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『若い娘たち』(1951年・東宝・千葉泰樹)

 昭和26(1951)年4月7日公開、藤本プロダクション製作『若い娘たち』は、杉葉子、若山セツ子、島崎雪子による石坂洋次郎原作の青春映画。藤本真澄にとっては『青い山脈』(1949年・今井正)、『石中先生行状記』(1950年・成瀬巳喜男)、『山のかなたに』二部作(同・千葉泰樹)に続く、石坂原作「若い娘」の映画化。『青い山脈』などの杉葉子と若山セツ子に、石坂原作の『山のかなたに』でデビュー、前年暮れ『夜の緋牡丹』(1950年・千葉泰樹)では失踪事件で新聞を賑わした、藤本プロ期待の新人・島崎雪子の芸名は、『青い山脈』で原節子が演じた島崎先生にちなんで付けられた芸名。

 東宝争議のあおりで退社し、藤本プロを立ち上げた藤本真澄にとっては、石坂洋次郎原作、千葉泰樹監督は、いわば最高のカードだった。

 地方都市の医大のほど近く。女手一つで、五人の娘を育て上げた美保子(村瀬幸子)は、上の三人の娘を、自宅の二階に下宿させた学生に嫁がせている。四女のカナ子(杉葉子)は、そんな母親の「手」が気に入らず、自分は下宿学生とは絶対に結婚しないと宣言。中学生の五女・タマ子(高山スズ子)は戦後民主教育の申し子で、同級生・野村大助(井上大助)とリベラルに付き合っている。その父で医学部教授・野村(清水将夫)も男やもめ。

 「学生に部屋を貸すのはお母さんの自由」のカナ子の言葉通り、母・美保子は医学部の学生課に下宿生の斡旋を依頼する。

 その募集に手を上げたのが、4年生の川崎(池部良)、バンカラの橋本(伊豆肇)、そして田中(佐田豊)。東宝バイプレイヤーとして昭和40年代まで小市民や会社の課長など好人物を演じてゆく佐田豊が、ポマードを塗っておしゃれな医大生を演じているのがおかしい。佐田は、黒澤明の『天国と地獄』(1962年)で権藤(三船敏郎)家の運転手を演じていた人。

 池部良と伊豆肇。いずれも『青い山脈』からの常連で、伊豆が演じた橋本は、無精髭の武骨なバンカラ学生で、『青い山脈』のガンちゃんのイメージにある。

 そしてカナ子の従姉妹で、女学校時代でも仲良しだった澄子(若山セツ子)の家は、町の本屋さん。昭和40年代ぐらいまで、本屋で文房具も扱っていた。その父・善吉(河村黎吉)は、美保子の実兄で、妻・千枝(清川玉枝)が、我が家も医大生を下宿させようと提案。
25歳になる澄子が行き遅れては大変ということで、そこにやってくるのはむさ苦しい橋本だった。

 島崎雪子は、川崎と橋本の研究室につとめる看護師・友子。カナ子、澄子とは女学生時代からの仲良し三人組。

 多彩な登場人物のそれぞれのキャラクターが手際よく紹介され、賑やかに物語が展開していく。脚本は『青い山脈』でプロデューサーから脚本家に転身した井手俊郎。千葉泰樹とは、藤本プロの『えり子とともに』(1950年)でもコンビを組んでいる。井手は昭和40年代にかけて、東宝、日活での石坂作品の映画化の脚本を積極的に手掛けてゆく。

 この『若い娘』あたりから、石坂文学特有の「自分の考えを、言葉で表明していく」スタイルになっていく。カナ子は、なんのてらいもなく、自分が思ったことを次々と言葉で表現する。昭和30年代半ばから、40年代にかけて、日活青春映画のヒロイン・吉永小百合が、自分の生き方を言葉にして、相手にぶつけ、目の前の問題に向き合い、克服していくスタイルの原点は、やはり石坂映画の第一ヒロイン・杉葉子にある。

カナ子「あのう、私、初めのうちに川崎さんにはっきり申し上げておきたいことがあるんです」
川崎「はあ、なんでしょう?」
カナ子「それはですね。これからご一緒に暮らすんですから、私、川崎さんのために、ボタンをつけてあげるとか、洗濯してあげるとか、そのぐらいのサービスはしてあげることになると思います」
川崎「はあ、すいません。それじゃ、ボクもたまには映画や中華そばぐらい奢ることにしましょう」
カナ子「そうね。それから、お休みで帰省なすったときに、お国の名産をお土産に持ってきてくださるぐらいのことは差し支えないんですけど。でも感謝の気持ちが昂じて、私を好きになったりされると困るんですけど」
川崎「え?」
カナ子「それを今からはっきりお断りしておきますわ」

 杉葉子と池部良。若山セツ子と伊豆肇。そして島崎雪子。誰が誰を射止めるか? 若い娘たちの恋愛が、戦後ののびやかな空気のなかで微笑ましく展開される。親たちも積極的で、その恋愛や結婚を奨励しているかのようでもある。さらには、村瀬幸子と清水将夫の二人のマッチングまで!

 夕食後、タマ子が母・美保子を誘って映画に行く。美保子としては、カナ子と川崎を二人きりにしようという作戦なのだが。街の映画館に、夕食後、気軽に出かける。それが当たり前だった時代である。タマ子おすすめの映画は、池田良・菅葉子『若い息子たち』!ご丁寧に看板も作ってある。セルフパロディである。
 医学部の研修のシーン。執刀医は、『石中先生行状記』(1950年)の宮田重雄。実際の外科医なので特別出演。その実習で、川崎が気分が悪くなって倒れてしまうシーンも微笑ましい。インテリだけど気が弱い。

 書店の二階に下宿した橋本は、髭をそり、精悍な顔だちで澄子を魅了。橋本は風邪で寝込んだ澄子を献身的に看病して、すぐに二人はゴールイン。カナ子の家を真似しての下宿作戦がまんまと成功する。たとえ親が仕組んだことでも、澄子は橋本と相思相愛。橋本は入婿となる。

 しかしカナ子も、川崎もお互いに惹かれているのに、その気持ちを、自分たちの作ったモラルで縛ってしまう。それを「自意識過剰」という病気と断じる橋本がおかしい。そうこうしているうちに、学園祭の演劇「ロミオとジュリエット」で、川崎がロミオ、友子(島崎雪子)がジュリエットを演じることになり、最初は渋っていた友子も、川崎のことが好きなので積極的に演じるようになる。

 そこで「自意識過剰」のカナ子の心は穏やかでなくなる。好きだけど、それを認めては「沽券に関わる」のだ。このクライマックス。昭和26年の若者たちはドキドキしながら観たに違いない。

 今からすれば「他愛のない物語」かもしれないが、戦後民主主義の時代とはいえ、まだまだ旧弊が支配していた時代。「恋愛する」ということは、どういうことなのか。当時の若者たちは、こうした映画を通して「恋愛指南」を受けたに違いない。あと口の良い、微笑ましいエンディングまで、楽しい作品である。

 この『若い娘たち』は、昭和33(1958)年には、雪村いづみ(カナ子)と山田真二(川崎)で岡本喜八がリメイク。昭和39(1964)年には、日活が吉永小百合(カナ子)と高橋英樹(川崎)で森永健次郎が『こんにちは20才』としてリメイク。いずれも井手俊郎が脚色。昭和20年代と昭和30年代前半、後半での「恋愛観」の変化を体感することができる。


若い娘たち
昭和26(1951)年4月7日公開

原作 石坂洋次郎 主婦之友所載

製作 藤本真澄
   菅英久
脚本 井手俊郎

撮影 曾田吉男
美術 小川一男
録音 小沼渡
照明 西川鶴三
音楽 飯田伸夫

演出補佐 小松幹雄
編集 坂東良治
進行 石橋嘉博
特殊技術 東宝技術部
現像 東宝現像所

出演者
池部良・・・川崎
伊豆肇・・・橋本

杉葉子・・・石沢カナ子
若山セツ子・・・柴田澄子
島崎雪子・・・友子

河村黎吉(松竹)・・・柴田善吉
藤原釜足・・・大学の主事
清水将夫・・・野村教授
賛助出演・宮田重雄・・・執刀の医師

村瀬幸子・・・石沢美保子
清川玉枝・・・柴田千枝
高山スズ子・・・石沢タマ子
井上大助・・・野村大助

松本光夫
佐田豊・・・田中
今泉廉
越後憲三
近藤宏
岡部正
石井和夫
岡豊
馬野都留子

演出 千葉泰樹


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