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『駅前旅館』(1958年・東京映画・豊田四郎)

「駅前シリーズ」第1作!

 井伏鱒二が昭和32(1957)年に発表した「駅前旅館」は、母の事情で上京、身を寄せた「駅前旅館」でそのまま育った「私=生野次平」の物語。子供の頃から女中部屋で寝起きをし、女中たちに可愛がられ、同時に大人の世界を垣間見て、文字通り清濁を呑み込み、結果的に「番頭」となっている。その「私」を通して、戦後経済の成長とともに、変わりゆく宿屋家業の舞台裏、様々な人たちとの奇妙な交流を、狂騒と哀感とともに描いた風俗小説。
 
 その映画化を企画したプロデューサー・佐藤一郎は、森繁久彌と同世代で、同じ早稲田大学の同窓でもある。戦前、東宝映画に入社、戦後は東宝争議の煽りをうけて、新東宝設立に参加、昭和24(1949)年に、渡辺邦男監督の渡辺プロダクションとの共同制作で『異国の丘』をプロデュース。NHKラジオ「陽気な仲間」で注目を集めていた、森繁久彌を抜擢、主演デビュー作『腰抜け二刀流』(並木鏡太郎)をプロデュース。

 以後、森繁と二人三脚で映画作りを続けていくが、森繁ビッグバンのきっかけとなった、織田作之助原作、豊田四郎監督『夫婦善哉』(1955年)の成功は、佐藤一郎にとっても森繁にとってもエポックメイキングとなった。特に谷崎潤一郎原作『猫と庄造と二人のをんな』(1956年・豊田四郎)、『世にも面白い男の一生 桂春団治』(同・木村恵吾)では、森繁文芸シリーズともいうべき味わい深い佳作となった。

 昭和33(1958)年7月12日。石原慎太郎の原作・脚本・監督の話題作『若い獣』と同時公開された。この頃の各社の封切り作品は次の通り。東映は美空ひばりの『おこんの初恋 花嫁七変化』(7月6日・渡辺邦男)、日活は石原裕次郎の『素晴しき男性』(7月6日・井上梅次)、松竹が高橋貞二・佐田啓二の『モダン道中 その恋待ったなし』(7月13日・野村芳太郎)、大映が市川雷蔵の『女狐風呂』(同・安田公義)、新東宝が『亡霊怪猫屋敷』(同・中川信夫)など。

 さて、『夫婦善哉』が「関西弁の喜劇」として大成功を収めたように、森繁と淡島千景のコンビによる「東京弁の喜劇」を作ろうと、刊行されたばかりの井伏鱒二の「駅前旅館」の映画化権を獲得。アチャラカ喜劇から文芸作まで幅広いジャンルの脚本家・八住利雄が脚色、豊田四郎が演出にあたることになった。チーフ助監督の広沢栄は、のちに、本作の後日談的な『喜劇駅前百年』(1967年・豊田四郎)のシナリオを手がけることになる。

 また、カラー、東宝スコープの大型デラックス映画に相応しく、日活から移籍したばかりのフランキー堺、松竹で花菱アチャコとの「二等兵物語」が大ヒット中の伴淳三郎をキャスティング。粋で洒脱な森繁、ローカリズムあふれる喜劇役者・伴淳、元気溌剌の現代青年・フランキー。タイプの異なる三人の組み合わせが絶妙で、のちに「駅前トリオ」と呼ばれることになる。

 女優陣も充実。いずれも歌劇出身、元宝塚の淡島千景、元SKDの草笛光子と淡路恵子が色を添える。草笛と淡路は、2年前にスタートした森繁の「社長シリーズ」でバーのマダムや芸者役の常連となる。森繁の浮気相手役は「元歌劇スター」というセオリーは、「駅前」「社長」で徹底されるが、いずれも美しさだけでなく、芸達者でコミカルな演技も、お色気もあるから、だろう。

 豊田四郎がこだわったのは、主人公の「私」こと生野次平の、歯切れの良い東京ことば。登場人物全員が、小気味が良いくらい、口跡の良い「東京ことば」で会話をする。戦後十三年、驚異的に復興を遂げ、発展を続けていくマンモス都市東京。その騒然とした世の中の雰囲気が、スクリーンから伝わってくる。冒頭の上野駅に到着する修学旅行の一団、都会の喧騒。その波に乗ろうとしつつ、どこか醒めている「時代に取り残された男」の物語である。

 昭和33年。東京上野駅前にある「柊元(くきもと)旅館」の番頭・生野次平(森繁)は、物心ついてから三十年のベテラン番頭。戦後、上野界隈も随分変わったと、次平のナレーションから物語が始まる。団伊玖磨の音楽が文芸作品の味わいを高めてくれる。
 
 昔は馴染み客、商人たちで十分採算が合っていたが、当節は、馴染みの旅行者の添乗員・小山欣一(フランキー)がコーディネイトする修学旅行の中学生や、老人客の団体を、右から左のオートメーションで、さばかないと生き残っていけない。ドライなお内儀・柊元お浜(草笛光子)の尻に敷かれている主人・三治(森川信)は、旅行会社の指定旅館となって効率の良い団体客だけでやっていこうと考えている。

 森川信の優柔不断な主人ぶりは、のちの「男はつらいよ」の初代おいちゃんに通じる味わい。山田洋次監督が昭和45(1970)年に撮った『家族』で、北海道に向かう途中、倍賞千恵子の赤ちゃんが高熱を出して、上野で下車、駅前旅館に泊まる。駅の案内所で紹介を受けたと、倍賞たちが疲れ果てて、玄関にたどり着く。主人は、大口を開けて、テレビの渥美清にゲタゲタ笑っている。まことに無責任な感じだが、この駅前旅館の主人を演じていたのが森川信。それだけで『駅前旅館』の「その後」を観る思いがする。

 「柊元旅館」には、次平を筆頭に、中番頭・梅吉(藤木悠)がいる。さいきん、カッパと呼ばれる愚連隊のボス(山茶花究)たちが、女中たちを引き抜き、売り飛ばしては利鞘を稼いでいる。添乗員の小山と密かに愛し合っている、女中のお京(三井三奈)もカッパに狙われていて、小山は悩ましく思っている。ある日、次平は、信州の山田紡績一行の、色っぽい保健担当・於菊(淡路恵子)に風呂で二の腕を抓られる。果たして彼女の正体は?

 次平には、昔から気の合う、番頭仲間がいた。池之端の水無瀬ホテルの番頭・高沢(伴淳)、春木屋の番頭(多々良純)、杉田屋の番頭(若宮大佑)である。4人は仕事が終わると、東上野の横丁にある「辰巳屋」に集まり、ワイワイと飲んでいる。この「辰巳屋」の女将・お辰(淡島千景)は、次平と良い仲で、女房のような存在。「辰巳屋」がある横丁は、東上野二丁目、車坂通りあたり。東京映画のスタジオに建てられたセットだが、焼肉屋が多いエリアの雰囲気がよく再現されている。

 次平たち番頭仲間は、酔客をからかったり、噂話をしたり、おそらく十数年こんな風に過ごしてきたのだろう。しかし、彼らの「楽しい時間」には、そろそろ終わりが近づいている。その寂寥感。時代が大きく変わりつつあるのだ。中盤、番頭仲間が、江ノ島に慰安旅行出かけるシーンがいい。観光客で賑わう夏の江ノ島の旅館で、次平と高沢は、昔のように「客引き」の芸を披露する。伴淳もズーズー弁ではなく、粋な東京ことばで、宿泊客を誘う。そこで、次平は、湯船で自分を抓った女は、江ノ島で番頭をしていた頃の旅館の豆女中だったことを思いだす。

 のちの「駅前シリーズ」のような、ローカリズムあふれる「商店の喜劇」ではなく、『駅前旅館』の番頭たちは、自分の矜恃を持つプロフェッショナルである。自分たちが旅館を支えてきた自負がある。この「粋」の感覚が、観ていて気持ちいい。

 また、ジャズマン出身のフランキー堺の、バツグンのリズム感と、身体を張ったキビキビした動きが、映画に躍動感をもたらしている。地方からの修学旅行生を適当にさばき、女生徒たちからの猛アタックも軽く交わす。この仕事が天職というような動きに、前年、日活で主演した川島雄三監督『幕末太陽傳』(1957年)の居残り佐平次の片鱗が伺える。

 フランキーでいうと、特に老人客の「ロカビリーが観たい」のリクエストに答えて、ホウキをギターに見立て、平尾昌晃や山下敬二郎の真似をするシーン。修学旅行の女学生(市原悦子)たちも加わって、まさに狂騒が繰り広げられる。この年、2月に有楽町日劇で「ウエスタンカーニバル」が開催され、ロカビリアンに熱狂するハイティーンたちの姿が、ニュース映画などで広がり社会問題となっていた。それをいち早く、ビビッドに取り入れている。

 後半は、次平たちがカッパを締め出す看板を界隈に出したことで、怒ったカッパたちが柊元旅館にねじ込み「次平を出せ」と息巻く。そこで一計を案じた次平が、「暇乞い」を出したことにしようと、お内儀・お浜たちと口裏を合わせるが、主人はそれを利用して本当にクビにしてしまう。その寂寥感。

 原作にあるエピソードを積み重ねた「行状記」的構成なので、劇映画としてのまとまりはないが、それゆえ、森繁たちのちょっとした仕草や捨て台詞などを眺めている楽しさがある。なにがあってもマイペース、我が道をゆく次平。ラスト、日光に向かう馬車に乗る次平を追いかけてきたお辰との道行きも、森繁と淡島千景コンビの「粋」が際立つ鮮やかなオチである。

 『駅前旅館』から三年後、昭和36(1961)年。オリジナル脚本による『喜劇駅前団地』(久松静児)で、森繁・伴淳・フランキー、淡島千景・淡路恵子のメンバーが再結集。これが第2作となり、「駅前シリーズ」は東京映画のドル箱シリーズとして、昭和30年代から40年代の東宝名物喜劇となる。



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