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目的なく何かをする

人は何かにつけ目的や目標を決める。
これは通常生きていくには必要なことだと私自身認識しているし、目的があってこそ上手くいくという事も沢山ある。

だが最近思うのは、何かをするその時点においては目的は深く考えない方がいいのではないか?ということ。
もし、目的や理由がどうしても必要なら後付けしてしまえばいい。
目的が前面に出すぎていると上手くいかない事もあるのだと思った。

例えば、いい写真を撮ろうと思って撮った写真は「いい写真を撮ろうと思って撮った写真」感が出てしまう気がする。
一時的な感動や満足感は生まれるかもしれないが、それ以上の深いものは生まれないのではないのだろうか。
写真を撮るときはその目の前に広がる光景だけに集中して、その光景を残すことを考える。この感覚が大事なのではないのだろうか?

私自身、構図だったり露出だったりとは別に「これはSNSでいいねが沢山もらえそう」などと考えてしまうことがある。
文字で見るだけで雑念そのものなのがわかるが、こういった承認欲求だけでなくても、いろいろ考えてしまうのが人間で、やはりそういった事は出来るだけ無縁でいたいと常に思う。

後で見返して見て、「これはこのSNSで使えそうだ」とか「これはこの作品のシリーズで使えそうだ」と考えればいい。
その時その時は目的なく集中する。
必要なら後で目的や理由を考える。
そうやって純粋な写真を撮っていけるようになりたい。


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