1998年のグローリークィーンズカップ

今週に入って3連休も取ったおかげで少しは何かやってやろうと、木曜日に新年初の打ちっぱなしへ

1か月ぶりにクラブを握ったけど、身体が動かないのがよくわかる。身体が動かないおかげなのか意外にボールが当たってくれたのは良かった。全く当たらなかったらおそらく今後の練習のモチベーションも上がらなかっただろうから

そして今日も練習に行ったが、何とかなりそうなので月曜あたりにコースにでも行ってやろうかと思い立つ

前任地の宇都宮といい、今住んでいる加古川といい、思い立ったらゴルフに行けるというのは素晴らしい。これが東京だと車を所有するだけでためらわれるが、地方だと所有コストもさほどかからないし、コースも近いし料金安いしでゴルフをやる人間にとっては最高である。というかほかの人がなぜゴルフをやらないのか不思議なくらいだ(余計なお世話)


いまスカイAを点けたら昨年のステップアップツアーがやってる。ここ2年くらい女子ツアーを熱心に見ているが、これだけ見ているとあったこともない選手たちに情が湧いてくるもので、頑張っている選手たちが報われてほしいと思うが、そうはいかないのがプロの厳しさなんだろう。きびしいな


おもえば20年以上前の学生時代にゴルフのトーナメントバイトによく参加していたが、当時は女子ツアーは人気がなくスポンサーの撤退が相次いでいた時期だった。

私が初めてバイトに行った女子ツアーはグローリークィーンズカップという大会だったが、それは前年までスポンサーだった三越がスポンサーを降りたことでトーナメント運営会社のDSEが開催を引き受けた大会だった。結局DSEもトーナメントを自力で開催するほどの体力はなかったのか、その年限りの開催だった

https://www.lpga.or.jp/tournament/jlpgatour/1998/1291/info/9


特に初日は雨でギャラリーも少なく(公式発表で418人)、関係者のほうが多いような状況で、ギャラリー整理をする必要もないんじゃないかと思ったほどだったし、2021年の視点から見ると入場料2万円でプロ資格を持たない選手中心で開催したTWGTのほうが観客が入っていたのではないかと思う


優勝は原田香里(現LPGA副会長)。リーダーボードを見てみると懐かしい名前がずらっと並び隔世の感がある。当時は若い選手が少なく、好きな人でないと見ることがなかったのが女子ゴルフ界で、TV中継もTV局にお願いして中継をしてもらっている状況だったと記憶している(この時期の状況があったから、今放映権でもめているのかもしれない)

宮里藍出現以前の女子ゴルフ界はパッとしなかったように思うが改めて調べてみると1998年も試合は35試合開催されており、賞金水準は今よりも低かったとはいえ、そこまで厳しくはなかったか。ただここから数年で試合数がさらに減ったと思うので、女子ゴルフ界、冬の訪れといった時期だったのかもしれない



そしてリーダーボードを見て思い出したのが、当時の台湾勢はみんな漢字のままの登録名だったなということ。今でこそ、カタカナ表記や登録名を別にしている選手もいるが、当時はほぼみんな本名で登録していた(カスミアダチくらいか?)ので、台湾勢は読みづらく、速報本部や速報板担当のアルバイトをよく困らせていた。そうやって考えると登録名の進化というのは見る側の人間にとってはありがたいものである


とりとめのない文章になってしまったが、ゴルフのことは思い出したらダラダラと書いていこうとおもう

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