説経節「愛護の若」について

12月4日(水)に日暮里サニーホール・コンサートサロンで説経節政大夫師の弾き語る「愛護の若」という作品に音楽で参加します。本日、この作品の稽古がある予定だったのですが、台風の影響で中止になってしまいました。特に千葉方面でかなりの被害が出ているとの報道が出ており、心配です。早期の復旧を願っております。


さて、本日の稽古がなくなって若干手持ち無沙汰になってしまったので、いい機会だからこの作品について少し自分なりに振り返っておこうと思い、同作の情報を自分なりに少しまとめてみました。


「愛護の若」は説経節の作品の一つです。「小栗判官」「身毒丸」「葛の葉」「山椒大夫」とともに五大説経に数えられることもあります。しかし、他の作品と比べるとややマイナーです。「愛護の若」は他の説経節作品同様かつて節をつけて語られたと思われますが、現在では古典的な節付けは失われてしまっています。


そんな作品をどうやって上演するんじゃい、と思われるでしょうが、数年前横浜ボートシアターの舞台で同作を上演するにあたり、政大夫さんご自身が新しく節をつけられました。ちなみに上演台本は横浜ボートシアターの遠藤啄郎さんが同劇団の舞台としてつくられたものを元にしており、若干の省略・言葉の変更があります(内容自体はほぼ一緒)。


さらに余談ですが、横浜ボートシアターの舞台としては船(横浜ボートシアター)、シアターX、関西ツアー、神奈川芸術劇場などで上演しました。この時も説経節政大夫さんと僕は参加しており、政大夫さんはエレキ三味線弾き語り、僕は音楽全般を担当しました。


今回は三味線弾き語りと僕の音楽だけ、というシンプルなスタイルで上演することになります(ある意味元々の説経節の形に近いかも?)。初回稽古すらやっていない段階でなんとも言えない部分はあるものの、劇団の舞台と一味違ったものになることは間違い無いでしょう。


説経節は、「経」という字が示す通り仏教系の芸能で、元々は仏教の教えを広めるために始まったものとされます。それが時代とともに芸能としての性格を帯びるようになり、江戸時代には人形浄瑠璃と結びついた時期もあったそうです。


そういう出自を持つ説経節には、芸能化したとはいえ、宗教的世界観が残っています。「愛護の若」もやはり「山王大権現」を祀る神社並びにお祭りの由来話という体を取っています(なんで仏教なのに神社なのか? 神仏習合のせいかもしれませんし、案外その場のノリでやり始めたのが固定化したのかもしれません。底本は口伝を書き留めたものなので色々と怪しい箇所があると聞き及んでおります)。

気分を盛り上げるためにあらすじを書いたのですが、ちょっと詳細に過ぎてネタバレ感があるので割愛! 検索すれば劇団のWEBページなどであらすじは出てきます。とにかくラストがすごいお話です。そして、物語が(かなり「創作」が入っているとはいえ)実在する神社や祭りの由来話となっていることがとても重要です。その重要さは、おそらく舞台を実際に観ないと体感できない種類のものです。

僕は横浜ボートシアターの神戸公演のとき、この話が由来話であることの意義を本番中に悟りました。その瞬間の感覚は今でも覚えていて、背筋が粟立つようでした。今まで語られてきた物語が由来話であると観客たちに向かって(わざわざ)告げる時、そこには非常にエレガントな形で「祈り」が含まれていると気づいたのです。それは供養の念であったり、畏敬の念であったりするでしょう。そういったものを瞬間でも感じていただくために、精進していきたいものです。

おそらく12月の本番では最後まではやらないと思うのですが、ぜひ最後まで観ていただきたい芝居、もとい、語りと思っております。12月4日19時より、日暮里サニーホールで上演致します。お時間あればご覧いただけると嬉しいです。

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