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『日本一の裏切り男』(1968年11月2日・東宝・須川栄三)

深夜の娯楽映画研究所シアター。東宝クレージー映画全30作(プラスα)連続視聴。

22『日本一の裏切り男』(1968年11月2日・東宝・須川栄三)

5月1日(日)は、植木等さんの「日本一シリーズ」第6作にして、大胆なリニューアルを試みた『日本一の裏切り男』(1968年11月2日・東宝・須川栄三)を、アマプラの東宝チャンネルでスクリーン投影。演出の須川栄三監督は、ハードボイルドの傑作『野獣死すべし』(1959年)や松本清張原作のミステリー『けもの道』(1964年)などの作品を手掛けてきた。

東京オリンピックに沸き立つ昭和39(1964)年、「日本オリジナルのミュージカル映画を!」と東宝が鳴り物入りで製作した『君も出世ができる』に植木等さんをカメオ出演させている。トリスバーのカウンターでオダを上げているフランキー堺さんと高島忠夫さんの横で、酔っ払っている植木さんが登場! 「これが男の生きる道」〜「日本では」を歌う! 夢のようなシーンを実現させた。その縁があってのクレージー映画へのリリーフ登板だった。

ポスターヴィジュアル

というわけで前作『日本一の男の中の男』(1967年12月31日・古澤憲吾)で、風刺が一回りして結果的に、アナクロな「スーパーサラリーマン喜劇」になってしまったシリーズに「現代的なラディカルさ」を取り入れたのが本作。これは渡辺晋プロデューサーの意向が大きい。そこで脚本には早坂暁さんと佐々木守さんが抜擢され、それまでの「サラリーマン映画のバリエーション」から脱却。「国に裏切られて、特攻隊で生き残った男」が、時代と国に裏切られながらも、タフに戦後史を生き抜いていくバイタリティ喜劇。というコンセプトが生まれた。

須川監督から「戦後史の中に、植木等の無責任男をぶち込んだらどうなるか。自分たちの時代史をクレージー映画でやってみよう」とインタビュー伺ったことがある。これまで植木等さん単独主演作のシリーズだったが、本作ではハナ肇さんが「天敵」として登場する。時代のなかで二人の対決が繰り返され、実質的に「植木&ハナ」のコンビ作品となっている。

昭和20(1945)年8月15日、敗戦の詔勅を「激励」と勘違いした特攻隊長・大和武(ハナ肇)は、日の本太郎(植木等)に出撃を命じる。出撃前夜、「国のために死ぬ」決意をした太郎に「女の操」を捧げた銃後の日見子(浜美枝)は涙で見送る。

太郎の乗った戦闘機は、オンボロの赤トンボ(九三式中間練習機)であちこちガタが来ている。それでも太郎は「日の丸鉢巻締め直し グッと握った操縦桿」「索敵行」(作詞:野村俊夫 作曲:万城目正)を勇ましく歌うが「あれ?」となる。この歌は、昭和18(1943)年の松竹映画『愛機南へ飛ぶ』(佐々木康)の主題歌で、伊藤久男、霧島昇、楠木繁夫が歌っている。

しかし太郎の赤トンボは整備不良のまま、アメリカ艦に落下。特攻は失敗してしまう。ここで日系アメリカ人の桜井センリさんが登場! 昭和20(1945)年8月30日、マッカーサーが厚木に到着。なんと太郎も同じ飛行機のタラップを降りてくる。

で、上官・大和武に裏切られた日の本太郎。純潔を捧げたのに生きながらえている太郎に裏切られたと感じている日見子。大和武←日の本太郎←日見子の対立、対決が、戦後史の中で繰り返されていく。ちなみに主題歌「こりゃまた結構」(作詞:青島幸男 作曲:萩原哲晶)は劇中で2チャンス流れる。前半の隅田川でのパチンコ玉を乗せた船のシーン、後半、セスナを飛ばしながら歌うシーン。第二期「植木等ショー」(TBS・1968年7月〜12月)では主題歌としてテレビでも歌われた。

さて、「アメリカへの徹底決戦」を叫びながら、かつての部下たちを取り巻きにして闇屋の親分となった大和武。太郎は大和への復讐を誓うも、闇屋が儲かるとすぐに子分になってしまう軽薄さ。焼け跡のセットや、闇市のセット。有楽町駅界隈をイメージにした鉄道高架のマーケットなどのセットは、さすが東宝。お金をかけているというか、よくできている。「若大将」シリーズ「田能久」のセットデザインなどを手掛けてきた竹中和雄さんの美術が素晴らしい。闇市で「栄養雑炊」を売っているのが小沢昭一さん。『続拝啓天皇陛下様』(1964年・松竹)で小沢さんが演じたキャラのスピンオフのようで楽しい。

で、折角、闇屋で大儲けした札束が新円切り替えでパーになり、朝鮮戦争特需でパチンコ玉で大儲けを目論むもこれまた停戦でパー。日の本太郎は、常に「時代に裏切られ」続けていく。移り行く時代を、コントのようなスケッチで描いていく。これまでのストレートなサラリーマン喜劇に慣れていると面食らう人もいるだろうが、僕がこのオフビート感が子供の頃から好きだった。

劇場プログラム

このクレイジーによる「戦後史」は、昭和41(1966)年5月の梅田コマスタジアム「贋作クレージー伝 ドレミファ物語」(作:田波靖男 ショウ構成:塚田茂)で試みたパターン。クレイジーキャッツの面々が焼け跡でジャズマンとなり、出会い、グループを結成して現代に至るまでの「戦後史」「贋作クレージー伝」としてフィクションで描いたもの。

渡辺晋プロデューサーの発想の原点は「映画で”ドレミファ物語”をやろう」だったと思われる。この映画が作られた昭和43年は、明治100年ということで、昭和史回顧ブームがあらゆるメディアを席巻していた。つまり時代のムードだったのである。この年の12月、恒例の東京宝塚劇場「爆笑クレージー年忘れ公演」「ドレミファ物語」だった。

さて、映画に戻ろう。昭和35(1960)年、日の本太郎は電車の中で傷痍軍人のスタイルで「軍隊小唄(ほんとにほんとにご苦労ね)」を歌って募金を集めている。昭和40年代までは、浅草や上野、錦糸町などの盛り場には、こうした傷痍軍人スタイルの人(もちろん本物もおられた)が募金を集めていた。転んでもタダでは起きない「裏切り男」の日の本太郎。ここで日見子と再会。駅前でカウンターバー「金次郎(かねじろう)」のママとなった日見子は、太郎をマスターにして一緒に暮らしたいというささやかな夢を抱いている。

しかし、その夢をぶち壊すのが、土建屋となった大和武たち一味。東京五輪に向けての再開発ブームに乗って大儲けをしていた。時はあたかも60年安保、日の本太郎率いるバーの女給たちが、全学連よろしく「全バ女連」を結成、学生たちと共闘する。この全学連の学生に、加藤茶さんと仲本工事さん。ドリフの面々が随所に出演。(いかりや長介さんは、闇の床屋さんですでに登場)。デモを中継するアナウンサーに古今亭志ん朝師匠。

常に「楽して儲けるスタイル」で生きている日の本太郎は、大和たちが買収を請け負っている「オリンピック道路」のコースをスパイ。そのルートにバー「金次郎」チェーン、36店舗を開業。立退料3億6千万円を手にするも、まんまと日見子に持ち逃げされてしまう。とにかく「裏切り、裏切られ」の連続なのである。田舎の土地の地主・喜作を柳家小せん師匠演じている。ちょうど第二次演芸ブームの頃である。

それでも懲りない太郎は、昭和40年代、「タワシから飛行機まで 日本にあるもの何でも売ります」「オールセールス社」を設立。オンボロセスナをなべおさみさんに売りつけたりして強かに生きている。で、3億6千万円を元手に大成功している日見子は、大和武を執事にして悠々自適。なんと「オールセールス社」を買収。太郎を部下にしてしまう。

ここで大和武が請け負ったのが「キドカラーの飛行船のような宣伝用の飛行船」。ぼくらの子供の頃、日立のカラーテレビ「キドカラー」のパブリシティで、日本全国の空を「ポンパ号」が飛んでいた。懐かしいったらありゃしない。大和のクライアントは製薬メーカー。その担当に、キザで女性言葉を使う犬塚弘さん。いよいよ空気を入れようという段になり、空気弁がないことに気づいて大和たちは大慌て。そこで太郎は、係留中の「キドカラーの飛行船」に忍び込んで空気弁を盗み出すことに。いくら喜劇映画とはいえ、タイアップ先の「キドカラーの飛行船」の部品を盗みにいく展開とは!

キドカラー号の勇姿!

アクシデントが重なり、なんと大和を宙吊りにしたまま飛行船が飛び始める。このシークエンスがおかしい。雨の日も風の日も大和は飛行船に宙吊りのまま。連日メディアが報道。東京タワーの尖塔にしがみついて助かった大和は窃盗容疑で逮捕される。その頃「オールセールス社」には「国会議員一名を送り込んでほしい」との依頼があった。「再軍備法案」をめぐって与野党が対立、その票数も拮抗していたため。

そこで太郎は、拘置中の大和を出馬させるため、自分が罪を被って逮捕される。マスコミの寵児となった大和は、見事に国会議員となる。この辺りハナ肇さんのキャラクター全開。田舎の代議士をやらせたら天下一品。『クレージー黄金作戦』(1967年)のキャラのリフレインでもある。さらに「平和法案」をめぐる国会での論戦は、『クレージーだよ奇想天外』(1966年)のクライマックスのリフレインでもある。

宣伝部作成のチラシ

で、ここまでは、作り手、観客にとっても「同時代の戦後史」でもあった。映画はここから2年後の未来「70年安保」をめぐる国家の分断を描いていく。「再軍備か否か」で日本が分断されて、世の中が騒然となる。その辺りのカリカチュア描写が楽しい。で、日見子の全財産で無事に保釈された太郎は、大和の議員秘書となって、与野党にそれぞれ大金で「票を買わせる」まさに究極の「裏切り男」である。ここで与党幹事長として登場するのが藤田まことさん。もういい加減な男をやらせたら、これまた天下一品。

騒然とする国会。金まみれの日本人。子供も、犬も、学生も、みんな分断されて大騒ぎとなるなか、太郎は国会議事堂のてっぺんに登って、カメラ目線で開き直って一言。このオチ!究極の「裏切り男」はここで完成する。

この『日本一の裏切り男』はこれまでのクレージー映画とは、作り方もテイストも、笑いの質も大きく変わっている。それゆえに魅力的なのである。須川栄三監督は翌年の『日本一の断絶男』(1969年11月1日・脚本:田波靖男、佐々木守)では、植木さんに、さらに得体の知れない「断絶男」を演じさせることとなる。


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