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巣鴨監獄に消えた道筋(追記あり)

ご存じ「サンシャイン60」以前、明治28年(1895)に「石川島監獄」が移転し「巣鴨監獄」となった際に消えた道筋についてです。

「巣鴨村図」をみると北~南へ池袋村との境である「(伝)鎌倉街道」が確認できます。A~C~D

出展:東京都公文書館「豊島郡 巣鴨村図」

詳細な画像が下記で参照できます。
90度左に回転出来ると見やすいのですが・・・
※村図に書かれている方角は微妙にずれてますね。
東京都公文書館「豊島郡 巣鴨村図」

「A~E」大塚追分~六つ又への現在の春日通りです。「地蔵」が確認できます。
この地蔵から「お鷹方屋敷」へ延びる見慣れない道筋が確認できます。
今回は「A~B」この道筋について推察したいと思います。

◆A 地蔵
この地蔵は現在の帝京平成大学(旧時習小学校)で健在です。
江戸期にあった場所から移動されているそうです。
ぽつんと建っていてかわいいです。
◆B 水窪川・巾着地形
巣鴨村絵図では「お鷹方屋敷」の文字が見えます。
現在のイケサンパークあたりです。
◆C 長崎道
ここから西へ行くと「四面塔」の十字路へ出ます。
場所は「東池袋公園」あたりではないかと推測します。
◆D 水窪川・中西屋敷
豊島岡女子学院の北側あたりでしょうか。
◆E 大塚追分
道は太くなりましたが東京メトロ丸ノ内線「新大塚駅」のところです。

この消えた道筋、村絵図では他の道筋に比べてかなりの太さで描かれています。さすがに中山道と比べると細いですが当時のメインストリート級と言っても過言ではないでしょう。
この道筋は巣鴨監獄以前、明治11年「実測東京全図」でも確認することができました。
この地図のおかげでざっくりとした道筋が推測できます。
現在の地図と比較してみたいと思います。

出展:「港区/デジタル版 港区のあゆみ」
出展:国土地理院「標準地図」を加工して作成

現在の地図の水色のライン「A~B」、ざっと直線で引いてしまいましたが「消えた道筋」がこの辺りを通っていたのではないかと。
ピンクのライン「A~C~D」は「(伝)鎌倉街道」と思われます。
B地点、明治11年の地図と比べると現在の地図ではもうちょっと西に位置するかと思ってましたが推定が違ってるのか?ちょっと心配です。
巾着の地形からみれば正しいと思われるのですが。

雑司ヶ谷地区では再開発の際に遺構が見つかったりしているようですが、この道筋は監獄やサンシャインの建築で掘り起こされてますので跡形もないでしょうね。
イケサンパークの工事でも出てこなかったのでしょうか。
造幣局が建設された時に既に掘り返されてますね・・・
本当に幻となってしまった道のご紹介でした。

◆6/12追記
下記の地図を見つけました。
この斜めの土地割り、もしかして消えた道筋の痕跡でしょうか。

出典「公益財団法人特別区協議会」東京府下巣鴨町西巣鴨町全図 大正13年 より

詳細地図は下記から参照できます。
https://www.tokyo-23city.or.jp/chosa/tokei/kochizu/kubunchizu/choson/sugamo_kmview-zoom.html

※地図引用元
◆港区/デジタル版 港区のあゆみ 実測東京全図
https://adeac.jp/minato-city/viewer/mp100080-100080/56_6175/

◆東京都公文書館 「豊島郡 巣鴨村図」
https://dasasp03.i-repository.net/il/meta_pub/G0000002tokyoarchv01_0001003410001

◆国土地理院
http://maps.gsi.go.jp/

◆豊島区史 地図編(上)池袋村図 P18
https://adeac.jp/toshima-history/top/topg/06kikankushi/index.html

◆公益財団法人特別区協議会
https://www.tokyo-23city.or.jp/index.html


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