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『忍びの者 伊賀屋敷』(1965年5月12日・大映京都・森一生)

 連日のカツライス劇場。今回は八千草薫がゲストの二本立て。まずは市川雷蔵が孤高の忍者を演じたシリーズ第6作『忍びの者 伊賀屋敷』(1965年5月12日・大映京都・森一生)。脚本は、それまでの高岩肇から直居欽哉と服部桂へとバトンタッチ。直居欽哉は日活で裕次郎の『天と地を駈ける男』(1959年・舛田利雄)や赤木圭一郎の『幌馬車は行く』(1960年・野口博志)などを手がけた後、東映時代劇や東映任侠ものの端緒となった『人生劇場 飛車角』(1963年・沢島忠)を執筆、娯楽映画のシナリオライターとして活躍。これが最初の大映作品となった。なので、テイストはこれまでとは少し変わっている。

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 権力者たちに利用され、時代に翻弄される「下忍」の悲哀と抵抗の物語として「忍びの者」シリーズが作られてきた。第一作で山本薩夫監督が提示したテーマが、このシリーズに通底していた。今回も、基本的にはそうなのだが、ヒロインに東宝の八千草薫を迎えたこともあって、クールで非情な忍者の世界に、少しだけ華やかな娯楽時代劇のテイスト、ロマンス要素が加わっている。「生きるか死ぬか」から「愛するか諦めるか」へ

 主人公は、第4作からの「真田幸村に仕えた霧隠才蔵」なのだが、今回はその息子・才助(市川雷蔵)が霧隠才蔵を名乗って、父・才蔵の宿願であった「徳川幕府転覆」のために暗躍する。八千草薫は、亡き真田幸村(前2作で城健三朗=若山富三郎)の遺児・百合姫。彼女にはもう一つの顔があった。幼くして才助と別れた百合姫は、生々流転、運命の皮肉で甲賀忍者として育てられ、伊賀忍者の霧隠才蔵と対峙することとなる。

 この2人は、才助の父・霧隠才蔵に兄妹として育てられ、幼い頃から互いに惹かれあっていた。「スターウォーズ・サーガ」におけるルークとレイアのような感じである(あれは、最後に兄妹とわかるのだが・・・)。なので『続・忍びの者』(1963年)で藤村志保が演じた、石川五右衛門(雷蔵)の妻・マキへの愛とは少し違う。五右衛門は、愛するマキと息子を豊臣方に惨殺され、非情の忍者として復讐を果たしていく。それゆえストイックでクールな孤高の「忍びの者」となる。本作での二代目・霧隠才蔵は「父の宿願を果たす」「幸村の娘・百合姫の幸せを願う」「百合姫への慕情を断ち切る」などを背負っていて、なかなかクールでもストイックではいられない。つい情に流されそうになる。そのうえ、由井正雪(鈴木瑞穂)の幕府転覆のサポートをしていくので、なかなか複雑なヒーローなのである。

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 前作『忍びの者 続・霧隠才蔵』(1964年12月30日・池広一夫)のラスト、徳川家康暗殺から二十一年後、島原の乱から物語が始まる。真田幸村に仕えていた霧隠才蔵(市川雷蔵)は、息子・才助と幸村の遺児・百合姫を遺して、松平伊豆守(山形勲)倒しに向かう。その行列を襲撃した才蔵だったが、返り討ちに会い、宿願を果たさずに絶命してしまう。

 それから八年、慶安年間、三代将軍家光の時代。才助は二代目・霧隠才蔵(雷蔵)として、徳川に恨みを持つ浪人たちを陰ながら支えていた。由井正雪(鈴木瑞穂)、丸橋忠弥(今井健二)たちが、徳川幕府転覆を謀る計画を立てており、才蔵はそのサポートをする。

一方、百合姫(八千草薫)は幼くして、才助と別れた後、伊豆守に引き取られ、甲賀忍者・お蘭として育てられていた。才助=才蔵は百合姫に心を寄せていて、百合姫=お蘭もまたそうだったが、今は敵味方、お互いの情勢を探り合っていた。

 由井正雪と才蔵は、徳川に叛旗を翻す可能性のある紀州・徳川頼宣(北龍二)に密かに会って、その本心を告げる。頼宣はもともと、徳川に遺恨を持つ浪人たちを召し抱えていて、その叛乱計画に乗る。正雪は、軍資金一万両と、頼宣のお墨付きを求め、頼宣は家臣・牧野兵庫(香川良介)の一存で行ったこととして、それを受諾する。こうして全国の浪人たちを決起させ、徳川幕府転覆を謀る叛乱計画が進行していくが、伊豆守は、甲賀忍者・甲賀幻心斉(殿山泰司)、お蘭(八千草薫)を使って、その情報をキャッチ。事態は思わぬ方向へ・・・

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 ここで、お蘭を育てた忍者マスター、甲賀幻心斉が登場するのだが、当初は石黒達也がキャスティングされていたのに、諸事情で殿山泰司が演じている。なので、どことなく庶民的な甲賀幻心斉となってしまった。データベースなどでは石黒達也となっているが、実際は殿山泰司。なのでクールで非情の世界、という感じが薄い。なんだか「忍たま乱太郎」みたいな感じで、伊豆守と密談するシーンでも、壁の能面を外すと幻心斉が顔を出すのだが、締まりがないというか、つい笑ってしまう。

 山形勲の松平伊豆守が相当な老獪で、また由井正雪の乱に加担する北龍二の徳川頼宣も相当なタヌキである。正雪の腹心で血気盛んな丸橋忠弥を演じているのは東映出身の今井健二。今回は悪役ではなく、純粋な気持ちで幕府転覆を願う武士だが、その仲間内に敵方に情報を流している裏切り者がいて・・・という展開となる。クライマックス、才蔵がその裏切り者を成敗する時に「お主は正体を知らぬ方がいい」と、才蔵が気遣いをする。

 今回の才蔵は、前作より、フェミニストぶりが増していて、甲賀忍者となってしまった雪姫の命を助けて「幸せに暮らす道を探して欲しい」と優しく語りかける。非情な忍者の掟およりも「平凡な幸せ」が優先する。これが雷蔵の「忍びの者」のポリシー。前作あたりから、それが明確になってきた。同時期の「眠狂四郎」もまたそういうキャラクターになってきていた。

 特に今回、全てが終わってのラスト。才蔵と百合姫が心機一転の旅立ちのシーン。才蔵は幸せなになって欲しいと雪姫に別れを告げて、ひとりで歩いていく。その時の感情は、股旅ものの「惚れていながら、惚れない素振り」を思わせる。百合姫に戻った八千草薫の美しさあればこそのシーンでもあるが。この映画について、八千草薫さんご本人に話を伺ったら「とても楽しくて、面白かった」と仰っていた。


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