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「暴力」再考の仕方

     繰り返される施設内虐待や暴力事件を知らせるニュース。立場と関係性を利用した卑劣な非福祉的な行為は、少女たちの尊厳と他者への信頼を破壊してしまう。そして未来を奪うことにつながっている。あってはならないことがあり続けることに「あの人」「あの施設」「あの法人」と他人事にしてはいけない。人と人の関係性のあり方が問われる自分事として受けとめないといけない。 

  3週間前にある児童養護施設の研修担当職員から、研修講師依頼ではなく研修内容についていっしょに考えてほしいと依頼があった。その職員が悩んでいることは「暴力の三重性と循環構造」をどのように理解して手にしていくのかだった。話しながら次のようなことが浮かび上がったきた。 親の暴力(あるいは無関心)、子どもの暴力(あるいは無抵抗)、職員の暴力(あるいは無関心)の3つの相互関連性や循環構造に職員はどのように介入・支援するのか。そして、暴力を手放せない人間と歴史についての考察。 そのことを受けて、後者は普遍的で奥深い問題提起のためにすぐに妙案は出ないものの、前者に関して考えてみたことは… 

 ◎子どもたちにCAPのプログラムと第三者とのスピークアウトの機会を。   
⇒情報提供による理解促進と救助信号発信の容易さを生む技術取得                 
◎職員に定期的なバウンダリーワークとスーパービジョンの取り組みを。
⇒自分にフォーカスを当てた具体的な悩みや不安をとおした自己理解と関係性理解              ◎職場は夜勤の常勤2名体制(男女)とマンパワー・待遇改善を。                   
⇒孤立化や相談・ケアが不可能な職場人員体制の改善(国の施設最低基準の変更)                  ◎管理者(施設長・管理職)は人権保障と危機管理の継続したワークショップ研修の機会を。                                                                          ⇒危機管理に対する感覚と知識と方法の習得、職員のモデルとなる 

     しかし、これでは不十分だと感じている。重大な暴力の「予防」ではなく、日常に起こっている小さな暴力への「介入」が必要だと考え直しているからだ。 20数年前の精神科クリニック勤務時代、DV問題と脱暴力プログラムに取り組んだ経験がある。県警から紹介されることがほとんどであり、凄まじい暴力事案の当事者たちとの個別カウンセリングとグループワークに苦労した経験がある。そのときに読み込んだ何冊かの本を取り出してみた。そのなかから、信田さよ子『DVと虐待 ―「家族の暴力」に援助職ができること』医学書院(2002.3.15) を再読した。やはり名著だと思った。たくさんの書き込みと引かれた線に、新たな文字と線を加えた。力強く、明瞭なメッセージに刺激を受けながら、しかし20年の経過のなかで変更すべきことはないかと考えている。

     衝撃的で、目を背けたくなる繰り返される「暴力」に無力感が生まれそうになるけれども、容認したりあきらめたりしては絶対にいけないと言い聞かせいる。

  https://news.yahoo.co.jp/articles/340fa327c18fb9e96b16b4defc53139c1167ba96

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