vol.11 出来の悪い娘の在宅介護 【ALS(筋萎縮性側索硬化症)】
少しずつ眠っている時間が増えていく
①疼痛の緩和
2017年の秋頃、激痛ではないものの全身の痛みが徐々に増して、緩和のためのモルヒネを徐々に増量して胃ろうから注入していました。そして、唾液や痰などの分泌物も抑えるためにも、飲み込みも上手く出来ない母にとっては欠かせない薬です。モルヒネの力で痛みは緩和し、ウトウト寝る時間は増えましたが、母にとっては痛みでつらい思いをしないで済むので有り難い薬です。
寝る時間が増えたものの、声をかけると覚醒して話はできるので、ずっと眠っているわけではありません。
ALSの患者さんを多数診てこられたベテランの医師の成せる技なのか、痛みや苦しさはかなり緩和されていました。ALSと診断されたとき、「苦しくなったらどうしよう」と不安になっていた私たちに「苦しくないように緩和したらいいのよ」とさらりと言ってくださったあの言葉に私たちは安堵して決断でき、在宅生活が送れていました。
②弟からのプレゼント
ALSと診断されたばかりの頃、まだ母の手が動いていた頃に、みんなといつでも話せるようにと携帯からスマホに変えてました。この頃には使えなくなっていましたが。使い始めの頃、弟が母に「ちゃんと話したほうがいいんじゃない?」と言ったことがあります。
私は姉と弟がいる3人きょうだいなんですが、1番、勉強ができず、母の期待に応えられなかったのが私なんですね。母は努力家なので私のダメさ加減が理解できず頭を痛めていました。
忙しく子育てする中、あまりに期待に添えない私に母は、「産まなかったらよかった」と口にしたことがあるんです。そのことで弟が、伝えられなくなる前にちゃんと私に伝えた方がいいんじゃないかと母を促したんですね。
弟の言葉をきっかけに「あの時、としこの優しさに気づいてあげられなくてごめんなさい。ひどいことを言ってしまってごめんなさい」とLINEでメッセージをくれたんです。私は次の日に母の顔を見て「そんな昔のこと、何よんでぇ〜。もう忘れたわー」と言うと、母は顔をくしゃくしゃにして泣きました。出来が悪くお母さんを喜ばすことができなかったのは私なのに。
③言えなかった言葉
そんなことがあって、1年が経った2017年の秋頃、言いたいことがあるときは文字盤の方に目をやるので、いつものように文字盤を通しての会話が始まりました。母の目線と私の目線を合わせ、合ったところの文字を拾っていきます。
私が声を出して読み上げます。
「と・し・こ・を・う・ん・・・」
その後の言葉は母の表情で伝わったので、私は涙が溜まった目で、母の目線を追いました。
「としこをうんでよかった」
その後は2人とも涙で言葉にはなりませんでした。泣くと分泌物が増え、呼吸が苦しくなるので、それ以上何か言うと危険です。
ALSになったことは悔しくて、長い夢だったらと思うばかりだけど、少しだけ、私に親孝行できるチャンスをくれました。
「としこを産んでよかった」と泣きながら言ってくれた母に。返事を伝えることはできなかったけど、あの時の返事を言うね。
「私を産んでくれてありがとう。何にも努力せず、心配ばっかりかけてきて、本当にごめんなさい。一生懸命育ててくれてありがとう。お母さんが大好きです」
#ALS #介護 #言えなかった言葉
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