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『娘十八びっくり天国』(1952年2月29日・新東宝・齋藤寅次郎)

 齋藤寅次郎監督『娘十八びっくり天国』(1952年2月29日・新東宝)。タクシー運転手・茶吉(アチャコ)とおよし(音羽久米子)の夫婦は子だくさん。アチャコの十八番となるラジオドラマ「お父さんはお人好し」(1954年12月〜1965年3月)に先駆けての子沢山ものだが、もともと斎藤寅次郎がサイレント時代から繰り返し描いてきた『子宝騒動』『この子捨てざれば』の発展系。

ポスター

「産めよ増やせよ」の国策の戦前、徳川夢声・英百合子主演の『子寶夫婦』(1941年・東宝)、戦後ベビーブームの時代とはいえ子沢山の金語楼が、美空ひばりを養女に出す『あきれた娘たち』(1949年・新東宝)など、「産めよ増やせよ」はたまた「産児制限」といった時代に合わせて、寅次郎監督は「子沢山映画」を量産。その集大成が、アチャコと浪花千栄子夫婦のNHKラジオドラマの映画化シリーズ「お父さんはお人好し」(1956年・大映)だった。

 茶吉の家は、幼児、小学生、中学生、そして長女で学校の先生・美津子(関千恵子)まで、家に入りきらないほどの子沢山。それでもまた、女房のおよしは妊娠しているようだ。賑やかな朝食の時間が終わって、茶吉が出勤の準備をしていると末の男の子が、自分の小さな弁当と茶吉の大きな弁当をこっそり取り替えたり。いちいち、アチャコのリアクションがおかしい。

 さて、一家に居候しているのは、バタ屋部落や貧しい人々に、無償で治療している酔いどれ医者・今井先生(古川ロッパ)。二階の仕事部屋で、実験器具や薬品が並んでいるが、調合しているのは薬用アルコール。蒸留水で薄めて一杯やっているのだ。

 敗戦後まもなく、お酒の配給制度は続いていて、飲兵衛たちが不自由していた時代、闇の酒場で、薬用アルコール=メチルアルコールを飲んで、失明したり、亡くなる人が続出。社会問題となった。寅次郎監督は、戦後初の正月映画『東京五人男』(1945年・東宝)で、この「メチル」ネタをいち早く取り入れて、メチルを飲んだ鳥羽陽之助、石田守衛たちの悪党のクビが曲がってしまうというギャグを展開。

古川ロッパ

 ロッパの場合は、主役の一人なので、あくまでも「酔いどれ天使」のパロディ的なキャラクターであるが、バタ屋部落での予防接種のシーンでは、注射を打つ前、打った後に必ずポケット瓶からウイ(スキー)をキュッとやる。戦後の寅次郎作品や他のアチャラカ喜劇同様、ロッパは好人物の中年男で、これといったギャグや笑いはない。むしろ説教をしたり、良い話のパートを担っている。なので、のちの世代には「昭和の喜劇王・ロッパ」の凄さ、面白さはなかなか伝わらない。まぁ、ロッパの身上は、その存在感と膨大な「古川ロッパ昭和日記」に記されたインテリジェンスにあるので、戦後の映画では「かつて一世を風靡した喜劇人」の残滓という感じでもある。

 さて、ロッパの今井先生は、高利貸し・おたか(清川虹子)の亭主だったが、金色夜叉の女房に愛想づかしをして家を出ている。この映画の破壊的な笑いを担っているのが、清川虹子の高利貸しの金の亡者ぶりと、成金マダムぶり。そしてその番頭で、おネエ言葉の優男・竹村(伴淳三郎)。この翌年ぐらいから圧倒的な人気者となっていくトニー谷のような、インチキくさいインテリで相当間抜けでずる賢いキャラ。シスターボーイという概念がそろそろで始めた頃、伴淳のおネエ言葉は、結構なインパクトがあっただろう。で、アジャパー・ブレイク前夜でもあり、東北弁から派生した感嘆句「あじゃー」は連発するが「パー」はない(笑)この頃の伴淳は、波に乗っているというか、存在そのものが破壊的である。のちの「駅前シリーズ」(1958年〜1969年)などでのズーズー弁の孫作とは違って、攻撃的、飛び道具的でもある。

伴淳三郎

 さて、もう一人の主役・柳家金語楼は、アチャコのライバル的存在の桶屋の桶屋の金蔵を演じている。金語楼が娘・月丘千秋にかけた期待と、それが叶わずがっかりする。一緒に動揺する岡村文枝の女房。戦前からの「金語楼映画」のフォーマットである。つまり金語楼はストーリーを牽引し、アチャコはボケとギャグで笑いを担い、ロッパの存在感が引き締める。といった役割なのである。戦後、子供たちが喜劇映画で夢中になったのは「むちゃくちゃでござりまするがな(とはほとんど言わないが)」のアチャコちゃんが、手の平を伸ばしてをフリフリ、おろおろする姿なのである。

西岡タツオ 柳家金語楼

 おかしいのは、桶屋の小僧を演じている西岡タツオ。戦後の寅次郎映画には欠かせない名子役で、昭和30年代にかけて連続出演。寅次郎映画を見続けていると、いつしか大人になっていく。その成長を見ることができる。この時はまだあどけなさが残っていて、珍妙なメガネをかけて、漫画のキャラクターのようでもある。桶にとんかちを打ち付けるリズムに乗せて自慢の喉を披露するが、その歌声がなんと、バタヤンこと田端義夫! 曲は昭和23年のヒット曲「ひょうたんジルバ」(作詞・加藤省吾 作曲・睦明)。「♪おいら 後生楽 ひょうたん男よ〜」と調子の良いリズム歌謡。寅次郎映画の常連・田端義夫は未出演だが、西岡タツオが仕事中、調子良く歌うと、なぜかバタヤンの声になるのがルーティーンで描かれる。なので、バタヤンも出演カウントに入るのか?

 金蔵の女房・おかよを演じているのは岡村文子。その娘・房子(月丘千秋)は仙台に産婆の修業に行った筈だが、私生児を産んで帰郷。しかし、家に帰ることができず、赤ん坊を抱えてタクシーに乗り「上野公園まで」。その運転手が茶吉で、クルマは上野の跨線橋で立ち往生。で、クルマは故障ではなく、単なるガス欠だったというオチなのだが、茶吉がクルマの下に潜り込んでいる隙に、房子はバックシートに赤ちゃんを置いて立ち去ってしまう。

 この「捨て子」をやむなく引き受けて家に連れて帰って面倒をみる。というのも寅次郎映画で繰り返されたパターン。しかし女房・およしは、夫が他所で作った子ではないかと疑って、猛烈に嫉妬する。これものちの『金語楼の天晴れ運転手物語』(1956年・斎藤寅次郎)でリフレインされる。この時は清川虹子だったが嫉妬からくるヒステリーは喜劇的だが、戦前から母親役でシリアスな演技もしてきた音羽久米子だけに、少し生々しい。

 房子は行く末を悲観して、隅田川を彷徨い、川に飛び込んで自殺未遂。それを助けたのは今井先生で、赤ん坊の父親は医学生・一郎(木戸新太郎)だった。赤ん坊ともども、茶吉の家の世話になる房子のために、茶吉は一計を案じるが… ロッパの孫は、金語楼の孫でもあり、清川虹子の孫でもある。「この子捨てざれば」に始まり「孫はかすがい」となる。

 なんといってもクリーニング屋・音松(渡辺篤)がおかしい。音松考案による新発明のクリーニング装置は寅次郎映画名物「無駄骨装置」。ボロボロの服を入れ、針と糸、原子洗剤(!)を入れてスイッチオン。すると破れた部分が繕われて、クリーニング完了。そのマシンに伴淳が投げこまれて、真っ白けに。

無駄骨装置!

 さて、寅次郎映画で第二の美空ひばりとして売り出された打田典子は、清川虹子の娘で、関千恵子の生徒。母親に顧みられず寂しい思いをしている。もちろん一曲、たっぷり、切なそうに、しみじみと歌声を披露。

 後半、債権者から利息を集めてきた伴淳が、シワシワのお札をアイロンで伸ばしている。そこに伴淳が色気を出している女中(初音礼子)がやってきて、お札をくすねつつ、二人でイチャイチャする。初音礼子は、1925(昭和2)年に宝塚歌劇団14期生として入団。初音麗子の名前で活躍。敗戦直後に退団。その後は喜劇女優として、宝塚映画、新東宝映画のアチャラカ映画の常連となった。伴淳と初音礼子のがイチャイチャする姿はナントモハヤの珍妙さ! そうこうしているうちに、アイロンからお札に引火して火事になってしまう。

 清川虹子は半狂乱になり、金庫のお金ばかりを気にして、使用人たちに運び出せと金切声。しかしそんなご主人に愛想を尽かして、伴淳たちは逃げ出してしまう。でも、隣のクリーニング屋・渡辺篤は、いかに犬猿の仲といえ、義を見てせざるは勇なきなり! 若い連中を連れて消化活動へ。しかし時すでに遅く、屋敷は全焼。呆然とする清川虹子。そこで、小学生の娘・打田典子の姿が見えないことに気づいて半狂乱。渡辺篤は「この下で灰になっているかも」と無情なことを言う。

 この映画のチーフ助監時は松林宗恵監督、セカンドに着いたのが瀬川昌治監督。寅次郎監督から「マグロの骨の作り物」を依頼されて作成。渡辺篤たちが焼け跡を探していると、大きな骨が出てきて、人骨と勘違いて大騒動なる展開を考えていたが、それは実現しなかった。と後年、瀬川昌治監督から撮影時の話を伺った。

打田典子ちゃん!

 結局、打田典子は、先生・関千恵子に連れられて都立中学の受験に行っていて、難を逃れたことがわかり、清川虹子と涙の再会を果たす。この火事騒動がきっかけで、清川虹子は大反省して真人間に。一方、アチャコの家では赤ちゃんが病気となり、みんなで懸命の看病、それを通して、キドシンと月丘千秋は、金語楼にもロッパにも許されて、晴れて夫婦に。ロッパと清川虹子も復縁してハッピーエンド。

 最後は、東京〜熱海間の遊覧観光バスに乗って、親戚となった一同で熱海旅行へ。そのバスの中で、伴淳が横領、詐欺で逮捕された新聞記事がクローズアップされる。前作『大当りパチンコ娘』(1952年1月15日)もそうだが、斎藤寅次郎監督の戦後アチャラカ喜劇の典型として、バラエティ映画として、昭和27年の大衆が喜んだ「笑い」を堪能することができる。現代の目線で「面白くない」ことも含めて「面白い」のだ。

 というわけで、新旧オールスター喜劇人による新東宝らしいアチャラカ・寅次郎ワールドが全開。くだらなさのオンパレード!最高におかしい。ところでタイトルの「娘十八」は、いったい誰のことなのか?関千恵子は小学校の先生だし、月丘千秋は未婚の母、打田典子は小学生… といつも謎が湧くのだけど…

 ちなみに1957(昭和32)年1月3日、新東宝では61分の改題縮尺版『爆笑黄金天国』として再上映している。

パンフレット

新東宝データベース1947-1962  リンク


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