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『若い娘たち』(1958年・東宝・岡本喜八)

    戦後、東宝映画で「青春映画」が一つのジャンルをなしたのは、昭和24(1949)年の石坂洋次郎原作『青い山脈』の大成功があったからである。東宝争議で、東宝を退社して藤本プロダクションを設立した藤本真澄が、昭和30(1955)年、製作本部長として東宝に復帰してからも「石坂洋次郎映画」は、若手俳優の登竜門であり、藤本にとっては若手監督に任せることで、演出家として認める、という通過儀礼でもあった。

 『結婚のすべて』(1958年)で監督昇進をした岡本喜八もその一人。「三人娘」の一人で、東宝のドル箱に成長していた雪村いづみをヒロインに迎えた、ハイセンス、ハイテンポ、ハイテンションのコメディは大成功。製作の金子正且は、藤本プロ出身で、いわば藤本真澄の右腕的存在。岡本喜八とは盟友の金子が、岡本の第二作を石坂洋次郎の『若い娘たち』のリメイクにしたのは、藤本の一声によるもの。

 昭和26(1951)年、千葉泰樹監督による『若い娘たち』は、杉葉子と池部良、若山セツ子と伊豆肇、そして島崎雪子のキャストで大ヒット。日劇での封切りでは、なんと観客が押し寄せ、行列が二廻り半にもなったという伝説がある。

 藤本にしてみれば、戦前の李香蘭の「劇場七廻り半」に次ぐ、伝説を創ったという自負があり、リメイクを企画したのも、雪村いづみなら大ヒット間違いなし、というプロデューサー感覚あればこそ。

 藤本は、岡本喜八に「お前も二廻り半させろ」とハッパをかけたという。井手俊郎の脚本は、基本的には前作のまま。岡本は演出にあたり、藤本がこだわる「石坂洋次郎らしさ」を極力廃したいと考えた。風光明美な地方都市、古いしきたりに縛られているモラル、若い世代が自ら考えて行動する、それが民主主義である。からいかに遊離して、ハリウッド喜劇のようなリズミカルでハイテンポのコメディを目指した。

 セリフもシチュエーションもオリジナル脚本のままだが、前作が上映時間90分に対して、今作は78分と、かなり短くなっている。昭和33年10月7日、丸林正信『女探偵物語 女性SOS』と二本立て公開された。岡本喜八にとっては、これが初の東宝スコープ作品。

 舞台は金沢。石沢カナ子(雪村いづみ)は高校を卒業して、洋裁学校に通う20歳。上には三人の姉がいたが、いずれも石沢家の二階に下宿した大学生と結婚している。父はすでに亡くなっていて、母・美保子(三宅邦子)は、五人の娘を育てるため、二階を下宿にしていたのだ。現在は、高校生の妹で五女・タマ子(笹るみ子)と三人暮らし。次はカナ子の番ということで、医大の学生課に下宿人募集を依頼する。

 セリフもシーンの構成も、前作そのままである。前作の杉葉子が情緒的でウエットとするなら、本作の雪村いづみの大きな違いは合理的でドライな女の子であること。タイトルバックに流れる主題歌も、ロカビリースタイルのアレンジで、雪村いづみの伸びやかな歌声が気持ちいい。音楽は『結婚のすべて』も手がけた馬渡誠一。雪村いづみ・野口ふみえ・水野久美、三人のヒロインが海岸を走る後ろ姿のショットに、青春映画らしい瑞瑞しさが溢れている。

 美人揃いの石沢家に下宿をすると、必ず娘と結ばれるという噂は、大学ではすでに伝説となっていて、成績優秀・好青年の川崎(山田真二)、髭面のバンカラ学生・橋本(桐野洋雄)、金持ちのドラ息子・田中(ミッキー・カーチス)の三人が、応募する。

 そのジャッジをする主事は、前作では藤原釜足が演じていたが、今回は沢村いき雄。三人の面接でのセリフも同じだが、岡本喜八は細かいカットの積み重ねで、実にリズミカルに処理をしている。

 結局、ジャンケンで勝った川崎が石沢家に下宿することになり、カナ子は橋本と「意地でも結婚しない」と自分の節を守ろうとする。それは川崎も同じこと。この二人の「自意識過剰」ぶりの恋愛がおかしい。

 山田真二の両親は舞踏家の山田五郎・奈々子夫妻。昭和29(1954)年、松竹『黒い罌粟』(原研吉)でデビュー。『夏目漱石の三四郎』(1955年・中川信夫)で東宝に移籍して、『ジャンケン娘』(同・杉江敏男)で共演した雪村いづみのすすめで、レコードデビューした「哀愁の街に霧が降る」が大ヒット。宝田明に続く、精悍な二枚目の東宝青春スターとして活躍した。

 石沢美保子の兄で、町の書店に入婿になっている柴田善吉は、前作では河村黎吉だったが、今回は加東大介。「社長シリーズ」的には先代社長から3代目社長へのバトンタッチである。その妻・柴田千枝は沢村貞子(前作では清川玉枝)。加東大介が実姉・沢村貞子と夫婦役は他の映画でもあるが、観ていて不思議な気持ちになる。

 柴田家の娘で、カナ子の従姉妹・澄子は、野口ふみえ。前作の若山セツ子が、和装で琴を趣味にしていたのと真逆で、こちらはロカビリーに夢中の現代娘。で、この柴田家も、石沢家にあやかって、年頃の娘の結婚相手探しに「貸間あり」と相成る。そこでバンカラの橋本が見事に入婿になっていく。

 澄子を演じた野口ふみえは、前年、黒澤明『隠し砦の三悪人』の雪姫役のオーディションを受けて合格はしなかったが、そのルックスと可愛らしさを買われて昭和32年9月に東宝入社。昭和33年6月8日公開『昭和刑事物語 俺にまかせろ』(日高繁明)でデビューしたばかりの新人。

 原作や前作で、医大に勤務していて、川崎や橋本と旧知の友子(前作では島崎雪子)を水野久美が演じている。彼女は、カナ子や澄子と学生時代からの仲良し、という設定だったが、今回は、石沢タマ子のボーイフレンドで同級生・野村大助(高島稔・前作では井上大助)の姉という設定にしたのは、岡本の「人間関係をスッキリさせるため」の提案。

 カナ子と川崎。澄子と橋本。そして川崎に惹かれている友子。若い四人の男女が、時には素直に、時には意地を張りながら、恋をして結ばれ、恋に破れていく。さらに、長い間未亡人だった美保子と、大助の父で医学部教授・野村(上原謙・前作では清水将夫)との熟年の恋もスパイスになっている。

 タマ子が母・美保子にねだって、夕食後に観に行く映画は、須川栄三監督のデビュー作『青春白書 大人には分からない』(1958年11月11日公開)。この『若い娘たち』は10月7日公開なので、この時点では「未来」でもある。この映画公開までにいろいろあったので、そのタイムラグではあるが、岡本喜八が盟友・須川栄三のデビューを祝福しているようでもある。

 クライマックスの「創立四十周年記念・東海医科大学祭」。前作では川崎が友子と「ロミオとジュリエット」を演じて、それに嫉妬したカナ子が、結局川崎と結ばれるという展開だったが、今回はテニスの試合に友子が助っ人で参加。またしてもカナ子が嫉妬するが、友子は「私も川崎さんが好き」と正直にその気持ちをカナ子に伝える。

 ここからラストまでの数分間、喧嘩ばかりしていたカナ子と川崎が、お互いの気持ちを確かめ合って結ばれるまで、岡本喜八らしい鮮やかさで、観ていて気持ちがいい。

 なお、大学祭の仮装行列のシーンで、『地球防衛軍』(1957年・本多猪四郎)に登場した怪遊星人・ミステリアンのコスプレが登場する。撮影に使われた衣裳の流用だが、特撮ファン的には嬉しい場面である。サザエさんとマスオさんのハリボテや、岸信介総理のハリボテが時代を感じさせる。また、ミッキー・カーチスがロカビリーソングの替え歌(医学部バージョン)を歌って学園祭が最高潮に達する。

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 野村教授と美保子の結婚が匂わされるラスト。タマ子が「今度は、友子さんのために、下宿生おいてね」と提案。笹るみ子が実にチャーミング。『青い山脈』でもそうだったが、昭和30年代の石坂洋次郎映画で、かつての若山セツ子のポジションで活躍した笹るみ子は本当に可愛い。この系譜は昭和30年代後半、日活映画における田代みどりに継承されていくことになる。

 田代みどりは、吉永小百合版『青い山脈』(1963年・西河克己)、本作の三度目のリメイク『こんにちわ20才』(1964年・森永健次郎)でも、笹るみ子のパートを演じている。
 で、ラスト、石沢家の次の「貸し間あり」に応募するのは、ミッキー・カーチス、ノンクレジットのカメオ出演・宝田明、瀬木俊一という、サービスカットも楽しい。

 なおタイトルバックで原作・石坂洋次郎「霧の中の少女」とあるが、この時に原作が収録されていた単行本名ということで原作は「若い娘」。6年後、日活で吉永小百合と高橋英樹で『こんにちは20才』としてリメイクされたときも、井手俊郎が脚本を手がけている。つまり三作とも井手俊郎が、時代の変化に合わせてリライトしていった。


若い娘たち
昭和33(1958)年10月7日公開

製作 金子正且

原作 石坂洋次郎 新潮社版「霧の中の少女」より
脚本 井手俊郎

撮影 小泉福造
美術 北辰雄
録音 伴利也 宮崎正信
照明 金子光男
音楽 馬渡誠一

監督助手 丸輝夫
編集 岩下廣一
特殊技術 東宝技術部
製作担当者 川上勝太郎

出演者
雪村いづみ・・・石沢カナ子
山田真二・・・川崎
水野久美・・・友子

上原謙・・・野村教授
三宅邦子(大映)・・・石沢美保子
沢村貞子・・・柴田千枝
加東大介・・・柴田善吉

野口ふみえ・・・柴田澄子
笹るみ子・・・石沢タマ子
桐野洋雄・・・橋本
ミッキー・カーティス・・・田中

沢村いき雄・・・大学の主事
笠原健司
山田彰
岩本弘司
中山豊
山本廉

須賀京子
村松恵子
上野明美
橘正晃
加藤茂雄
高島稔

宝田明(ノークレジット)
瀬木俊一(ノークレジット)

監督 岡本喜八

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