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『石中先生行状記』(1950年1月22日・新東宝・成瀬巳喜男)

 昭和24(1949)年、戦前から東宝カラーの一端を担ってきたプロデューサー、藤本真澄が「藤本プロダクション」を設立して、完成に漕ぎつけた『青い山脈』は、文字通りの大ヒット。戦後の新しい、男女のあり方を描いた青春映画として、昭和20年代の日本映画を象徴する作品となった。

 映画のヒットで、石坂洋次郎の小説はますます注目を集め、藤本真澄は続いて「石中先生行状記」の映画化を企画。脚本は八木隆一郎、監督は藤本真澄お気に入りの成瀬巳喜男。昭和25(1950)年1月22日に新東宝系で封切られた。現在の上映プリントは東宝マークが出るが、これは後年、一部の新東宝作品の権利が東宝に移譲されてからのこと。

新東宝ポスター

 小説新潮に連載された「石中先生行状記」は、石坂自身の弘前時代の体験をもとにしたユーモア小説。青森県弘前市に住んでいる「有名な小説家」の石中先生と、敗戦後をたくましく生きる地元の人々とのエピソードを、微苦笑を交えて描いた読み切り小説。映画化に際して、藤本真澄と成瀬巳喜男は、「石坂洋次郎を思わせる文化人」、つまり俳優ではない素人をキャスティング。N H Kラジオのクイズ番組「二十の扉」で庶民にも人気があった、洋画家で医師の宮田重雄が石中先生を演じることになった。

 「二十の扉」は、昭和22(1947)年から、昭和35(1960)年まで毎週土曜日に放送されていた。二十のヒントをもとに、回答者が正解を考えていくというもので、映画『青い山脈』で、笹井和子(若山セツコ)がガンちゃん(伊豆筆)におんぶされて、夜道を帰る場面、二人で「二十の扉」をやるシーンがある。相当の人気があったことがよくわかる。

 そのレギュラー解答者の宮田重雄がなかなか良い。僕は子供の頃、テレビで『石中先生行状記』を観た時に、石坂洋次郎と思いこんでいた。渡辺篤、藤原釜足、中村是好演じる登場人物たちが「偉い小説家の先生」と、リスペクトしている感じに、リアリティがあった。さて、本作は、三つの挿話からなるオムニバスとなっている。

東宝 再公開版ポスター

第一話「隠退藏物資の卷」

 岩木山を頂く、弘前のリンゴ園。戦時中、軍がドラム缶のガソリンが埋蔵したと、河合勇三(堀雄二)青年の証言をもとに、町のランプ屋・中村金一郎(渡辺篤)が、石中先生(宮田重雄)をオブザーバーに、発掘作業を始める。リンゴ園の主人・山崎(進藤英太郎)は、なかなか強欲で、ガソリンを独り占めしようとしている気配がある。河合青年の証言は、実は嘘で、リンゴ園の娘・モヨ子(木匠久美子)に一目惚れしていて、なんとかモヨ子にまた会いたくて、その口実だったことがわかる。

 堀雄二の青年にみんなが振りまわされるのだが、誰も腹を立てることなく、若い二人の「恋愛」を祝福する。なんとものんびりとして、微笑ましい一編。石中先生はライターのオイルが切れていて、隠匿物資のガソリンがあれば不自由しないからと、話半分に参加している。中村家での昼餉のとき、モヨ子が旅芝居の股旅姿で、田端義夫のレコードに合わせて当て振りをするアトラクションも微笑ましい。

 木匠久美子は、東宝ニューフェイス第一期生で、三船敏郎、堺三千夫らと同期。デビューは『地下街二十四時』(1947年・今井正・楠田清・関川秀雄)、黒澤明の『酔いどれ天使』(1948年)では、花屋の娘を演じている。のちに木匠マユリと改名、昭和30(1955)年『ゴジラの逆襲』に出演後、アメリカ軍中尉と結婚して渡米した。

第二話「仲たがいの巻」

 城下町の古本屋・山田書店。主人の山田武造(藤原釜足)と友人の木原亀吉(中村是好)は、町の芝居小屋に「裸レビュー」かかっているので、なんだかんだと理由をつけて観にいくことに。武造の娘・まり子(杉葉子)と亀吉の息子・秀一(池部良)は、恋人同志で、二人の父親の破廉恥な行動に怒って、懲らしめようとする。だが「裸レビュー」にどっちが誘ったのか、武造も亀吉もお互い、相手のせいにしてしまい、お互いの父を尊重する、まり子と秀一も大喧嘩。口も聞かなくなり、石中先生に相談に行くが・・・

 『青い山脈』の新子と六助の「その後」ともとれる、杉葉子と池部良の若いカップルの親父たちの「裸レビュー見物」をめぐる、他愛のない喧嘩が微笑ましく描かれる。二人の交際は、誰もが公認していて、それもまた「青い山脈」による「男女交際の民主化」効果でもある。成瀬巳喜男は、戦前のP C L時代からのコメディアン・藤原釜足と、エノケン一座の中村是好の二人の、幾つになっても子供のような親父たちを楽しく描いている。第一話に引き続き「裸レビュー」を二人と一緒にかぶりつきで見ている、渡辺篤もロッパ一座の喜劇役者。黒澤明もそうだが、成瀬はこうしたコメディアンの個性をうまく活かしている。

第三話「千草ぐるまの巻」

 若山セツコの可愛さを最大限に引き出した第三話は、三船敏郎が無骨な農家の倅役で出演。二人が恋に落ちていくプロセスを優しく、微笑ましく描いている。

 ある夏の日。木村ヨシ子(若山セツコ)は、村から街の病院に入院している姉・カツ子のお見舞いに行く。病院では、手相見が趣味の入院患者・相川(田中春男)が、患者や看護婦を集めて運勢占いをしている。ヨシ子は、今日明日にも運命の人との出会いがあると言われ、満更でもない。病室でモンペ姿から、可愛いワンピースに着替えたヨシ子は、姉から小遣いをせしめて、街へ映画を観にいく。病気の姉を見舞う、健気な娘ではなくて、姉の入院に託けて街にお洒落して出かけたい年頃の娘。という描き方も石坂洋次郎的である。

 街で運命の人に出会わないかと、ドキドキしながら、通行人の顔を覗き込み、その男の横にピッタリくっついて歩くヨシ子。若山セツコの可愛さ大爆発である。クルクル動く目、明るく素っ頓狂な笑い声。いつ見ても楽しい。

 映画館のスクリーンには、なんと、メガネっ娘の若山セツコが大写しに。彼女が見ているのは『青い山脈』!。つまりスクリーンの自分を観ているという楽屋オチなのである。このシーンが延々続くが、客席で声を上げて笑う若山セツコは、タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)で、シャロン・テートに扮したマーゴット・ロビーが、映画館で『サイレンサー破壊部隊』(1968年)を観てニコニコしているシーンと同じようにキラキラしている。成瀬もタランティーノも、同じように若い娘の美しさを愛でているのだ!(笑)

 さて、その帰り道。くたくたになったヨシ子は、馴染みの茶店で休憩中。どうにも眠くなってしまい、村の知り合いの馬車の干し草の上で、眠り込んでしまう。小ちゃくて可愛らしい女の子が眠くなる。「萌え」描写は『青い山脈』でもあったが、今回もタップリ。この映画のベストショットはここかも(笑)

 ところが、その馬車が間違いで、馬子は、髭面の無骨な男・長沢貞作(三船敏郎)。隣村に住む長沢家に、今夜は遅いからと泊まることになったヨシ子。貞作の母(飯田蝶子)とも意気投合、初めての家なのにパクパクと三杯もご飯を平らげてしまう。その屈託のなさ。

 のちの日活の吉永小百合や和泉雅子に通じる、石坂洋次郎映画の元気いっぱいの女の子の原点は、間違いなくこの若山セツ子だろう。

 終始無言の三船敏郎も、黒澤映画や谷口千吉監督の映画のダイナミックなイメージを逆手にとって、無骨で乱暴な感じでいるが、ケタケタ声を上げる明るい娘に、その緊張が解かれて、髭を剃ったり。

 というわけで、この第三話は、若山セツ子と三船敏郎の恋の芽生えを爽やかに描いていく。石中先生は、ヨシ子が外泊した理由を証明するための手紙を書くために、巡査(鳥羽陽之助)と一緒に長沢家にやってくる。ここでも若い二人の恋愛を見守る守護者として、頼もしい存在都なる。

 宮田重雄の石中先生は大好評で、新東宝=藤本プロは、翌昭和26(1951)年で姉妹篇『戦後派お化け大会』(佐伯清)でも再び石中先生を演じた。また昭和29(1954)年には、新東宝『石中先生行状記 青春無銭旅行』(中川信夫)でも三たび、石中先生を演じている。その後、藤本プロから東宝のプロデューサーとなった金子正且の企画によるリメイク『石中先生行状記』(丸山誠治)では、石中先生を宝田明が演じた。


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