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『大忠臣蔵』(1957年8月10日・松竹京都・大曽根辰保)

 昭和32(1957)年、邦画各社はこぞってワイドスクリーン化。日本初のシネスコとして新東宝が「シネパノラミック方式・大シネスコ」と銘打って『明治天皇と日露大戦争』(1957年4月29日・渡辺邦男)を製作。ところが、その公開二日前に東映が「東映スコープ」第一作『鳳城の花嫁』(4月27日・松田定次)で出し抜く。新東宝『明治天皇と日露大戦争』は4月29日の公開となった。続いて大映が「大映ビスタビジョン」として『地獄花』(6月25日・衣笠貞之助)、日活が「日活スコープ」第一作『月下の若武者』(7月9日・冬島泰三)と続々とワイド作品を発表。

 松竹は「松竹グランドスコープ」第一作として、娯楽映画のエース、番匠義彰監督の明朗喜劇『抱かれた花嫁』を7月14日に公開した。その第二弾として松竹京都撮影所で製作したのが、オールスターキャストの大作『大忠臣蔵』(1957年8月10日・松竹京都・大曽根辰保)だった。松竹映画のスター、高田浩吉(早野勘平)、北上弥太郎(浅野内匠頭)、嵯峨美智子(大石主税の許嫁・小浪)、大木実(清水一角)、有馬稲子(あぐり=瑤泉院)、山田五十鈴(小浪の母・戸無瀬)、伴淳三郎(幇間伴八)、初代水谷八重子(内蔵助の妻・おりく)たちと、歌舞伎界からは二代目市川猿之助(大石内蔵助)、八代目松本幸四郎(立花左近)、二代目市川小太夫(原惣右衛門)、七代目嵐吉三郎(堀内伝右衛門)、六代目坂東簑助(加古川本蔵)、三代目市川團子(大石主税)、そして六代目市川染五郎(野党右衛門七)をズラリと揃えての顔見世映画となった。

1957年8月10日公開

 脚本はベテラン・井手雅人。新東宝の社員時代に、長谷川伸に師事してシナリオ、小説修業をしていただけに、映画の緩急、娯楽映画のツボを知り尽くした構成には定評があった。この「忠臣蔵」がユニークなのは、歌舞伎の松竹らしく、従来の講談やサイレント映画時代から連綿と映画化されてきたものを踏まえながら、「忠臣蔵」の原作でもある歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の映画化でもある。しかし役名は、大星由良之助、塩治判官、高師直などの歌舞伎での名前ではなく、大石内蔵助、浅野内匠頭、吉良上野介などお馴染みの実名となっている。

 三段目「恋歌の意趣」、四段目「来世の忠義」、五段目「恩愛の二つ玉」、六段目「財布の連判」、七段目「大臣の錆刀」、九段目「山科の雪転し」、十一段目「合印の忍び兜」のエピソードを映画的に構成。それに、大石東下り、三島宿での立花左近(八代目松本幸四郎)と、垣見五郎兵衛を名乗った大石内蔵助(二代目市川猿之助)との名場面、クライマックスの南部坂のあぐり=瑤泉院(有馬稲子)への暇乞いの場面が展開される。

 映画と歌舞伎のミクスチャーとして作られているが「ご存知エピソード」集なので、映画的なエモーション、状況説明がほとんどない。それでも楽しめてしまうのは、当時の観客の誰もが「仮名手本忠臣蔵」「忠臣蔵」の物語を共有していたからでもある。他の映画化ではサイドキャラの早野勘平(高田浩吉)とお軽(高千穂ひづる)の道行きと、その悲劇的な顛末が前半のメインとなっているのも珍しい。

 千代田城・松の廊下、浅野内匠頭(北上弥太朗)が、吉良上野介(石黒達也)の恥辱に耐えかね刃傷に及ぶ。その時、勘平とお軽は恋に耽って、肝心な場に居合わすことができなかった。申し訳ないと自刃しようとする勘平は、それをお軽に止められて、彼女の故郷・山崎の在所へ落ち伸びる。戦前からの松竹の時代劇スター・高田浩吉の勘平は、歌舞伎的というかたっぷりの芝居で、ああ、これを当時の観客は楽しんだのかと。高千穂ひづるは美しい。この二人に前半、かなりの時間を割いている。

 内匠頭の殿中刃傷の際、加古川本蔵(六代目坂東簑助)が止めたために、上野介は軽傷で済んでしまう。桃井若狭之介(森美樹)が上野介を叱るも大事にはならない。映画やドラマでは脇坂淡路守の役回りだが、ここは原作通り桃井若狭之介。その家臣・加古川本蔵は、大石主税(六代目市川染五郎)の許嫁・小浪(嵯峨美智子)の父で、それが後半、九段目「山科の雪転し」での、蔵之助の妻・おりく(初代水谷八重子)と、小浪の母・戸無瀬(山田五十鈴)と小浪の名場面へとつながる。「忠臣蔵」映画ではほとんど描かれないが、水谷八重子、山田五十鈴と嵯峨美智子の母娘の芝居がたっぷり味わえる。

 内蔵助の嫡子・主税と加古川本蔵の娘・小浪は相思相愛の許婚者だったが、内匠頭の無念に破局を迎えていた。それでも主税を慕う娘を哀れに思った母・戸無瀬は、京都・山科の閑居に内蔵助を訪ねる。内蔵助の妻・おりくは、母娘を冷たくあしらう。この辺りは映画というより歌舞伎の名場面。そこへ加古川本蔵が現れて、割腹して罪を償う。しかも娘の引き出物として吉良邸の絵図面を主税に渡して生き絶える。道中、怪しまれないように吉良の間者も斬ってきたと言い残して・・・

 もうベタベタな場面なのだけど、おそらく観客(特に女性)はすすり泣いただろう。日本人の大好きな展開。言わずもがなの心意気。このシーンを取り仕切る初代水谷八重子さはさすが! というわけで2時間35分の長尺で、たっぷり、当時の観客の目線を想像しながら楽しむことができる。おかしいのは伴淳三郎だけ、「幇間伴八」とアジャパーな役どころ。あくまでも伴淳は伴淳、という処遇に当時の人気が窺える。

 クライマックスの討ち入り場面では、大木実の清水一角が大活躍! 上野介の居場所がわからず、もうだめか、と浪士たちが無念の思いをしているときに、絶命寸前の一角が、さりげなく(というかあからさまに)居場所を教えてくれるのだ!

1962年9月9日再上映版

 昭和37(1962)年、9月9日、松竹は本作を『仮名手本忠臣蔵』と改題、短縮版を再上映。その後編として、四十七士の最期を描いた『義士始末記』(大曽根辰夫)を製作。なので1時間58分に再編集された版には討ち入り場面、義士の切腹シーンがまるまるカットされている。

『義士始末記』は、島田正吾が儒学者・荻生徂徠に扮して、世論が赤穂義士の壮挙を称賛し、義士助命の声が高まるなか、「情ではなく法」の名の下に「切腹」を主張する。しかし、義士の家族や恋人たちはそれが納得できない。という物語。岡田茉莉子、岩下志麻などが出演している。

後篇として『義士始末記』が製作された。




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