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フーテンの寅と風子・・・「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」(1984年・松竹・山田洋次)

文・佐藤利明(娯楽映画研究家) イラスト・近藤こうじ


拙著「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)より、第33作『夜霧にむせぶ寅次郎』についての原稿から抜粋してご紹介します。

 シリーズの中でも、良い意味での異色作が、根無し草の孤独、渡世人の世界、そしてフーテンの人生をテーマにした第三十三作『夜霧にむせぶ寅次郎』です。マドンナは、フジテレビ「欽ドン!良い子悪い子普通の子」(一九八一〜一九八三年)の「良い妻、悪い妻、普通の妻」のコーナーで、お茶の間でブレイクしていた歌手の中原理恵さん。彼女が演じたマドンナが、根無し草のフーテンの風子。

 初夏の北海道を舞台に、渡世人として生きてきた寅さんが、自由気ままに生きようとする若い娘の行く末を案じる大人の物語です。

 冒頭、寅さんは盛岡城趾公園で、地球儀のタンカ売をしています。そこで十数年前に別れた舎弟・川又登(秋野太作)と久々に再会。足を洗った登は、盛岡で小さな食堂を営んでいます。まだ小さい娘、そして、おそらくは渡世人の娘で苦労をしてきたであろう女房・倶子(中川加奈)と、その父親との四人暮らし。

 相変わらずの登は、兄貴との再会を喜んで、女房に、酒を買ってこい、肴を買ってこいと指図をします。それを聞いた寅さん、昔のように、登を咎めます。自分はここにいる人間ではないと、その場を辞す寅さんを、追いかけて、登の女房・倶子が表へ出てきます。

寅「おかみさん、登のことよろしくお願いします」
倶子「道中ご無事に、親分さん」

 この「親分さん」の言葉一つで、彼女が生きて来た世界を、垣間みる思いです。その前の店の奥の庭で、老人がチラっと映ります。おそらく、かつて寅さんのように渡世人だったかもしれない、倶子の父と思われる男性です。

 渡世人で生きる寅さんと、堅気となった登は、もう兄弟分ではありません。この時、寅さんの胸を去来した思い。それが『夜霧にむせぶ寅次郎』の深さとなります。その後、寅さんは釧路で、フーテンを気取った若い娘・風子と出会います。彼女の叔母がいる根室で、理容師として落ち着く筈の風子は、寅さんと旅を続けたいと、その思いを伝えます。

 寅さんは、風子の申し出をキッパリと断ります。渡世人の虚しさが身にしみているからです。第八作『寅次郎恋歌』で博の父に教えられた「庭先にりんどうの花が咲いている、本当の人間の暮し」に反して生きて来た寅さんは、若い風子には、そんな生き方をさせてはいけない、と思っているのです。

 しかし、若い風子は、心を許した寅さんから拒絶されたことの方がショックだったのでしょう。自棄になっているところに、やはり渡世人でサーカスのバイク乗りのトニー(渡瀬恒彦)が現れ、そのままトニーの旅についていくことになります。寅さんの知らないうちに。

 寅さん、風子、トニーの関係は、フェデリコ・フェリーニの名作『道』(一九五四年イタリア)のザンパノ(アンソニー・クイン)、ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)、綱渡り芸人(リチャード・ベイストハート)のようでもあります。この危うい三角関係は、これまでの「男はつらいよ」で描かれることのなかった世界です。

この続きは「みんなの寅さん from1969」(アルファベータブックス)でお楽しみください


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