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『次郎長社長と石松社員』(1961年5月21日・ニュー東映・瀬川昌治)

U-NEXTで東映(ニュー東映)「進藤の社長シリーズ」を1日一作ずつ連続視聴している。進藤って誰?の時代に突入しておりますが、進藤英太郎さんのことです。東宝の森繁久彌さんの「社長シリーズ」が大当たりして、空前のサラリーマン映画ブームが巻き起こっていたので「東映でも」と企画された柳の下のドジョウ・シリーズでもある。

東宝が森繁なら、東映は進藤、ということ。しかし「森繁」は、名字だけどニックネーム、「エノケン」のような愛称であるけど、「進藤」は愛称になりえず、どうしても「呼び捨て感」が否めない。すくなくとも、ぼくは子供の頃「進藤の」は失礼だな、と思っていた。考えてみたら、森繁久彌さんは名字がそのまま愛称になった稀有な例ではないか?

進藤英太郎さんといえば「木下恵介アワー」「おやじ太鼓」のワンマン社長、ワンマン親父として、ぼくは大好きだった。その頃、テレビでさかんに「進藤の社長シリーズ」が放映されていて、進藤社長のキャラクターはほぼ、同じ芸風、印象だったので「おやじ太鼓」の映画版だと思っていた^_^

しかし、さすがの娯楽映画研究家もシリーズ全作を制作順に、観る機会がなかったので、U-NEXTでの配信を、毎晩、100インチスクリーンに投影するは、至福の喜びでもある。シリーズは全6作。

・1961.05.21 次郎長社長と石松社員 瀬川昌治
・1961.07.08 続次郎長社長と石松社員 渡辺邦男
・1961.09.23 次郎長社長とよさこい道中 瀬川昌治
・1961.11.01  石松社員は男でござる 飯塚増一
・1962.01.09 次郎長社長と石松社員 威風堂々 渡辺祐介
・1963.03.03 次郎長社長と石松社員 安来ぶし道中 瀬川昌治

 この中で東宝の社長シリーズも撮っているのは渡辺邦男監督だけ。第二作は、正調サラリーマン映画で、なるほど東宝っぽい(笑)

第一作は、東宝のシリーズ代表作にしてビッグヒットとなった『社長道中記』(1961年4月25日・松林宗恵)の一ヶ月後。ヒットしたのは同時上映が黒澤明監督の『用心棒』の併映作だったから、でもあるが。面白いのは、日活がその直前に、宍戸錠さんの『用心棒稼業』(4月23日・舛田利雄)を封切って、東映が一ヶ月後に本作という。邦画界のネタ合戦というか、サラリーマン映画ではないけど、アイデアの頂き合戦が展開していたことがわかる。

しかししかし、ずっと「森繁の社長シリーズ」にあやかった便乗企画と、鷹を括っていた自分に、猛省を促したくなるほど、驚きと発見の連続である。面白いのなんの。ワンマン社長と若手社員の「仕事を超えた親密な関係」は、「大久保彦左衛門と一心太助」がそのルーツでもあり、東映にしてみれば、東京製作ではあるが「手の内」でもある。なので、本家の小林桂樹さんの若手社員に該当するのは、錦之助の弟・中村嘉葎雄さんである。なので劇中で「森の石松を演った錦之助に似ている」という楽屋オチのセリフもある(笑)

で、コンセプトとしては「清水の次郎長と森の石松の現代版」ということで、記念すべき第一作として『次郎長社長と石松社員』(1961年5月21日・ニュー東映)が作られた。監督・脚本は、瀬川昌治監督。喜劇作家として、昭和40年代にかけて数々の傑作を手がける瀬川監督は、新東宝時代に松林和尚(宗恵)に師事して、齋藤寅次郎監督のアチャラカ喜劇の現場を体験してきた。

本家「森繁の社長シリーズ」のメイン作家が松林宗恵監督なので、こちらはその弟子の瀬川昌治監督、というのもわかりやすい。そのことで、実はこのシリーズが、単なる「柳の下のドジョウ」でなくなっていくのである。ソコダイジナトコである。

森繁版が、毎回会社の設定が変わるのに対し、こちらは「連続もの」つまり「サーガ」となっている。なので、中村嘉葎雄さんとエレベーター・ガールの佐久間良子さんが、いつも社長の無茶ぶりによって、なかなかゴールインできないというルーティーンも生まれて、さながら「連続ドラマ」を観ているような楽しさがある。

改めて第一作を観ると、のちの「サラリーマン喜劇」「あの手この手」がすでに本作で使われていることに驚かされる。『次郎長社長と石松社員』という設定は、翌年の東宝の正月映画『サラリーマン清水港』(1962年1月3日・松林宗恵)よりも、こちらが早い。

しかも、石松社員は、入社してしばらく次郎長社長の顔を知らずに、下宿(花澤徳衛の葬儀屋)の隣に、妾宅(愛人・蝶子は星美智子)を構えている次郎長社長が、ある日、妻・春子(清川玉枝)が乗り込んできて修羅場となる。で、石松の下宿の部屋に逃げ込んできて… しかも身分を隠したままなので「かわいそうなおじさん」と、石松が面倒を見る。

社長と社員が、お互いの身分を知らないまま知り合って、仲良くなるも、その関係を知った社員が「なんだ社長だったのか!」「おじさん」に失望する。という展開は・・・ あれれ? 三國連太郎さんと西田敏行さんの『釣りバカに日誌』(1989年)の設定じゃないか!

少なくとも、瀬川監督の第一作には、直後の『サラリーマン清水港』とはるかのちの『釣りバカ日誌』のモチーフが、偶然(なのかどうか)すでに描かれている。さらに共通の趣味を持った社長(進藤英太郎)と社員(谷啓)の秘密の関係に発展するのが瀬川監督の『喜劇競馬必勝法』(1967年・東映)の第一作である。

『喜劇競馬必勝法』の頃に「釣りバカ日誌」原作者・やまさき十三さんが、東映東京撮影所に助監督として勤務していたということも、緩やかだけど関係している。瀬川監督の『喜劇競馬必勝法』がのちの「釣りバカ日誌」のアイデアに繋がったわけである。

清水次郎長の3代目・清水長次郎(進藤英太郎)は、下着メーカーシミロン紡績会社のワンマン社長。三流の天山大学出身の森川石松(中村嘉葎雄)は、その名前のおかげでなんとか就職ができた。恐妻家の長次郎は、2号の蝶子(星美智子)がありながら、バー「次郎長」の水島リエ(相川昌子)にも鼻の下を伸ばしている。

その頃、シミロン紡績の総務部長・室谷(加藤嘉)と秘書課長・柳(柳澤真一)は、株の思惑買いで会社の金を使い込み、その補填のために会社の新商品の秘密をライバル会社のニシロン・西野紡績に売ろうとする。その情報を察知したリエは、マネービルの会社を経営している譲次(水木襄)と石松にリーク。譲次と石松は大学時代からの親友。というわけで、石松は会社のピンチを救うべく、八面六臂の大活躍をする。

第一作は、基本的に「サラリーマン小説」とその映画化である「サラリーマン映画」のパターンを踏襲。家族的会社経営を是とする、この時代、ワンマン社長に辟易しながらも、会社のために粉骨砕身、会社に不利益をもたらす悪役をやっつける、というもの。

源氏鶏太のサラリーマン小説が大ヒットするなか、小説の世界でも若山三郎などの風俗作家が「サラリーマン映画風のサラリーマン小説」をたくさん執筆していた。そうした春陽文庫などに入っていて、ぼくは中学生の頃、昭和30年代の空気を味わいたくて、よく読んでいた。云うなれば、このシリーズは、その「春陽文庫」のサラリーマン小説の味わいでもある。

瀬川監督らしいのはコマーシャルの本歌取り。「ハマホームの歌」で楠トシエさんが歌っていた「 ♪ いいタッチカシミヤタッチ」をそのままいただいて、シミロンのCMソング「♪次郎長タッチのいいタッチ」と社員も社長も連呼する。これはシリーズ後半まで歌われる。云うなれば「釣りバカ日誌」「鈴木建設社歌」のようなもの(笑)

面白いのは、シリーズ製作中に、瀬川昌治監督による『がんこ親父と江戸っ子社員』(1962年)といった、「進藤英太郎&中村嘉葎雄」コンビによるアナザー・サイドともいうべき別設定のサラリーマン喜劇も作られている。それもあって、シミロン紡績が舞台なのは、第5作『威風堂々』(1962年・渡辺祐介)まで。一年一ヶ月ぶりに作られた最終作「次郎長社長と石松社員 安来ぶし道中」(1963年・瀬川昌治)では、進藤英太郎さんは老舗旅館と旅行代理店を経営する下町の親父で、中村嘉葎雄さんは植木等さんの「無責任男」のようなチャッカリ屋の旅行添乗員だった。

会社とせいぜい出張先が主な舞台となりがちなサラリーマン映画で、旅行代理店の添乗員を主人公にすることで、タイトルの「安来ぶし道中」通り、旅行ロードムービーとなる。この主人公をそのまま国鉄マンにしたら、のちの「喜劇・列車」「喜劇・旅行シリーズ」となる。つまり瀬川昌治監督は、既存の「社長シリーズ」のバリエーションから、自らの趣向で、のちの「旅行シリーズ」のルーツ的な喜劇映画へのアプローチを試みていたことになる。

よろしければ、娯楽映画研究への支援、是非ともよろしくお願いします。これからも娯楽映画の素晴らしさを、皆さんにお伝えしていきたいと思います。