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『あゝひめゆりの塔』(1968年・舛田利雄)

 舛田利雄監督。石原裕次郎の『赤い波止場』(1958年)、『赤いハンカチ』(1964年)や、渡哲也の『紅の流れ星』(1967年)、『無頼より大幹部』(1968年)など、日活アクション黄金時代に、数多くのエポック作と演出。まさにアクション帝国日活をその確かな手腕で隆盛に導いた功労者でもある。

 得意とするジャンルも実に多彩。日米合作の『トラ・トラ・トラ!』(1970年)で、黒澤明降板後の日本側監督として深作欣二と共に参加するなど、戦争と人間をテーマにした大作映画も多い。1980年代、東映の『二百三高地』(1980年)、『大日本帝国』(1982年)、『日本海大海戦 海ゆかば』(1983年)などを手がけている。スペクタクルの中の人間ドラマを得意とする舛田が、裕次郎の活劇タッチの戦争映画『零戦黒雲一家』(1962年)、日本が戦争に突き進んでいく時代を描いた裕次郎の『昭和のいのち』(1968年)に続いてメガホンを取った戦争映画がこの『あゝひめゆりの塔』である。

 作られたのは明治百年に沸き立つ昭和43(1968)年。「明治は遠くなりにけり」と言われた昭和元禄のまっただ中。明治どころか20年前の太平洋戦争の不幸な記憶も、戦後生まれの若者たちにとっては未知の出来事になり始めていた時代である。巻頭でゴーゴーを踊る若者たちの描写から始めたのも、青春の一時期に戦争を体験した舛田の世代の「あの戦争」への思いから。特別出演の渡哲也がリクエストした沖縄の唄「想思樹の歌」が、ゴーゴーにアレンジされ、流れるタイトルバック。吉永小百合と浜田光夫の青春コンビの映画を無邪気に楽しんできた若い世代に向けての、アイロニーを含めての巧みなすべり出しである。

 「ひめゆり部隊」の悲劇の映画化は、昭和28(1953)年の今井正監督の『ひめゆりの塔』以来、これまでも大蔵映画の『太平洋戦争と姫ゆり部隊』(1962年)などで描かれてきた。敗戦間際の沖縄戦で非武装の学徒が千五百三名も亡くなった悲惨な実話として、それぞれ真摯な姿勢で映画化がなされてきた。

 日活版もまたしかり。『ガラスの中の少女』(1960年)以来、『キューポラのある街』(1962年)など純愛コンビとして数々の映画で共演してきた、吉永小百合と浜田光夫。そして和泉雅子など青春スター、また太田雅子(現・梶芽衣子)、浜川智子(後の浜かおる)、笹森みち子、伊藤るり子、後藤ルミ、北島マヤ、遠山智英子、音無美紀子、柚木れい子(のちの真木洋子)などのフレッシュな若手女優を配して綴られるドラマは、彼女たちの若いエネルギーが感じらるだけに、胸に迫る。

 この映画では、歌が重要な要素を占めている。和田浩治扮する太田少尉が作詞し、小高雄二が演じた東風平恵祐先生が作曲した「想思樹の歌」である。軍に協力して海岸で陣地作りのために労働している女学生たちの前に、太田少尉が現われる。そこで、先生の詞が出来たので皆で唄おうとコーラスが始まる。

 この美しいメロディはこの映画のもう一つの主人公でもある。続くシーンで男子生徒たちが軍歌「元寇」を歌いながら行進して、「思想樹の歌」を唄う女学生たちと出会う。一年前の昭和18(1943)年のエピソードがここで効いてくる。浜田光夫らは吉永小百合の女学校の運動会見物にいって一悶着があったからだ。このあたりは日活青春映画らしい清々しい場面として描かれている。そしてこの行進でも、年ごろの男女の異性への憧れが、コーラスの交換という形で巧みに描かれている。

 前半は、こうした淡い恋心や、教育実習で小学校の教壇に立つ吉永の姿など、ごく普通の若者の戦時下の青春を描いている。吉永の母・乙羽信子は国民学校の教師で、後を継ぐ娘を暖かく見守っている。ここで二人の生徒たちがクロースアップされる。それが後の、痛ましい対馬丸事件への悲しい伏線となってくる。

 昭和19(1944)年、本土・長崎へ疎開するために国民学校の生徒たちを乗せた貨物船・対馬丸が、鹿児島県トカラ列島・悪石島沖で、米軍の潜水艦・ボーフィン号による攻撃で沈没したことは、映画で描かれているように伏せられていた。家族への見送りも厳禁された霧の中の出港場面。子供たちの唄う唱歌「ふるさと」が闇にこだまする。ここでも歌が効果的に使われている。

 舛田監督は昭和31(1956)年、助監督として市川崑監督の名作『ビルマの竪琴』に参加している。『ビルマの竪琴』は、歌や音楽を巧みに使い戦争の悲劇を描いた作品。僧侶としてビルマに留まろうとする水島上等兵(安井昌二)が、隊の仲間たちに弾いた「埴生の宿」そして、別れ際の「仰げば尊し」。舛田監督は後の『日本海大海戦 海ゆかば』でも軍楽隊を主人公にして、音楽の持つ力を、巧みに戦争映画に取り入れている。

 本作でもクライマックス、北への脱出を計画して女子たちが別れの宴をする場面に主題曲「思想樹の歌」が効果的に使われている。沖縄舞踊を踊る吉永小百合の美しさ。涙ながらにコーラスする女子たち。ゆったりしたメロディが、悲しみを誘う。 

 死と直面しながら、生きる望みを忘れなかった彼女たち。しかし彼女たちが選んだ最後の道が自決というのは、あまりにも重すぎる。舛田監督はエンタテイメント作家として観客を見事に引きつけながら、昭和20年の日本が直面した悲しい現実を提示する。まぎれもない秀作である。

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映画監督舛田利雄・アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて 佐藤利明・高護(シンコーミュージック)




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