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📖 神よ 憐れみたまえ


27日土曜日、近所の東横フラワー緑道フェスに古本市がたちました。
早速本を見にいきました。
児童書、実用書が並ぶ中、
「神よ、憐れみたまえ」(小池真理子著・新潮社)が
目に飛び込んできました。
読みたかった一冊でした・・・

早速持ち帰り、読みました。



あらすじ


私の人生は何度も塗り替えられた――。最愛の伴侶を看取るなか、十年の歳月をかけて紡がれた別離と再生の長篇小説。

本書帯より




昭和三十八年、三井三池炭鉱の爆発と国鉄事故が同日に発生。「魔の土曜日」と言われたその夜、十二歳の黒沢百々子は何者かに両親を惨殺された。なに不自由のない家庭に生まれ育ち、母ゆずりの美貌で音楽家をめざしていた百々子だが、事件は重く立ちはだかり、暗く歪んだ悪夢が待ち構えていた……。黒く歪んだ悪夢、移ろいゆく歳月のなかで、それぞれの運命の歯車が交錯し、動き出す・・・。


本書帯より




喪失と創作 小池真理子氏 インタビュー/対談/エッセイ

小池真理子さんが書き下ろしの小説を書いた理由(わけ)や、
校了した時の思いなどが書いてあります。
深いですよ。

三人称多視点で、黒沢百々子という一人の、恵まれていたはずの少女が、六十歳を過ぎるまでの波乱の人生を描いた。1963年11月、百々子の自宅で悲惨な事件が起こった瞬間から、まだ十二歳だった彼女は過酷な運命の渦の中に投げ込まれる。
 私自身、この十年あまりの間に、近しい者たちの幾つもの死や病、深い喪失を通り過ぎてきた。百々子、という創作上の人物は、そんな作家の中で生まれるべくして生まれたとしか言いようがない。百々子を囲む大人たちも然り、である。
 なお、本作では、昭和における最悪の鉄道事故、とも言われ、大勢の死傷者を出した国鉄の鶴見事故を物語上の重要なシーンとして扱っている。
 実は私の母方の叔父は当時、同路線を使って通勤していて、不運にも事故に遭遇し、妻と幼い子らを遺したまま、若くして逝った。私は当時、十一歳。都内の小さな社宅で、両親と妹の四人で暮らしていた。母の代理で、父が遺体確認に出向いた時の様子や、事故が起きたのが小雨の降りしきる秋の晩であったことは忘れられない。
『神よ憐れみたまえ』というタイトルは、私が愛聴するバッハの「マタイ受難曲」の中の美しいアリアから拝借した。これ以上のタイトルはない、と自負している。

新潮社「神よ、憐れみたまえ」より



鶴見事故

「もはや戦後ではない」という言葉がしめす通り
戦争のことを意識から外し、
右肩上がりの高度成長期に入った時代のことです。

1951年生まれのヒロイン百々子とわたしは5才違い。
同じ空気感の中で成長しました。



1963年(昭和38年)11月9日21時40分頃、東海道線鶴見駅ー新子安駅間の
滝坂不動踏切で国鉄史上最悪の脱線事故が起きた。
貨物列車の後部3両目の貨車が突然脱線し、隣に東海道本線上り線を支障した。
そこへ、走行中の横須賀線久里浜発東京行上り列車と東京発逗子行下り列車がほぼ同時のに進入。

90キロ前後の高速のまま進入した上り列車は貨車と衝突して、先頭車は下り線方向に弾き出され、下り列車の4両目側面に衝突して串刺しにしたのち、後続車両に押されて横向きになりながら5両目車体を削り取って停止。
上下列車合わせて死者161名、重軽傷者120名を出す大惨事となった。

wiki参照

その夜、7才のわたしは
生まれて初めて、
家に中に異様な雰囲気を感じていました。

東京 京橋にある父の経営する割烹料理店で
女将をしていた母は
いつも同じ時間に東京駅を発車する横須賀線を
利用していました。

横浜駅からの暗がり坂道は危険なので
祖父が毎晩、見通しの良い場所で
母を迎えていましたが、
その夜、いつもの時間に帰ってきませんでした。

今のように、情報がすぐ入手できる時代はなく、
ニュース速報でようやく祖父母は事故を知りました。

わたしは一度寝ていたのですが、
ただならぬ気配で目を覚ましました。


当時、神奈川県警に勤めていた祖父は
電話でどこかに問い合わせていましたが、
横浜駅にいくといって出かけていきました。

雨が降っていて、肌寒い夜でした。
わたしは怖くなって、
布団にくるまっていました。

「ママ、ママ」

何がなんだかわからない、
漠然とした恐怖を生まれて初めて感じました。

10日は弟の4才の誕生日。
フランセのケーキを食べようねと
言って店に出かけた母。


時間はノロノロと進んでいきました。
わたしはうつらうつらしていた時、
ドアが開く音が家中に響きました。

「ただいま、帰ってきたよ」
玄関に立つ母を見た時、
わたしはすぐに動けませんでした。

「よかった・・・ママが帰ってきた・・・」


横須賀線に車両に乗ったものの、
一等車が満席。
あまりに疲れていた母は
次の電車まで待とうと決めると、
その車両から降りて
ホームのベンチに座って待ったのです。


母の乗った次の電車は
事故を回避して緊急停車。

乗客は全員車両から降りて、
徒歩で帰ってきました。

多摩川を渡っていたのか、いないのか
小雨の中を歩いて帰ってきた母は疲れ切っていました。


朝日新聞デジタルより



ママが帰ってきてよかったと思う反面
多くの失われた命があることを思うと、
なんともやるせない気持ちになりました。

この日、九州三井三池炭鉱では
死者458人を出した大爆発事故もありました。
同じ月の
11月22日にはアメリカ大統領、
ジョン・F・ケネディが暗殺され、
7才の子供ながら、
なぜ?なぜ?という思いと、
世の中の
理不尽さを感じていました。


事故で生き残ったと思った母は
9年後の1972年11月26日に
くも膜下出血で世を去りました。

小説の百々子の人生を追いながら
あの時代の自分に邂逅していたように
思います。

人生は生きるに価値がある



「わたしの人生は過酷だ」とずっと思っていました。
もしかしたら、誰もが「わたしの人生は過酷だ」と
思っているかもしれません。
「わたしの人生は楽だな」と思っていたら、
拍手です。

「過酷だけど、人生は生きるに価値がある」
と思える小説が好きです。

これでもかと思える事件に翻弄されながらも
でも一つずつ乗り越えて
自分の人生を切り開き
やっと穏やかな幸せな時間を持てた百々子に
最後に忍びよる影。

終章を読み終えた時、
これまでの自分の人生を重ねて、
人生の幸福とはなんだろうか・・・と
問いかけました。

人生の幸福とは・・・?
何度も問いかけた少女時代からの問いに
今まだ答えを得ていません。


でもこれかも・・・という何かは
掴めてきたような気もします。

小説の中に出てくる曲を聴きながら
インスパイアされて、
読書するのも良いと思い、
YouTubeから動画をアップしました。


チャイコフスキー〈弦楽セレナード〉


ヨハン・S・バッハ マタイ受難曲NO39 憐れみたまえ、我が神よ

チャイコフスキー『四季』6月「舟唄」

#小池真理子
#神よ憐れみたまえ
#マタイ受難曲
#鶴見事故
#サスペンス小説
#新潮社

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