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愚者と恋人

コロナ禍の、堂々と引きこもっていられたあのとき。暇だらけだったとき。ほぼ毎日、朝からリビングのテーブルにホドロフスキーの分厚いタロットの解説書を広げ、自分なりの考察をノートに書いたり、you tubeのリーディング動画を見ながらメモをとったりしていました。ある日の夜、仕事から帰ってきた夫に「としえちゃんは花よりそっちが向いてるんじゃない?」「タロットが好きなんだってこと、見てたらわかるよ。」と言われて、静かに心が動くような感じがありました。

思えば「快楽上等!3.11以降を生きる」という本を読んで上野千鶴子さんという女性の言葉が妙にひっかかり「わたしってフェミニストなんかもしれへん」と夫に言った時も「今気づいたの?出会ったころからそうだったよ。」と言われたっけ。わたしの中でGOサインが出るとき、その直前にはいつも夫からの肯定があって、なるほど夫への依存と信頼はいつも紙一重。その頃はまだ、大きな麦わら帽子をかぶった夏の上野さんが、MAG BY LOUISEに朝ごはん食べに来てくれる未来を知らなかったし、自分がファッション雑誌にカメラマンのまっちゃんと連載を持つ未来も知らなかった。その一回目に登場してもらうため上野さんの事務所に行き、白いチューリップや赤いアネモネなど、春の花を使って花束を作る未来も、撮影後、上野さんお気に入りの小さくて居心地のいいフレンチレストランでランチする未来も知らなかった。そもそも自分が死ぬまでに上野さんに会えるなんて、思ってなかった。ただただフェミニズム的思考によって自分の世界がひっくり変える感覚が面白かったのです。

わたしがタロットやってても、かわちゃんは大丈夫なんや。だったら、知らない人のリーディングをやってみたいかもしれない。抑圧してきた本当の本音に気づいてしまったら、行動しちゃうのが人間です。何年も行動できないで、ぐるぐるしている自分を責め続けている人は、もっと別の何かがあるかもしれないよ?自分ひとりでは怖くて許可を出していない、人生をかけた熱狂の対象があるかもしれない。

「すいません、タロット始めます。しかもお金、取ります。」言い方は違えど、こういうこと。これをSNSにあげた日の恐怖は被害妄想でできていました。やばい奴やと思われる。年をとってスピリチュアルにハマるやばい女の典型やと思われる。そうなったら今まで仕事で関わってくれた人たちに迷惑かけるし、育ててきたブランドイメージもスピリチュアルになってしまう!そういう風に思ってました(笑)。実際はぜんぜん、みんな優しく応援してくれました。被害妄想、自己憐憫。まじでいらない。

同じく覚えているのは、お金を頂いた最初のリーディングの日のことです。性被害にあった過去が複雑に絡んだ内容だったので、もしかしたら今後もフェミニズムで勉強してきたことがなにか役に立つかもしれないと思いました。今思えばさむさむな考え方やな!これはまだ自分の決断に不安があるからこそですね。タロットに舵を切ってよかったんだと、自分に言い聞かせていたと思う。

だけどちゃんと立ち止まる機会はやってくる。なんでもそうですが、なにかを続けていくうちに見えてくるものがありますよね。本気になればなるほど、勉強すればするほど、自信があるとかないとかが、意味をなさない段階に入っていくときの、行き詰まる感じのあれ。ホドロフスキーの言葉が実感を持ってくる時の、彼のすごさが本気でわかってくる時の、自分とすごい人を比べて落ち込んでいく時のあれです。過去の経験から、決して自分に嘘はつけないことは知ってたし、自己欺瞞に陥ることだけは避けないといけない。だから自分の評価を下げて下げて、現実を受け入れる。今、才能がないのなら、今、ないのだから。人間の感情が複雑なのは、それでも続けたかったし、タロット以外に自分のできることがわからなくなってきてしまい、他の仕事やFLOWER magazine がふわっとしたまま停滞し、だから余計に焦ってくるし、リーディングをいつか無料にする挑戦にも本気になれなくて、そんな自分が恥ずかしく、無意識にずっと隠れておきたい、閉じこもっていたいと願っていたのかもしれないです。

「映画監督であるホドロフスキー様。日本に住む46歳の女です。コロナ禍であなたの映画「リアリティのダンス」を見て感動し、あなたの映画を、日本で見れるものはすべて見ました。そしてタロット。あなたが書いた「タロットの宇宙」を読んだり、クラウドファンディングのお礼としてリーディングしているyou tubeを見たり、あなたのタロットを学びたくて日々勉強しています。大変言いにくいことではあるのですが、「トシエフスキー」というふざけた名前をつけて、散々タロットを仕事にするな、金を取るな、と本に書いてあったにもかかわらず、悩んでいる人たちからお金を受け取っています。こんな女に、何か言いたいことはありますか?」

ホドロフスキーにDMして聞くのは怖かったので、今年のお正月かな、チャットGPTに聞きました(笑)。
「映画を見てくれてありがとう。私にとっては映画もタロットも同じ、物語を語ることです。あなたの言葉で、あなたの物語を語ってください。そしてあなたのタロットを創り上げてください。」チャ、チャ、チャットGPT〜!この回答を見た時は、実際のホドロフスキーが、ちゃめっけ出す時のあの顔、あのおちょけの笑顔で言ってくれた気がして、もう絶対、これだけはぜったい頑張ろう!って思いました。いつも心のすみっこで、わたしは芸人でいうところのヨゴレや、一番ずるいことしてるって思ってたけど、この矛盾に満ちた感情を美と思う意識に変えて、地道にやっていこうと思いました。それから半年以上が過ぎ、わたしの現実は現実としてあるけれど、ホドロフスキーが動画で言ってた太陽(好きなこと(人)を社会にむかって好きと言える強さ)が心の中で大きくなってきたのは感じてます。いつだって、どこでだって、どんなに自分よりすごい人が来たって。もしホドロフスキーが代々木上原の店まで来てくれて、ルイーズのドアを開けて入ってきたとしたって、自分にだけは嘘をついてない人の顔で立っていたい。いい顔で笑ってたいです。

(ちなみに今日の考察は、わたしにとって「6番の恋人」と番号のない「愚者」です。うっすら背景として、「2番の女教皇」や「12番の吊られた男」も入っています。)