『牛づれ超特急』(1937年11月18日・P.C.L.・大谷俊夫)
岸井明さんと藤原釜足さんの「じゃがだらコムビ」による牧歌的なローカル喜劇『牛づれ超特急』(1937年11月18日・P.C.L.・大谷俊夫)を娯楽映画研究所シアターのスクリーンに投影。まだこの映画を観ることが出来なかった二十数年前、ムック時代の映画秘宝に、どんな映画だろうという期待を込めて、近江俊郎センセイの『カックン超特急』(1959年・新東宝)、水野晴郎センセイの『シベリア超特急』(1996年)と並ぶ、未見の“脱力系”作品として紹介したことがある。その期待に違わぬ「どこが超特急?」ののどかなP.C.L.喜劇だった。
『唄の世の中』(1936年)でP.C.L.のモダンな音楽喜劇のイメージを作った岸井明さんと藤原釜足さんのコンビだが、今回はグッと藤原釜足さん寄りの「ローカライズ」された喜劇映画。舞台は千葉県流山市を走行している「流鉄」こと「流山鉄道」。これは盟友でぐらもくらぶ主宰の保利透さんが数年前に教えてくれた。「流鉄」は流山から馬橋までの5.7キロを結ぶローカル鉄道。大正2(1913)年に設立された「流山軽便鉄道株式会社」が、地元の商店主などから資金を集めた。土地買収を進めて、大正5(1916)年3月14日に開通した。大正11(1922)年に社名を「流山鉄道」に改称した。
映画の冒頭、運転士・五郎助(岸井明)が小さな機関車を運転し、車掌・刈太(藤原釜足)が一両しかない客車で昼寝をしている。牧歌的な風景の中、本当に小さな蒸気機関車がのんびりと走っている。この機関車は【サドルタンクにダイヤモンド形の火の粉止め付き煙突という特異な形態】としてウイキペディアで解説されている。
この「流鉄」が「牛づれ超特急」である。冒頭、岸井明さんと藤原釜足さんが、当時の特急「つばめ」「富士」などの名前を織り込んで、東海道線への憧れを、歌う。「新鉄道唱歌」のようなモダンソングで、瀬川昌治監督の『喜劇急行列車』(1967年・東映)のタイトルバックで渥美清さんが歌う「駅弁唱歌」のはるかなるルーツでもある。
♪(岸井)帝都を後に 颯爽と
東海道は 特急の
流線一路 ふじ さくら
つばめの影も うらららかに
♪(藤原)小田原ゆけば 湯の箱根
(岸井)天下の剣も バス電車
(二人)越えゆく伊豆の 海青く
温泉沸きて 谷深し
♪(二人)霞の高嶺 富士の雪
松原はるか 静岡へ
石垣いちご 艶そえて
三国一よ 世界一
それで汽車は、川でドジョウ取りをしている。作右衛門(市川朝太郎)に呼び止められて一時停車。ドジョウとともに乗車する。続いて、梨畑で働くヒロイン・アキコ(姫宮接子)が登場。五郎助と刈太の憧れのマドンナである。演じる姫宮接子さんは東宝の女優さんではなく吉本興業の専属の人気のダンサー。ムーランルージュ新宿座に昭和10(1935)年に入団、たちまち人気者となり、明日待子さんとともに看板女優に。長身痩躯を生かしたダンスは、男性ファンを魅了した。
そのアキコは、五郎助と刈太の上司の駅長(渡辺篤)のお嬢さん。本当は都会育ちなのに、父が栄転(?)で、東京の踏切番から「流鉄」の駅長になったために、田舎暮らしをしている。5年前、そのきっかけを作ったのが五郎助と刈太の二人だった。ある日、遮断機をおろしたところに、アキコが弁当を持ってきた。そこに、酒屋の小僧だった五郎助と刈太が「リアカーに酒の一升瓶をたくさん積んで、いきなり遮断機を突き飛ばしよった」。そこで踏切番の渡辺篤さん、二人を助けようと飛び込んで、汽車にはねられてしまった。人命救助の症状を貰って栄転になったが、頭に大きなハゲができたと。駅長が、役務をサボって駅前の床屋「ヤング軒」の親父に話す。
ロッパ一座で活躍するコメディアン、渡辺篤さんは、戦後も喜劇映画だけでなく、黒澤明監督や山田洋次監督作品で名バイプレイヤーとして活躍する。本作では岸井明さん、藤原釜足さんと並んで、主役の一人としてクレジットされている。駅長の娘に恋をした機関士と車掌。あの手この手で取り入ろうとする、というのは瀬川昌治監督の「旅行シリーズ」でもあったパターン。この頃、すでに「鉄道喜劇」のフォーマットが出来ていたということでもある(偶然だろうけど)。
というわけで「流鉄」の蒸気機関車と駅が本作の舞台。ある日、東京からレビュー団が夏祭りにやってくるというので人々は色めき立つ。その一座の花形が、東洋チャップリン!演じる丸山章治さんは、徳川夢声門下の活動弁士から、俳優となった。成瀬巳喜男監督の『桃中軒雲右衛門』(1936年)や山本嘉次郎監督の『綴方教室』(1938年)に出演しているが、本作では、チャップリンの形態模写で地方を回っている旅芸人。ステージで東洋チャップリンとしてその芸を披露してくれる。戦後は記録映画の監督として数多くのドキュメンタリーを演出する事になる。
もう一人のレビューの花形の座長・矢車弥生を演じているのが、テイチクの人気歌手・由利あけみさん。ステージで「上海リル」の替え歌を、レビューガールを従えて歌うアトラクションが楽しめる。そのレビュー団の勧進元が、「流鉄」の経営にも参加している有力者・源兵衛(御橋公)。アキコに懸想をして、駅長に「結婚」を申し込んでいるがアキコは鼻にもかけていない。
さて夏祭りで東京レビュー団の興行は大成功。勤勉なトラック運転手・芋七(柳谷寛)と恋人・おハナ(音羽久米子)の結婚話などを交えて、物語は賑やかに進んでいく。しかし五郎助と刈太の大失態と、アキコが源兵衛を袖にしたことで、源兵衛は怒って「流鉄」の役員会を招集、駅長と五郎助・刈太はクビになってしまう。その後の「鉄道喜劇」なら、逆転劇があって、主人公たちは復職するのだろうけど、そんなことはない。三人とも失業してします。
五郎助と刈太は、ならばと、隣町で興行している「東京レビュー団」の座長・矢車弥生(由利あけみ)を頼って、一座に加わろうとする。しかし隣町の興行は散々で無観客開催。それではと一座は解散することに、その夜逃げがバレないように、五郎助と刈太が舞台に立たされる。二人が歌っている間に、一座はまんまと逃げてしまう。ここで、岸井明さんと藤原釜足さんのパフォーマンスが楽しめる。
岸井明さんのタイヘイレコード時代の曲で「南洋トロリコ」というノヴェルティ・ソングがあるが、その時のポリネシアン(ハワイアン?)スタイルの腰蓑をつけてフラフラダンスで「酋長の娘」を歌う。そして、釜足さんが次々とお題を出して、岸井さんが流行歌を即興で歌う「流行歌数え歌」となる。このシーンがなかなか楽しい。
失業した三人はどうなるのか? 誰もいなくなった芝居小屋で、酒盛りをしながら、アキコが「みんなで梨を作ろう」と梨園の経営をすることに。そこに芋七(柳谷寛)とおハナ(音羽久米子)夫婦もトラック輸送を申し出て、みんなで働くことに。ご都合主義というなかれ、昭和12年の映画ながら、組織に縛られずに起業しようという「資本からの離脱」(笑)を奨励する、後でいう「脱サラ」映画だったのだ。その「自由の空気」がなんとも楽しい。まあ、翌年には日中戦争が激化して、映画からその「自由さ」がなくなり、国策映画の時代になるのだけど・・・