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『ぶつぶつ、独り言』…第二話👶

プロレスのテーマ曲収集に励んでいた小学生から中学生になると…👨‍🎓

世の中は空前の“漫才ブーム”が到来していました🎙

何でも流行するとマネしたくなる年頃で、テレビで観た面白かった漫才を学校に行っては話題にして…当時同じクラスの野球部のN君と漫才のマネ事をしてました。

中学1年生の時の担任のA先生は若くて遊び心があった良い先生で、ホームルームの時間は伝達事項などさっさと済ませて『Nと亀井、時間余ってるから前に出て来て何かやりなさい!』と言って2人で漫才みたいな事をやってました😁

その後、文化祭でも全校生徒の前で漫才をやる機会を作ってくれたり…その頃にはオリジナルな内容で漫才してました。と言ってもたかが昔の中学生なので“誰かのネタの似てる話”だったんでしょうけど😂

そして、中学3年生の時に“素人名人会”に相方のN君がハガキで応募してオーディションに行きました🚃

当時オーディションは吹田の千里丘にあった毎日放送で行われていました。
1年生の時の担任のA先生も付き添いで来てくれたんですよね。
本当に良い先生でした👨‍🏫

当時の千里丘の毎日放送にはホールもあって確か『ヤング・オー・オー』(←表記忘れましたが)の生放送か収録もやってました🎥
さんまちゃんやオール阪神巨人も居たと思います🐟

さて、“素人名人会”のオーディション会場はラジオなどの収録もしていた大きめのスタジオで、参加者は結構沢山いました。

参加者は歌を歌う人が多かった様ですが他には落語を披露する人もまあまあいて、漫才や漫談をする参加者は極少数でした。

オーディションは1組ずつ順番に歌か落語か漫才をやる訳ですが、『金魚鉢』と呼ばれていたラジオの出演者が喋るようなブースの窓に向かってネタをしました。
その窓は中の照明を消しているのか…真っ暗でしたが中には審査員が居てネタを見ているという少し不気味な状態でした🙃

オーディションを受けるのは初めてだったので勝手も分かりませんでしたが、人前で漫才する事は少し慣れていたのでそれ程緊張する事はなかったかな?…というか、中学生のお子ちゃまだったので怖いもの知らずだったのか?😆

この日のネタの内容なんて忘れましたが、確か3分くらいのネタを作っていたと思います。

結果は…1分ちょっとくらい(の体感でしたが)で『ブーッ!!』とブザーが鳴り不合格でした🙅‍♂️

落語は下手でも結構長く聞いてくれてたんですけどね😂
そして、合格する人もまあまあいたと記憶してます🖋

結構悔しかったので…😖
もう一回チャレンジする事にしました🏃‍♂️

オーディションの様子も分かったのでネタも1分ちょっとくらいでまとめ上げて🙋‍♂️

結果は…また…『ブーッ!🙅‍♂️』でした😨

他の沢山の参加者に背中を向けてネタを見せる状況だったのですが不合格のブザーがなると一部の人が『えーっ😵🤨』という反応をしてくれてました。

結構自信があったので不合格はショックでした😨
コンビで落ち込んでいると今回も付き添ってくれていたA先生がオーディションの全てが終わってからわざわざ審査員の方に不合格の理由を聞きに行ってくれたんですよね…本当に良い先生です👨‍🏫

審査員の方は『良いものを持っていると思うから次に期待して不合格にした。』と仰ったそうです。

普通だったら『よぉし!次は合格するぞ!』って頑張るのでしょうが相方と話し合って『人を笑わすのは難しいな。こんなんではプロの漫才師なんて絶対になられへんな!』ってあっさり漫才は辞めてしまいました🙇‍♂️

で、中学生活も終わりに近づいて行きました🍁

あ、このレコード持ってました🔊

って…ドラム🥁の話はどうなってるんや?

ぶつぶつ、独り言…また次回🙋‍♂️

🦮🦮🦮🦮🦮

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