見出し画像

江戸期の池袋メインストリート十字路と四面塔

江戸期、池袋のメインストリートが交差する「十字路」についてです。
現在では鉄道やビルに埋もれてしまった道筋ですが古地図や現在の地図から推測してみたいと思います。

豊島区史より引用

まずは推測の元となるポイントを。
◆十字路の南西に「四面塔」があった。
◆現在の「いけふくろう」の位置が「旧池袋駅舎」の位置と思われる。
◆昭和10年頃には「旧池袋駅舎」と「菊屋デパート」の中間辺りに「四面塔」が存在していたと思われる。
※但し四面塔の位置は鉄道の開業や区画整理により駅前に移動されている。

※「四面塔」については下記記事を参照。
「豊島新聞」第3200号 2018年2月21日号

◆昭和10年頃の池袋東口図
※出展元の書名失念。
どなたかが当時の回想を図にしたものを図書館でメモしたものです。
メモを再度書き起こしました。わかり次第更新します。

昭和10年頃の池袋東口図

次に「明治迅速測図」「明治42年地図」「昭和7年地図」「昭和11年航空写真」を見比べました。
道路の拡幅や区画整理で新たに作られた道もありますので同じ道筋ではありませんが下記に近いと思われます。
◆南北の道は「鬼子母神参道(西側)~明治通り~平和通り」
◆東西の道は「立教通り~西池袋公園北側~芸術劇場北側バス停~サンシャイン中央通り」
※ネット上地図サイトの見比べは少し位置がズレてたりするんですよね。

国土地理院より引用

「明治迅速測図」「明治42年地図」の明治時代までは大きな区画整理がなく江戸期の道筋が残っている前提で十字路を推測しますと・・・
西武とパルコの間に「隙間」があるのをご存じでしょうか?
この隙間あたりが「十字路」の場所だったのではと考えます。
この「隙間」もしかして名残だったりするのでしょうか。

国土地理院より引用

そうだとすると昭和初期時点での四面塔の場所は移動されたとはいえ、大きな移動ではなかったかもしれません。
大正期の「事情明細」にもヒントはないので推測に推測を重ねてますが。
「昭和11年航空写真」を見ると「菊屋デパート」が「十字路」の上に建っているようにも見えます。
※国土地理院は写真と地図が正確にプロットされておりズレは見当たりません。
もう少し資料を探して当たってみたいと思います。

◆マニア区 by SEIBU SOGO「イケセイ区ニュース」
当時の雰囲気を感じる貴重な「菊屋デパート」の写真が見れます。
※昭和10年~15年の間
このサイトも買収で無くなってしまうのでしょうかね・・・(涙)
貴重な資料だと思います。是非残して欲しいです!

都市伝説的に語られることが多い「四面塔」ですが近々もう少し触れてみたいと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?