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『喜劇駅前桟橋』(1969年・東京映画・杉江敏男)

「駅前シリーズ」最終第24作!

 昭和44(1969)年2月15日、前作『駅前火山』(1968年5月25日)から八ヶ月ぶりに作られたシリーズ第24作。併映は、松本清張原作を、東宝クレージー映画を手掛けていた坪島孝が映画化した、園まりと藤田まことのサスペンス『愛のきずな』。ますます映画界の斜陽に歯止めがかからなくなり、各社ともに人気シリーズで辛うじてしのいでいた。

 この年、東宝では加山雄三の『フレッシュマン若大将』(1月1日・福田純)、『クレージーのぶちゃむくれ大発見』(同・古澤憲吾)、『社長えんま帖』(1月15日・松林宗恵)、『ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓』(同・渡辺祐介)、東映は若山富三郎の『待っていた極道』(1月9日・山下耕作)、大映は市川雷蔵の遺作となった『眠狂四郎悪女狩り』(1月11日・池広一夫)などなど。

 そうしたなか、東京映画としては、かつてのドル箱「駅前シリーズ」の新作をということで、東宝で「お姐ちゃん」「社長」「若大将」「クレージー」など人気シリーズを手掛けてきたベテラン、杉江敏男を起用。「駅前」のメイン監督だった佐伯幸三が病気で降板したあと、井上和男、豊田四郎、山田達雄、それぞれ個性派が手掛けてきた。この『駅前桟橋』も、当初は東映の瀬川昌治に声がかかったが、瀬川は東映で渥美清主演「喜劇列車シリーズ」が大当たり、その企画ごと松竹に引越しをして、フランキー堺主演で「喜劇旅行シリーズ」がはじまったばかり。瀬川の起用は断念して、ならばと杉江が起用された。

 松竹トップの城戸四郎は、この年の年頭あいさつで、『喜劇大安旅行』(1968年)の大ヒットを受けて「これからは喜劇路線でいく。みんな瀬川を見習え」と訓示。喜劇映画の企画を積極的に採用すると宣言。それを受けて、山田洋次監督はテレビで評判となった渥美清の「男はつらいよ」の映画化を企画するのは、この年の春のこと。

 そうした時代、「喜劇映画のエース」として、11年目となる「駅前シリーズ」の最新作として作られた『喜劇駅前桟橋』は、残念ながらシリーズ最終作となる。前作に引き続き池田一朗が担当。池田は、大映で安田道代の『セックス・チェック 第二の性』(1968年・増村保造)、若尾文子の『積木の箱』(同)、東京映画で三木のり平の『お熱い休暇』(同・平山晃生)など多彩な作品を手掛けていた。

 さて、今回の舞台は香川県高松と瀬戸内の島々。前年、昭和43(1968)年の正月映画『社長繁盛記』(松林宗恵)に続いての森繁映画のロケーションとなる。森繁久彌・フランキー堺・伴淳三郎、そして三木のり平の「駅前チーム」は健在だが、今回は女優陣がいささか少ない。淡島千景は出演せず、メインは森繁の亡妻の妹に池内淳子、伴淳の女房に春川ますみ、三木のり平の女房に京塚昌子、伴淳の娘に島かおり。レギュラーは池内淳子だけ。勢い物語も、男性中心の構成となる。

 高松から「鬼ヶ島〜男木」の島々をめぐる「第一観光丸」の船長・森田徳之助(森繁)は、艶福家で島々に十三人の愛人がいて、それぞれに宿屋「栄荘」をやらせていて、それぞれに子供がいる。今日もやす子(塩沢とき)の家に泊まって朝帰り、ところが船に訳あり風の美女・西条まさみ(国景子)が船に乗ってきて、鼻の下を伸ばし、鬼ヶ島にある自分が経営する「本館・栄荘」の部屋を用意する。とにかくスケベでマメな男。

 鬼ヶ島とは、高松に程近い「女木島」にある「鬼ヶ島大洞窟」のこと。桃太郎伝説ゆかりの島で、『釣りバカ日誌』(1988年・松竹・栗山富夫)で浜ちゃんこと浜崎伝助(西田敏行)が最初に住んでいたのがこの女木島だった。

 さて徳之助と幼なじみの伴野孫作(伴淳)と女房・松子(春川ますみ)も子沢山で、長女・佐知子(島かおり)を皮切りに、七人の女の子がいる。

 一方、高松のうどん屋・堺次郎(フランキー)は、父・信作(左卜全)の女道楽にさんざん迷惑を被ってきたので、女性アレルギーの女嫌い。楽しみはといえば、「讃岐踊り」のウループ「狸会」だけ。

 その「狸会」には、漆器屋の主人・松木三平(三木のり平)も参加している。三平の専らの悩みは、浪人生の息子・太平(長沢純)の受験がうまくいくこと。有名人の表札を盗んだり、菊池寛の碑にかかる木の枝を折ってきたりと、女房・克子(京塚昌子)ともども「教育パパ」ぶりを発揮して、太平は辟易している。

 凡才の太平と高校のクラスメイトだった、徳之助の長男・徳太郎(松山英太郎)は秀才で、東京の大学の法学部にストレート入学。そのガールフレンドが孫作の長女・佐知子と、今回は「駅前チーム」のジュニアの物語がサイドストーリーで展開する。

 徳太郎を息子のように可愛がっているのが、徳之助の亡妻の妹・お玉(池内淳子)。本来なら、徳之助の本妻役に、淡島千景が予定されていたと思われる。女性側の物語が弱いのは、そのエピソードが抜けているから、のような気がする。

 さて、お玉さんは、踊りの名手で「狸会」の「狸踊り」の指導をしている。この「狸踊り」は、『続社長繁盛記』(1968年)の宴会シーンで、森繁・小沢昭一・藤岡琢也が踊ったのもこの「狸踊り」。

 徳之助が西条まさみに鼻の下を伸ばしているときに、息子・徳太郎が高松に帰ってくる。大学を辞めて「ジャズをやりたい」というのだ。秀才と期待されがむしゃらに勉強してきた徳太郎は、入学したものの目的を失って、生きがいをジャズに求めたという。この「ジャズをやりたい」という動機は、いまみてもかなり希薄で、ここでいう「ジャズ」がなんなのか、さっぱりわからない。これが長髪でエレキを片手に「ロックをやりたい」とか「フォークをやりたい」というのなら1969年らしいのだけど、松山英太郎が「ジャズ」といっても説得力ゼロ(笑)

 もちろん徳之助は、自分のことを棚に上げて猛反対。そこで徳太郎は、親友の太平、ガールフレンドの佐和子と相談。島々にいる徳之助の子供たちと総決起して、ストライキを展開。学生運動はなやかなりし時代ならではの展開。

 ヒッピースタイルの長沢純が良い味を出しているが、松山英太郎も、島かおりも「高校卒業したて」には見えない。それがプログラムピクチャーの味でもあるけど。

 真面目一筋の徳太郎には「遊びが足りない」と、徳之助がキャバレーや芸者遊びに連れ回すシーンがおかしい。軟派の親父と硬派の息子。高松のグランドキャバレーのステージでは、三沢あけみがゲスト出演。お色気たっぷりに「♪酔っちゃちゃったのよ〜」と歌っている。

 杉江敏男の手堅い演出で、楽しく展開していくが、スケジュールの関係か、フランキーが森繁、伴淳と絡むシーンが少なく、ゲスト出演のような印象である。おかしいのは、左卜全の父・信作の女性関係の後始末をさせられること。第二作『駅前団地』から皆勤賞の旭ルリ演じるくり子が、店にやってきて1万円を要求。まさか親父が?と目を向く次郎。話をきけば「おさわり賃」というオチ。後半で信作が急逝。なんと腹上死というオチ。お通夜で、その模様を再現するフランキー、身を乗り出す森繁、伴淳たち。「色と欲」の「駅前シリーズ」ならではの笑いとなる。

 さらに、独身の筈の次郎のもとへ「おとうちゃん!」と三人の娘が戸籍抄本を持って現れる。演ずるはかしまし娘(正司歌江・照枝・花江)の三人。またまた目を丸くする次郎。そう計算しても7つの時の子となる。これも父・信作が自分の不始末を隠すために、次郎の子として届出ていたことがわかる。なんともはやのオチである。

 さて、クライマックスは、年に一度の「さぬき高松まつり」に「狸会」が待望の踊りを披露する。「さぬき高松まつり」は、昭和39(1964)年に誕生した香川県下最大のイベント。そこに太平たちが「親父たちへの反乱」を試みる。「狸会」の「狸踊り」に、徳之助の子供たちがボディペインティングしてサイケデリックなダンスで乱入。前年の夏、実際の「さぬき高松まつり」で撮影している。

 結局、徳之助がご執心の謎の美女・西条まさみは泥棒だったが、情に絆されて改悛して東京へと戻る。演じる国景子は、ファッションモデル出身で、昭和35(1960)年松竹に入社。野村芳太郎『黄色いさくらんぼ』でデビュー。森繁、伴淳とは『おったまげ村物語』(1961年)で共演。松竹のヴァンプ女優として活躍後、昭和42(1967)年に東映に移籍。お色気パートの担当が多く、東宝には『駅前桟橋』と翌年の『銭ゲバ』(1970年)に出演しているが、東宝女優のイメージではなく、森繁が惑わされるほどではないと、ついつい思ってしまう。

 ともあれ、本作を最終作としたわけではないが、結果的に「駅前シリーズ」はこれが最後となった。森繁の「社長シリーズ」は翌年『続社長学ABC』(松林宗恵)がラストとなり、伴淳とフランキーは、松竹の「旅行シリーズ」で活躍。杉江敏男監督も本作が最後の劇場映画となり、活躍の場をテレビ映画に移すこととなった。



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