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❤︎感動のドラマ 大地の子 山﨑豊子❤︎

この週末は雨降りマークのつくお天気でしたので、
仕事がなかったのを幸いに
YouTubeをつらつらと見ていましたら、
「大地の子」が放映されていることを知りました。

ドラマ 大地の子

作家・山﨑豊子が8年の歳月をかけて完成した大作のテレビドラマ化で、1995年終戦50周年、放送70周年記念番組として制作されました。

1991年に刊行された原作は読んだのですが。
当時はテレビを見る時間もなく
忙しく暮らしていましたので、
「大地の子」を見るのは初めてでした。

主演は大抜擢された新人の上川隆也。
原作者山﨑豊子は本木雅弘を考えていたそうですが、
シーンの3分の2が中国のため、有名俳優はそんなに日本を離れるわけにはいかず、上川に白羽の矢が立ったそうです。

【脚本】 岡崎栄
【演出】 松岡孝治

【出演者】 
仲代達也(松本耕次)
上川隆也(松本勝男 陸一心)
朱旭 (陸徳志)
笠原秀幸
田中好子
牟田悌三
永井真理子
渡辺文雄
児玉清
西村晃
宇津井健

【制作】 NHKエンタープライズ21








あらすじ(ネタバレ含みます)


日本政府の呼びかけで長野県から満洲に渡った満蒙開拓団の子として、松本一家はソ満国境に近い村で暮らしていました。
家族じゃ祖父、父、母、妹二人と長男勝男。
移民たちは信濃富士を名付けた山に柏手を打ち、敬虔に真面目に農業を営んでいました

日本の敗色が濃くなった1945年になり、大本営と関東軍は対ソ戦略として密かに満洲の大部分を放棄して南へ退却し、多数の民間人はソ満国境付近に置き去りにされてしまいました。

当時7歳の勝男は、過酷な逃避行の挙句、侵攻してきたソ連軍の虐殺によって祖父、母、生まれたばかりの妹をなくしました。死体の下で息を潜めて生き残った勝男は火傷を負いながらも生き残った妹のあつ子とも生き別れとなってしまいました。

気がついたときには勝男は全ての記憶を失っていました。
人買いに騙されて長春の道端で売られていたところを、小学校の教師であった陸徳志に引き取られ、一命を取り留めました。

徳志と妻の王淑琴は彼を一心と名付け、貧しい暮らしながらも、深い愛情を注ぎ、慈しみ育てます。一心は二人を父、母とは呼ぶことはありませんでしたが、それでも幸せに暮らしていました。
その幸せも束の間、国共内戦の激化により長春が共産党軍に包囲され、そのままでは餓死するだけという状況になり、一家は長春郊外へと脱出をはかりました。
ところが、検問所で両親とはぐれた一心は兵士に不自由な中国語を咎められます。
その一心を徳志は身を挺してかばい、自分がここに残るから、この子だけは逃してくれと訴えます。上官がその父の思いに心を動かされ、一心は関門を抜けます。
この時一心は徳志を父と呼び、二人は抱き合い、強い親子のきずなで結ばれたのでした。

一心は刻苦勉励し、大連の大学で優秀な成績を収め、政府高官の令嬢と結婚するまでになり、最後に彼女丹青に自分が日本人であることを告白します。
すると丹青は態度を急変。
日本人ならあなたを愛さなかったと言って、一心の元を去っていきました。

失意の中、大学卒業後は技術者となって北京の鉄鋼公司に配属されました。
順調に仕事をしていた矢先、文化大革命勃発。
日本人であることを理由に迫害の対象となり、一心は無実の罪で辺境の労働改造所に送られてしまいました。
羊飼いとして働く中で、やはり北京を追われてやってきた華僑の黄に「母国の言葉と文化をしたないのは人間として恥だ」と言われ、心の目が開かれ、密かに日本語を学びました。

ある日、内蒙古の巡回看護チームの車が轍にタイヤを落として難儀しているところを助け、一人の看護婦月梅と運命の出会いをします。
羊の解体で誤ってけがをした一心は破傷風になり、生死を彷徨いますが、月梅の必死の介護で再び生還しました。

そんな辺境にいることを知らずにいた養父徳志に月梅は匿名で一心の身の上に起きたことを知らせます。

その報せを聞いた養父徳志は息子の冤罪を晴らすため、危険を冒して北京の人民来信来訪室(地方在住者が中央政府に直訴するための窓口)まで出向き、直訴し訴えが認められます。
奇跡的に釈放された一心が北京駅で5年ぶりに父と再会する場面は、このドラマの最も印象深いシーンで、涙なくしては見ることはできません。

名誉を回復した一心は晴れて月梅と結婚します。
月梅も内科医だった父が非業の自死をして、不遇な人生を送っていたので、一心の一番の理解者となり、固い絆で結ばれたのでした。

時代は改革開放へと移り変わり、一心は日中合作の製鉄所建設プロジェクトのメンバーに抜擢されます。
偶然にも日本側の上海事務所長を務めたのが、実父の松本耕次でした。
なんという運命でしょうか。


1972年日中国交が回復して初めて孤児を探すことができるようになり、松本は必死で手掛かりを探します。

一方、月梅の機転で河北省の農村で一心はあつ子を見つけることができましたが、長年嫁ぎ先で酷使されていた彼女はすでに死の床にありました。劣悪な環境から救い、入院させると、落ちついて昔のことを思い出し、飼っていた犬と猫と、そして兄の名前を口にします。
そこで初めて一心は「かっちゃん」と呼ばれていたことを思い出します。

父耕次が別のルートであつ子の元へ駆けつけたのは、すでに全ての労苦から解放された朝でした。二人はここで初めて父と子であったことを知り愕然としました。
大きな悲しみと後悔の中で、父と子は薄幸だったあつこの弔いをしました。

実父と養父の対面・・・ここは何も書きません。ぜひ見てください。

仕事で来日した一心は揺れる心のまま、上司に無断で実家の仏壇に線香をあげにいきますが、これが大問題となります。かつての恋人丹青の夫のこく策略に嵌り、スパイ容疑の冤罪でまた辺境の地へと追われていきました。

日中のプロジェクトがようやく終わるとき、丹青は夫の不貞と一心を貶めた証拠を掴み、上司の告訴したおかげで一心は上海に戻ることができました。自分の結婚の失敗を認めても、もう二度と一心の心を掴むことができない丹青は一人アメリカへ去っていきます。

全てが終わって、長江下りの船旅にでる一心と耕次。
日本へ、私の元へ帰ってこないかと望む実父の言葉に一心の気持ちは揺らぎますが、中国の養父の深い恩愛を思い、自分を育んでくれた中国への思いから、「ぼくは大地の子」です。と答える一心。

自分の未来を拓くべく、あえて辺境の地の戻り、中国の発展のために尽力する一心に顔は翳りない喜びに満ちていました。(完)

父母の愛、兄弟の愛、男女の愛、友の愛
そして大きな人間愛

様々な愛の形を、引き裂かれても、
持ち続けることができることを教えてくれる大作でした。


素晴らしい俳優陣

養父の陸徳志を演じた朱旭さんは
2018年に88歳で永眠されました。

こんなに愛情深い方がいるなんて・・・

悲惨な事件ばかりが目立つこのごろ、
国が違っても、血のつながりもくても
心が結ばれる人間の愛もあるということを
私に教えてくれました。


そして、実父仲代達也さんも素晴らしい父親です。
中国の家族を守るために徴兵されたと思ったのに
日本に連れてこられ、
南方に送られるところで終戦。

すぐにも満州に戻ろうと思いますが、ままならず。
一人生き残ってしまったという罪悪感に苛まれ、
自死も考えたときもあります。


でも人生を投げませんでした。

良い味を出していました。さすがです。


そして上川隆也・・・
彼なくしては、このドラマは完成しなかったと思います。

完璧な中国語のセリフを覚えていたので、
スタッフは皆、彼は中国語を話すと思っていたそうです。

本木雅弘、竹野内豊でなく、
上川隆也でなければならなかったのですね。

若き日の田宮二郎にも似た
丹精な顔立ちが素敵でした。

そして、ナレーターの加賀美幸子さん。
大好きなお声が懐かしくて感激。
1940年生まれでいらっしゃるので、
思い入れもあったのではと思いました。

このドラマは過去に起きた歴史的出来事ですが、
ただそれだけではありません。

今なお、同じことが繰り返されています。

それがとても怖いです。

満州移民に抵抗した村長佐々木忠綱

満蒙開拓団のことをあまりに知らなかった私です。
昨年本を読んで、国策にNOと言った村長がいたことを知りました。

読書編もぜひ参考にしてください。

残留孤児のその後は・・・

1972年に日中国交正常化がありました。

そして、中国残留孤児たちの里帰り、
肉親探しが本格的に始まりました。

このドラマが放映された頃、
私は浅草の商家の嫁をしていました。

ショッピングバッグのメーカーでした。

札をつけたり、袋にバッグを詰めたり
単純作業が多い職場に
中国から帰国した人を雇ってくださいという要望がありました。

全く日本語もわからない彼女に
手取り足取り仕事を教えました。

最初はできなかったことも
だんだんできるようになった頃、

咳き込むと止まらなくなり
仕事を辞めていきました。

名前も忘れてしまったけれど
時折微笑む彼女の笑顔は覚えています。

中国残留孤児・・・
二度も三度も祖国から捨てられた方もいたことでしょう。

みんなどんな人生を送ったのでしょうか・・・

たくさんの「大地の子」たちももう80代でしょうか・・・


国策って、信じるに値しないこともある・・・
肝に銘じておく必要ありますね。

#大地の子
#山﨑豊子
#中国残留孤児
#満州開拓団

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