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『悪名一番勝負』(1969年12月27日・大映京都・マキノ雅弘)

 大映でのシリーズ最終第15作、勝新太郎の『悪名一番勝負』(1969年・マキノ雅弘)。前作から2年弱、田宮二郎の退社により、勝新の朝吉のみとなった弱さをリカバリーする意味もあって、脚本・監督にはベテラン・マキノ雅弘監督を起用。任侠映画ブームを牽引したマキノ雅弘監督は、この年だけでも、高倉健『昭和残侠伝 唐獅子仁義』(3月6日・東映東京)高倉健『日本侠客伝 花と龍』(5月31日・東映東京)、高橋英樹『日本残侠伝』(8月9日・日活)と各社で任侠映画を演出。それぞれマキノ雅弘ならではの様式美で、任侠映画の成熟を感じさせてくれた。

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 そこで大映の早川雅浩プロデューサーは、マキノ雅弘監督を大映京都に招き、久しぶりの「悪名」の演出を任せる。さらに大映任侠路線をリードしていた「女賭博師」シリーズの江波杏子と「悪名」の勝新太郎を組み合わせて、興行成績低下に歯止めをかける意味もあって、任侠映画大作として『悪名一番勝負』が企画された。個人的な見解だが、「悪名」シリーズの魅力は、「やくざな男」であるが、仁義や義理に縛られた「任侠映画」ではない、という点にある。一家を持たず、親分も持たず、組織には続さないことが矜持の村上朝吉のポリシー。「組織」に隷属せず「個」であり続け、何にも縛られない朝吉と清次のコンビが魅力的なのである。朝吉はドスを握らず、敵に拳銃を撃つことはない。その腕力と豪胆さで、敵を一網打尽にしてきた。

 ところが、斜陽の映画界のカンフル剤となった「任侠映画ブーム」を受けて、第13作『悪名一代』(1967年・安田公義)では、清次は二代目シルクハットの親分(長門勇)の義弟となり敵の親分・お十夜(小池朝雄)に滅多刺しにされて瀕死となり、朝吉はドスを握ってお十夜を刺殺してしまった。続いての第14作『悪名十八番』(1968年・森一生)では、本来のシリーズに戻るが、田宮二郎が退社したために、朝吉&清次コンビ「悪名」は撮れない。そこで「女賭博師」とのコンビネーションで、任侠映画の雄・マキノ雅弘監督に正月大作を任せたのだろう。

 1960年代後半、任侠映画の美学を貫いてきたマキノ雅弘監督だけに、ヴィジュアルもシックで、セットも豪華、そして今井ひろしのキャメラも見事。脚本は第1作からシリーズを支えてきた依田義賢ではなく、マキノ雅弘は宮川一郎と共同執筆。マキノ任侠映画としては、非の打ち所がないほど完璧な構成となっている。

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 今回は、シリーズ第1〜2作の時代、昭和初期を戻しているので「外伝」もしくは、今でいう「マルチバース」として観るのが一番。しかも勝新の「悪名」に、江波杏子の「女賭博師」のエッセンスを加えた「悪名VS女賭博師」の夢の組み合わせを楽しんでもらおうという趣向。そういう意味では成功している。

 昭和初期、八尾の朝吉(勝新太郎)が軍鶏博打で大儲けして、大金を掴んで、友人で金貸しを副業にしている金やん(金子信雄)と銀三(芦屋小雁)に借金を返す。それを見ていた

 潰れかけた大店の呉服店のお嬢さん(江波杏子)から、店の番頭のために「三百円」を貸して欲しいと頼まれる。「頼まれたらイヤとはいえない」朝吉は、有り金を差し出す。しかも足りない分は、路上でレンガで頭を殴らせて「殴り賃」で稼ぐ朝吉。このあたりのヤンチャさは、朝吉らしくて楽しい。

 しかし、それが原因でやくざの怒りを買って、朝吉はガード下で襲われてしまう。その喧嘩でドスを手にした朝吉は、相手を刺して刑務所へ。それから三年・・・。ここから物語が動き出す。出所してきた朝吉は、知り合ったばかりの花島組の若者・川流れの仙次(津川雅彦)と、大西組の賭場からテラ銭を奪うことに。大西組は、花島組の縄張りで勝手に賭場を開いていたのである。

 花島組は、先代が亡くなり、娘・お妙(小川真由美)の亭主・卯之助(山本學)が跡目をついでいるが、卯之助は全くの素人で組の運営には興味がない。今では、昔からの代貸・白石鉄之助(水島道太郎)と仙次しかいない。その白石も裏では、大西組に寝返っていて・・・

 悪いヤクザ大西組組長・大西寅松(河津清三郎)が、善良なヤクザ花島組の花島卯之助とお妙夫婦の縄張りを奪い、善良な庶民たちの長屋がある土地を鉄道会社に売却して大儲けを企てている。その土地には、朝吉の昔の仲間・金さんや銀三、朝吉に惚れた芸者・お浜(安田道代)たちが住んでいて、朝吉は長屋の用心棒を買って出る。

 ある晩、大西組の賭場で、朝吉の目の前に現れた女壺振り師は、なんと、かつて三百円を貸したおりん(江波杏子)だった。さらにはお浜の恋人で、名うての渡世人・離れ駒の政吉(田村高廣)が戻ってきて・・・と、マキノ任侠映画ワールド全開となっていく。というわけで、良い奴が次々と襲われ、殺されていく。我慢がならなくなった朝吉が単身、大西組へ乗り込もうとするが、その前に女賭博師・おりんが現れる。

 ここでおりんは、惚れ抜いた朝吉を、殴り込みに行かせまいと刃を向ける。というか腰に刃を突きつける。ここでの勝新と江波杏子の芝居が実にいい。おりんからドスを奪い、優しい言葉をかけて、そのドスを呑み込んで、単身、大西組に乗り込んでいく朝吉。完全に「任侠映画」のヒーローである。その立ち回りも素晴らしく、カタルシスもある。

 清次の役割には、花島組唯一の若い衆・川流れの仙次(津川雅彦)。どもりの”森の石松”的キャラで、後半は大西組にひどい目に会う。また一番の悪役が、花島組の代貸で、大西組に寝返る白石鉄之助(水島道太郎)。そして朝吉が子供の頃から頭が上がらない、八尾の親分・河徳(辰巳柳太郎)が映画全体を締めてくれる。スタイリッシュで、それぞれの芝居も良く、流麗なマキノ演出で、任侠映画としては楽しめるのだが、僕らの好きな「悪名」の世界ではないので、観ていて居心地があまり良くない。

 それでも、眼がほとんど見えなくなっているのに、敵地に乗り込もうとする田村高廣を、最初は止めようとするのだけど、お浜が「馬鹿だよ、死んでしまいな」と涙ながらドスを渡す「別れのシーン」は、一幕ものの芝居のように見事で、安田道代のベストパフォーマンスだろう。田村高廣もいい。

 マキノ雅弘の任侠映画としては、いつものように情感たっぷりで、カタルシスもあるが、その主人公が着流しの高倉健や鶴田浩二ではなく、八尾の朝吉なので・・・それは「悪名」じゃないよなぁと、正直、違和感が残る。例えていうなら、日活映画、小林旭の「渡り鳥」シリーズで、『渡り鳥北へ帰る』(1962年・斎藤武市)の後に作られた『渡り鳥故郷へ帰る』(1962年・牛原陽一)が、本来のシリーズとは異なるテイストの活劇になっていた違和感に通じる。

 これが昭和36年から8年間15作続いてきた「悪名」シリーズのファイナルとなる。しかし、5年後、大映倒産後、勝新太郎の勝プロが東宝提携作品として製作する『悪名 縄張り荒らし』(1974年・増村保造)では、原点に戻って『悪名』『続・悪名』(1961年・田中徳三)のリメイクを試みる。この時のモートルの貞(清次の兄)は、北大路欣也が演じることとなる。


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