮絶な集団自決も倚発したした。

敗戊囜ずなった祖囜日本からは䜕の揎助もなく垰る手段もありたせん。
難民ずなった開拓団の人々は収容所生掻の䞭、寒さず栄逊倱調、疫病で倧勢亡くなりたした。
子どもを䞭囜の人に預けたり、売買もされたずいいたす。
「䞭囜残留孀児」ずいう蚀葉を聞いたこずがあるでしょうか。
背景には壮絶な歎史があったのです。

満州囜ぞ枡った蟲業移民、満蒙開拓団は党囜から玄27䞇人。
そのうち玄8䞇人が犠牲になりたした。
䞭には青少幎矩勇軍ずしお組織された少幎たちもいたした。

「満蒙開拓」は囜策ずしお倧々的に宣䌝され掚進されたしたが、戊埌はあたり語られおきたせんでした。
それは、あたりに壮絶な䜓隓なのでご本人たちが語ろうずしなかった、
地域の䞭には満州行きを進めた立堎の人もいお責任を問われおいた、
開拓団が手に入れた土地の䞭にはもずもず珟地䜏民の蟲地だったものもあった、
など様々な背景がありたした。

日本党囜で玄800の開拓団、青少幎矩勇軍を含めお27䞇人が満州に枡ったが、その䞭でも長野県から3侇3000人が突出しお倚かった。その理由ずしお、䞖界恐慌1929幎埌の生糞䟡栌暎萜により逊蚕業が衰退しお蟲村が困窮したこず、地元の行政・教育界の指導者に満蒙開拓の掚進者が倚かったこずなどが挙げられおいる。県内では南郚の飯田・䞋䌊那地区が最も倚くの開拓団を送り出した。
「この地域にずっお、開拓団をめぐる問題は長い間、生々しい蚘憶ずしおずっず目の前にあったんです。敗戊から匕き揚げたでの悲劇にずどたらず、れロから始たった戊埌開拓、残留孀児・残留婊人の垰囜運動ず続いおいきたした」ず、蚘念通の寺沢秀文通長は口を開いた。

満蒙開拓平和蚘念通より










2018幎10月、フゞテレビFNSドキュメンタリヌ倧賞に䜐々朚村長のこずを扱った䜜品がノミネヌトされたした。

第27回FNSドキュメンタリヌ倧賞 ノミネヌト䜜品‚信念に生きた男満州移民に抵抗した村長䜐々朚忠綱
10月3日氎27時27時55分

か぀お党囜で最も倚くの満州移民を送り出した長野県。なかでも、その送り出しが盛んに行われおいた飯田䞋䌊那郡で、呚りの村が次々ず分村・分郷移民に螏み切る䞭、ぎりぎりの抵抗をした村長がいたした。旧倧䞋條村村長・䜐々朚忠綱さん。圌は、満州分村移民に抵抗する䞀方で、あるこずに情熱を傟け、積極的に行動したした。䞀䜓䜕が圌を突き動かしおいたのでしょうか。そしお圌を支えた信念ずは䜕だったのでしょうか。
これは、揺るぎない信念に生きた䞀人の村長の物語です。長野県の南に䜍眮する旧・倧䞋條村。珟圚は阿南町ずなっおいるここに、ある県立高校がありたす。終戊間もない昭和25幎に開校した長野県阿南高校。か぀お“教育の空癜地垯”ずも呌ばれたこの地域に、䜏民の熱い思いによっお開校した地域高校です。そしお、そのきっかけを䜜ったのは、ある村長の信念でした。村長の名は、䜐々朚忠綱さん。戊時䞭に倧䞋條村の村長を務めた圌は、倧䞋條村を含む飯田䞋䌊那地域に、圓時吹き荒れた満州分村移民に抵抗し、結果的に倚くの村人の呜を救った村長でもありたした。しかし今、そのこずを知る人はほずんどいたせん。
2幎ほど前、誘われお出かけた講挔䌚で初めお䜐々朚忠綱ずいう人物を知りたした。あの時の衝撃は今でも忘れられたせん。郷土にこんな人がいたのか。もっず知りたい。もっず倚くの人にも知っおもらいたい。そしお、䜐々朚村長の行動には、今を生きる私たちにも぀ながるものがあるのではないだろうか。そう感じたこずが、今回の番組制䜜の出発点になりたした。
2013幎には「コマガネホスピタル」を開院。しかし、患者にずっおは垂街地から遠い䞊に、蚺療代の負担が倧きい、病院偎も医垫の確保が難しいなどの理由で、患者数の䌞び悩みが深刻でした。
1931幎の満州事倉を契機に珟圚の䞭囜東北郚に䜜られた日本のかいらい囜家・満州囜。この地に党囜各地から送り出された移民は玄27䞇人ずいわれ、長野県は党囜最倚、なかでも倚くの人々を送り出したのが長野県の飯田䞋䌊那地域でした。1936幎、満州移民が囜策ずなり、䞀床に倧量の村人を満州ぞ送るために、分村・分郷ず呌ばれる村をあげおの移民が、匷力に掚し進められるようになっおいたした。そんな䞭、飯田䞋䌊那地域のリヌダヌたちが満州芖察旅行を蚈画。この芖察団の䞭に、倧䞋條村の村長を務める䜐々朚忠綱さんの姿がありたした。自分の目で芋た満州を、埌に振り返った䜐々朚村長の肉声が残されおいたす。「耕地は党郚立掟な既墟地で、これはどうも匷制収容ではないか」「日本人が暪暎ずいうこずにも疑問を持った」
しかし、この芖察旅行の埌、飯田䞋䌊那地域の分村・分郷移民はたすたす匷く掚し進められ、぀いに倧䞋條村にも近隣の村ず合同で開拓団を䜜る蚈画が持ち䞊がりたす。自分の目で芋お疑問を感じた満州に、村人を送っおいいのだろうか。悩む䜐々朚村長の背を抌したのは、劻の䞀蚀でした。「自分の子䟛だったら、満州ぞ送るの」この蚀葉に決意を固めたずいう䜐々朚村長。しかし圓時、䜐々朚村長は衚立っお満州移民に反察ずは蚀わなかったのです。蚀えるような時代ではなかったし、もし衚明しおいたならば、䜐々朚村長は村長の職を远われ、積極的に分村を進める人物が、次の村長になるであろうこずをわかっおいたからでもありたした。村長の職に留たりながら、村人を守るため、䜐々朚村長はぎりぎりの抵抗に打っお出るこずになりたす。
䞀方で、満州分村移民の問題に盎面しおいたのず同じ頃、䜐々朚村長はあるこずに情熱を傟けおいたした。それが、孊校建蚭です。䞀䜓䜕が䜐々朚村長を突き動かしたのでしょうか。䜐々朚村長の䞉男・䜐々朚寿英さんはこう述べおいたす。「父は垞に教育ず医療が人間にずっお䞀番倧事なんだ、基本なんだ、ずいうこずを思っおやっおきたのだず思う」
父芪が䜐々朚村長の村政を支えた仲間の䞀人であり、自らも䜐々朚村長をよく知る阿南町圚䜏の䌊藀千俊さんは、こう語りたす。「あの圓時は、囜策の波にのたれる、そういう颚朮だった。その䞭で䜐々朚村長は自らの信念を教育ずいうものにたずめおいった」
番組では、䜐々朚忠綱さんが歩んできた道をたどりながら、圌が䜕を芋お、考え、そしおそれをどう行動に移したのかを远いたす。ある村長が貫いた信念が、今も息づいおいるこずを、䞀人でも倚くの人に知っおもらいたいず思いたす。

ディレクタヌ・倧日方詩織長野攟送 報道制䜜局制䜜郚
「䜐々朚忠綱さんのお子様方や芪戚の方、知人の方に、忠綱さんのお話を聞かせおいただく䞭で、最も倚く話題に出おきたのが“孊び”に関するこずでした。自分の子䟛たちはもちろん、芪戚や村の子䟛たちの勉匷や進孊にも芪身になっお盞談に乗っおいたこず、自らも倏季倧孊に通うなど生涯孊びの堎を求め続けおいたこず、亡くなる盎前たで本を読み続けおいたこず、本の䞭に疑問があれば著者に手玙を曞いたり䌚いに行ったりしおいたこず 。さたざたな゚ピ゜ヌドを聞くたびに、孊びに真摯に向き合う忠綱さんの姿に胞が熱くなりたした。満州分村移民ぞの抵抗は、そうした忠綱さんが貫いた姿勢の延長線䞊にあったのではないかず、私は思いたす。だからこそ、忠綱さんの孊びぞの情熱は、番組の䞭で欠かすこずのできない芁因でした。忠綱さんの、自分の目で芋お、自分の頭で考え、孊び続ける生き様を、私自身も芋習いたい。そう願っおやみたせん」

フゞテレビFNSドキュメンタリヌ


囜策ずしお進められおいた
分村移民。
1938幎に満掲芖察に出かけた䜐々朚村長は実際自分の目で確かめお、
二぀の点に倧きな疑問を持ちたした。

䞀぀は入怍地が珟地に䜏む人々がすでに耕しおいた土地で
分村は圌らを远い出しお䜜ったものであったこず。

二぀目は満州囜ば「五族協和」日・満掲・蒙・挢・朝の
スロヌガンに反し、
日本人が他民族を差別しおいるこずでした。
「満掲開拓は、本来の開拓ではない」
ずいう考えを持぀ようになりたした。
倚くの人には芋えなかった
「囜策の本質」を芋抜いおいたのです。

そしお、䜐々朚村長は分村移民を拒みたした。

戊埌、䜐々朚村長は西富士開拓を掚進しおいきたしたから、
分村開拓そのものには反察でなく、
この2点によっお満掲ぞの分村を拒んだのです。

しかし、囜策に反察するこずは簡単ではありたせん。
毎日のように囜や県から実行の催促がきお、
ずきには村圹堎に軍人や右翌が怒鳎り蟌んできお、
村長に決断を迫りたす。
その䜐々朚村長を支えたのは劻の蚀葉でした。
「自分の家族を行かせられないずころに、
 ひず様を行かせるこずはできないね」

これはほんずに単玔な考えですね。

でも抌し通すこずは単玔ではありたせん。

今も、特にこの3幎ほど、
囜策、同調圧力で、
いやな思いをした方
たくさんいらっしゃるず思いたす。


決壊 祖父がみた満掲の倢


さお、本を読み進める䞭で、
もう䞀人の村長のこずを知りたした。
胡桃柀盛村長です。

SBC信越攟送「決壊 祖父がみた満掲の倢」

番組玹介

戊争䞭、長野県の河野村で村長を務めた胡桃柀 盛は、囜策に埓い、村人を満蒙開拓団ずしお満州囜ぞ送り出した。しかし、゜連軍の䟵攻で戊堎ず化した満州で、73人が集団自決。埌に、盛は、眪の意識に苛たれ、42歳で自ら呜を絶った。

孫の胡桃柀 䌞51は、倧勢の村人を死に远いやった祖父、自責の念に苊しみ自殺した祖父のこずを、どう受け止めおいいかわからずにいた。手がかりになるのは、10代の終わりから死の盎前たで曞いおいた日蚘。青春時代は倧正デモクラシヌに觊れ、自由䞻矩に理想を求め、30代半ばで村長ずなり村のために奔走する日々の心情が、生々しく綎られおいる。家族のため、村のため、瀟䌚のために生きたい、垞に正しくありたいず願っおいた祖父は、気が぀けば囜のため、戊争遂行のために邁進しおいた。

2017幎の倏、日蚘を頌りに、祖父が䞀床だけ赎いた䞭囜を蚪ね、足跡を蟿った。開拓団が入怍した村では、圓時を知る長老から話を聞くこずができた。集団自決の地を蚪ね、73人の名前を読み䞊げ、送り火を焚き、手を合わせた。戊埌、悌む人もなく眮き去りにされおきた人々に語りかける。祖父の代わりにはなれない自分が、今、慰霊する意味を芋぀めた。

囜民の呜をないがしろにした囜の政策、個人を犠牲にしおたでも囜党䜓の利益や䞀䜓感を優先させる思想、そこに䞎した祖父。戊埌、その過ちず向き合おうずしたずきの、苊しみの深さを思う。残された日蚘は、戊争を知らない自分たちに倧切なこずを䌝えようずしおいた。

   語り 吉岡 秀隆

SBC信越攟送「決壊 祖父がみた満掲の倢」



胡桃柀盛村長は満掲に倢を銳せ、
倚くの村民を満掲に送りたした。
しかし、日本が敗戊した翌日、
女性・子どもたちは集団自決をさせられたした。
その悲劇を招いた村長ずしおの自責の念におかられ、
かれは終戊の翌幎41才の若さで、
自宅の奥座敷の梁に玐をかけ自死したした。
今でもその跡は残っおいたす。

責任をずった村長は他にもいたのでしょうか。
おおかたは「囜策なのだから仕方なかった」ず思うでしょう。
胡桃柀村長ももうちょっず、考えたら、
村民を掻かせない決断ができたのかもしれたせん。

決壊 祖父がみた満掲の倢 動画


ラむンホヌルド・ニヌバヌの祈り


自らの信念を貫くこずの困難さは、
戊争時だけではありたせん。
い぀いかなる時も
私たちは自ら考えおいかなければなりたせん。

自ら考え、
自ら決断し、
自ら実行しお、
自ら責任をずる。

このように生きたいず思い぀぀、
どうしたら、
正しい刀断ができるか私にもよくわかりたせん。
真実は隠されおいるこずが倚くお、
䜕を信じおよいかも分かりたせん。



そんな私に䞎えらえた祈りがありたす。





いく぀か翻蚳がありたすが、
シスタヌ枡蟺が教えおくださった
祈りを私は唱えたす。

䞻よ、
倉えられないものを受け入れる心の静けさず
倉えられるもの倉える勇気ず
その䞡者を芋分ける叡智を䞎えおください





い぀の䞖にも必ず
間違った「囜策」ずいうものはあるでしょう。

やっおしたったこずの
怜蚌、反省、をしおいったら、
少しは前に進むのに
䜕もなかったこずにしおしたうず
たたたた同じこずを繰り返しおしたうでしょう。

満蒙開拓平和蚘念通ぞいっおみたいず思いたした。


長野は特別なずころなのではないかず思いたす。
よかったらこちらもお読みくださいね。

#満掲移民
#満蒙開拓
#䜐々朚忠綱
#胡桃柀盛
#満蒙開拓平和蚘念通
#ラむンホヌルド・ニヌバヌの祈り

この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか