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柴又の伊達男。寅さんの“粋”、ぼたんの“鯔背”〜『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(1976年7月24日・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ

2023年7月29日(土)「土曜は寅さん!4Kでらっくす」(BS テレ東)で第十七作『男はつらいよ 葛飾立志篇』放映! 拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)から、放映作品を抜粋してご紹介します。(期間限定)

 播州龍野(現・兵庫県たつの市)で出会った芸者のぼたん(太地喜和子)と寅さんのやりとりは、歯切れ良く、観ていて本当に気持ちが良いです。渡世人である寅さんと、竜野芸者のぼたん。おたがいの苦労など微塵も出さずに、ポンポンと打てば響くやりとりで、言わずもがなの関係が成立してしまいます。ぼくらはそれを「粋だなぁ」と感じるのです。

 「粋(いき)」という感覚は、日本語特有の語句だとは、哲学者の九鬼周造氏が昭和五(一九三〇)年に『「いき」の構造』で、「他の言語に全く同義の語句が見られない」と、日本独自の美意識として位置づけています。英語にもフランス語にも「粋」にあたる言葉がない、というのは、日本人としてなんとなく納得してしまいます。江戸っ子は「宵越しの金を持たない」「熱い風呂に入る」「初ものには大金を使う」というイメージがありますが、九鬼氏は「理想主義の生んだ『意気地』によって『霊化』されていることが『いき』の特色である」とも書いています。

 寅さんに「手前、さしずめインテリだな」と突っ込まれそうですが、ぼくはこの論考を通して、江戸の粋を「やせ我慢の美学」と捉えています。寅さんも、ぼたんも、われわれ同様、厳しい現実のなかで、辛酸をなめているに違いありません。寅さんはその辛さを、時折、肉親であるさくらには吐露しますが、基本的には涼しい顔です。それを「美学」としてとらえると、寅さんの「粋」、ぼたんの「粋」に、ぼくらが憧れるのも、なんとなく納得できます。

さて、この回の主題歌の二コーラス目にこんな歌詞があります。

あてもないのに あるよなそぶり
それじゃ行くぜと風の中
止めに来るかとあと振り返りゃ
誰も来ないで 汽車が来る

 まるで映画の一場面のような、寅さんの家出の状況が、寅さんの心情とともに歌われています。ちなみに、この主題歌は第十七作から第十九作にかけての三作のみで使われています。作詞家の星野哲郎さんが創りだした「男はつらいよ」主題歌に、原作・脚本・監督の山田洋次監督が新たに加えた歌詞です。「あてもないのに あるよなそぶり」は、江戸っ子の「やせ我慢の美学」です。山田監督は、寅さんを、ただの「粋な男」として描くのではなく「粋を気取る男の内実」まで、時には笑いだったり、時には寂しさだったり、さまざまなかたちで、映画のなかで描いています。

 ぼくはそれを「寅さんの人間的魅力」として捉えています。「釣りはいらねえよ」とポンと財布を出す「粋」と、「五百円しか入っていない」という「現実」。それがセットになってはじめて、寅さんという人物の「粋」を考えることが出来るのです。

 先日、女優の岡本茉利さんから、第十七作『寅次郎夕焼け小焼け』のシナリオ第一稿を見せて頂きました。当初予定されていたタイトルが印刷されていました。『男はつらいよ 柴又の伊達男』です。「伊達男」とはご存知の方も多いと思いますが、伊達政宗が豊臣秀吉に嫌疑をかけられた時に、白装束で上方に現れ、人々が「伊達男」と呼んだのが語源と言われています。当時は「ばさら(派手な出立ち)」のニュアンスで使われていましたが、粋な男を指す言葉でもあります。

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 寅さんは「粋でありたい」と心掛けています。特に旅先では。それが江戸っ子、東京人としての矜持なのでしょう。同時に渡世人として、身綺麗の良さを心がけている。心がけているうちに身に付いたものが、ここぞという的に出てくる。それが、龍野でのぼたんとの出会いの時に発揮されたのです。

 「粋」とセットの言葉に「鯔背(いなせ)」があります。「粋で鯔背」なと使いますが、この「鯔背」は江戸時代日本橋魚河岸で流行したヘアスタイルが語源。魚の鯔(イナ=ボラのこと)の背びれに似ていることから「鯔背銀杏(いなせいちょう)」と呼びました。ここから魚河岸の若者のように、粋で勇み肌を「鯔背」と呼ぶようになったそうです。

 「伊達男」の寅さんの「粋」、ぼたんの「鯔背」…。ぼたんも寅さんも、お互いの中に深くは立ち入らない。芸者とお客さん。それだけの関係と割り切っている。そこで歯切れの良いやりとりになるわけです。寅さんが龍野を立つ朝のこと。ぼたんは寅さんを見送りにやってきます。前日の昼間、昼食の蕎麦屋で会った時同様、営業用の着物姿でなく、普段着の、飾らないスタイルです。「ゆんべ寅さんが好きだって言ってた、あれ」とお土産を持って。

 寅さんの「おう、ぼたん、いずれそのうち、所帯持とうな」とぼたんの「ほんま? 嘘でも嬉しいわぁ」「粋」です。お互い、面倒くさいしがらみがないから、でもあるのですが、このやりとりには惚れ惚れとします。

 渥美清さんと太地喜和子さんの、俳優として、女優として、持っているもののチカラなのですが、二人の相性は抜群です。行きずりと割り切っているからこそでもあるのですが、同時に、この時の心地よさが、それぞれの心に残ります。それが、相手を意識する、恋愛感覚の萌芽でもあるのです。

 少なくとも寅さんに関しては、柴又に帰ってからの、いつもの展開で明らかです。おばちゃんが一生懸命作ったおかずにも手をつけずに「龍野ではな」と溜息まじりに過ごしていることを、さくらが御前様に相談する場面があります。さくらは「ひょっとしたら、兄はその芸者さんの誰かを好きになっちゃったんじゃないかと」と懸念しています。それが的中するのが、ぼたんの来訪シーンです。

ぼたん

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください。


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